昭和天皇・マッカーサ 会見秘話






以下は、青山繁晴氏が語る 「日本の天皇・天皇制」 への一見解。
青山氏の語る、16代仁徳天皇の「民のかまど」逸話と、
本記事冒頭の昭和天皇・マッカーサ会見秘話とで、重なるものを感じたので興味深かった。

語り手: 青山繁晴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E7%B9%81%E6%99%B4
聞き手: 川崎さちえ
ヤフーオークション家、株式投資家、主婦、作家 、トレーダー。

■青山繁晴氏が語る 天皇制  その1/2


■青山繁晴氏が語る 天皇制  その2/2


青山氏の言う、 16代天皇 仁徳天皇の歌 「民のかまど」 については、次のサイトが面白い。
・新古今和歌集の部屋
http://home.cilas.net/~jikan314/index.html の
・新古今和歌集の検索
http://home.cilas.net/~jikan314/shinkokinwakashu/kensaku.htm の
・卷第七 賀歌 (がのうた)
http://home.cilas.net/~jikan314/shinkokinwakashu/kanbetu/07.html の
・707 仁コ天皇御歌
http://home.cilas.net/~jikan314/shinkokinwakashu/kanbetu/07/0707.html
高き屋に のぼりて見れば 煙たつ  民のかまどは にぎはひにけり

仁徳天皇
16代天皇。在位期間は、313〜399年。なんと、86年間。
仁徳天皇の没年齢はwikipediaによると142才です。
当然、142才という没年齢は、現代人の私にすれば、とてもとても馬鹿馬鹿しい値です。
ですから、在位期間も86年間!と笑ってしまうような値です。
ひょっとして当時は、「長寿を誇示することが、より神聖さを醸し出す」 と思っていたのかも知れません。
なので私は、このあたりの天皇の系譜情報はあいまいだと断定してます。
ちなみに、初代神武天皇は、在位期間が75年間(紀元前!660〜585年)。没年齢が126才!
ただし、だからといって私が、日本の天皇の歴史や価値を否定している、わけではありません。
「紀元前」か「紀元後」かなんて、現代人にしてみれば多少のこだわりを持ちますが、
天皇家の系譜を整理した頃の人々にとっては、そんなもの、頭の片隅にもない「無意味な基準」ですし。
私は、「歴史を感情で判断してはならない」 と考えてますので。
事実(情報)は事実(情報)として、平常心で認識すべきです。
仮に、仁徳天皇の在位期間や寿命を絶対真実だと言い張る現代人がいるなら
「太古の昔、日本の君主のひとりが142才まで生きていた」と思えるその人の頭脳構造を
逆に私は疑ってしまいますし、強烈に軽蔑してしまいます。「アンタはアホか?」と。
ただし、「当時は6ヶ月を1年としていた」という説を唱える人もいます。
ですが私は、余り見苦しい詭弁を弄するよりは、素直に曖昧さを認めた上で、
価値自体は疑わないという姿勢のほうが可愛いと思うのだけれど・・・。
参考 ⇒ 「日本最古の文書」群は、おおむね奈良時代(700年代)のもの。
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/149953277.html


この歌の背景となる逸話:
仁徳天皇が難波高津宮から一帯を眺めた時のことです。

「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。
 都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」 と述べられ
「向こう三年、税をとらない」 と発令しました。

それ以降、天皇は 衣を新調されず、
宮垣が崩れ、茅葦屋根(かやぶきやね)が破れても修理もせず、
星の光が、破れた隙間から見えても堪え忍びました。
そして三年後。
天皇が高台に立ち、炊煙が盛んに立つのを見て、横の皇后に言いました。

「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、
 どうして富んだ、といえるのですか」
「よく聞け。政事(まつりごと)は民(たみ)を本筋としなければならない。
 その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」
天皇は、ほほえみながら、そう言いました。

そのころ、諸国より
「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。
 もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
との申し出が多く出るようになりました。

それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税をとりませんでした。
そして、六年後、税を課し、宮殿の修理をしました。
その時の民の有様を「日本書紀」は次のように伝えている。

「民、うながされずして材を運び、簣(こ)を負い、
 日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。
 いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。
 故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。
 みかど崩御ののちは、 和泉国の百舌鳥野(もずの)の
 陵(みささぎ)に 葬(そう or はふり) し 奉る」

簣(こ)
「もっこ」とも言うらしい。おそらく、土砂などを運ぶためのムシロみたいなものでしょう。籠(かご)は古式タクシーだけれど、籠の代わりにヒモでムシロ状のものを棒にぶら下げ、前後二人が棒を肩に背負い、ムシロ状の所に載せた土砂を運ぶ。そんな感じの古式運搬用具のことでしょう。

百舌鳥(もず):
ほとんど、雀(スズメ)。
全長19-20センチメートル。
雀よりは一回りほど大きい?
大阪府の府鳥。
もず をなぜ 百舌鳥 と書くのかの答え:
「も」は、「多いこと」を示す「百(もも)」からの「も」。
「ず」は、「カラス」「スズメ」など、鳥一般を示す 接尾語。
いつも多くで ⇒ 「百」、 「キイーキイー」鳴いてる ⇒ 「舌」、 「鳥」 だからでしょう。
詳しくはコチラ ⇒ モズの言語由来 http://gogen-allguide.com/mo/mozu.html

百舌鳥古墳群:
 大阪府堺市にある古墳の集まり。巨大な前方後円墳を擁する古墳群。4世紀末ないし5世紀初頭から6世紀後半頃に築造された古墳が分布する。
 大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、ミサンザイ古墳など、墳丘長200m以上の大型の前方後円墳3基を含む。かつて100基以上の古墳があったとされるが、第二次大戦後に宅地開発が急速に進んだため、約半数近くの古墳が破壊され、現存するのはわずか50基に満たない。


たとえ、詠み人知らずの歌を 16代 仁徳天皇の歌とした、としても
また、上の逸話が創作(作り話)であるとしても、
そう言う発想が生まれる背景・土壌・民族性、
この歌の響きが「さもありなんと多くの人に支持される」ような君主と民衆の関係性、
が面白い(ユニーク・日本的)と、青山氏は言っているのでしょう。


「新古今和歌集」は 「八代集」の 最終和歌集。
後鳥羽上皇(82代天皇)の勅命で 編纂された。 編者は、
87.寂蓮(途中で没)、94.飛鳥井雅経、97.藤原定家、98.藤原家隆、源通具、六条有家。

本ブログ中の関連記事:
・「日本最古の文書群は、おおむね奈良時代(700年代)のもの」
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/149953277.html 
・「八代集、 二十一代集、 について」
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/154603184.html



「民のかまど」 で私が連想したのは、 45代 聖武天皇の 「奈良の大仏」 。
聖武天皇は、仏教により国家の安定を願い、(=鎮護国家)
それのシンボルとして大仏造営を手がけた。
勿論、権力者のこの種の行為は示威行為と表裏一体ではあるのだけれど・・・。

聖武天皇の皇后は、「鎌足の息子、藤原不比等」の娘、光明子。
藤原不比等は、藤原定家の15代上。
・「定家の孫 から 18代 遡(さかのぼ)ってみる」
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/108517927.html
・「藤原不比等は 天智天皇の 落種」
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/152497308.html

歴代天皇 簡易 一覧

 
 
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の 時代・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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