自虐史観 毅然たれない日本 2

ただし、「歴史なんて、突き詰めれば、真実は分からない」 とは言ってみても
また逆に、残された情報の全てが、民衆を欺くための作り話に違いない、と言い切れるものでもありません。
例えば、16代仁徳天皇の「民のかまど伝説」など。

民のかまど にまつわる仁徳天皇の歌とされている歌:
高き屋に のぼりて見れば 煙たつ  民のかまどは にぎはひにけり
この歌の背景となる伝説については、別記事 ⇒ 「昭和天皇・マッカーサ 会見秘話」 をお読み下さい。

「民のかまど」のような逸話は、おそらく中国では語り継がれないのではないでしょうか。彼の国は、いかに相手を殲滅(せんめつ)させるか、己がのいかにのし上がるかという様な方法論や思想哲学はとても立派なものが残っていますが・・・。彼の国の歴史は、そういうものなのです。日本はそうではありません。だから日本の天皇制に日本独自の価値があると私は思うに至ったのです。
 

『 私の、天皇観・天皇制観 』
 天皇が実質的な政治権力の座から遠ざかった鎌倉時代以降も、次々と変わるどの政治的実権者(武家)ともに、天皇家の血を絶やすと言う事は一切考えず、それを何とかしてつなごうと配慮し続けてきたのです。全ての武家が、それほどに、日本にとっての天皇というものの価値を、それぞれなりに何らかのかたちで認め続けてきた結果が、日本の天皇であり天皇制です。伝統というものは、何も、太古の昔から何も変わっていないと言う事ではありません。表面上のスタイルは時代と共に変化して当然です。そのうえで核となる「本質」は変わってない、のが伝統です。そういう背景のもとに、天皇及び天皇家が、今の姿として、日本という国家に残っているのです。つまり、天皇家は天皇家のみで今に至っているのではないのです。天皇家・天皇制は、日本という国に根付いた人々の総意によって、大切に受け継がれてきた家系であり制度なのです。日本にとって日本人にとって、とても貴重な家系(重要無形文化財)です。

 「自虐史観 毅然たれない日本 1」の冒頭で、金閣寺への私の思いを少し書きました。金閣寺(鹿苑寺)を建てたのは、足利三代将軍、義満です。朝廷が南北に別れていたのを統一させたのも、義満です。でも彼は何と、財への執着からでしょうか、日本を中国(当時は明[みん])の冊封国家としたようです。そして、息子を!天皇にしようとしたようです。幸いなことに、日本を中国の配下の国と成り下がらせても、財を膨らまそうなどと考えたのは、日本の歴史で義満ただひとりのようで、明との冊封関係は義満の代のみで終わります。まぁそれほどに財への執着心の強い人だからこそ、金閣寺を残したとも考えられますが・・・。

 息子を!天皇の座につかせるという義満の野望は実らせることは出来ませんでした。日本を明の冊封国家にしてしまうなんて、義満の財への執着の強さを垣間見る思いです。一方、自分たちの血を天皇家に近づけようという例はあまたとあります。さすがに息子を天皇に!というのは、義満ぐらいでしょうか。ちょっと、日本の歴史では、異端的発想ですね。明の冊封下に入るというのと同様です。さすがと言うか何というか、義満ですね。

 娘を入内させ、その子や孫を天皇につかせようとした「時の権力者」は、私自身が百人一首で身近になった人物で例示すると「平安中期の藤原道長や平安後期平清盛」、などを始めとして、あまたと居ます。それらはすべて、天皇家の外戚となり、何とかして天皇家の血統に自らの血統を馴染ませようとしています。決して、天皇家を殲滅(せんめつ)させよう、あるいは天皇家を駆逐して己達の家系がとって代わろう、などとは誰もしないんです・してないんです。もちろん、公家にしろ武家にしろ、為政者となった彼らの殆どは、何らかのかたちで天皇家の血を引いてもいますし。

 これが、大陸国家や半島国家の王朝とは根本的に異なる、非常に日本的な特徴(価値)なのです。また、25代 武烈天皇(古墳時代・AC500年頃の天皇)あたりまで、生没年情報や在位期間に不確かさが多分に見受けられます。しかし、そのような不確かさは、上記したような「天皇家・天皇制の本質的な価値」を根本的に損なうものではありません。

 こういう価値を、たかだか先の戦争で負けたからと言って、「軍国化思想と絡めた 実に下らない 言いがかり」や「爆笑してしまうような 馬鹿げた 人権思想」で、せいぜい数十年生きてきたというに過ぎない、変な思想に染まった現代人が、ほぼ感情的に等しいような形で否定するのは、余りにも愚かしく馬鹿げている、と私は思うに至りました。私にとって彼らの言い分は、「最近雨が少なく黄砂もたくさん飛んできた。そのせいか金閣寺が少し汚れている。見苦しいから金閣寺を焼いてしまえ」、と言っているのとほぼ等しい。

 歴代天皇簡易一覧 ⇒ http://www17.ocn.ne.jp/~cafeaule/rekidaitennnou.htm
&多少ふざけた表現を使っているけど、結構本質を突いていると私が思う、「天皇の価値」論(1〜3)
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html



そう考えると最終的には、歴史観は、ほとんど個人の好み(感情的情緒的価値基準)と同じだと思っても差し支えないと私は思うに至ったのです。要は、国家がいかに「善良なる戦略的国策」として、歴史を扱うか国民に教えるか。そして、国民がそれをどう咀嚼するかです。

勿論、国家の提示する歴史観(=歴史教育方針)は国家の利権と結びついているものでもあるのでしょう。だから日本は日本なりに自虐史観で、一部の政治家や行政官や行政官庁のみでしょうが、担当者や担当部署には、たらふく銭が入ってくるからくりになっているのでしょう。それは、反日嫌日侮日に奔走している中国韓国にしても同じことです。人は思想哲学心情誇りと言うよりも、最終的には利権(お金・銭儲け)で動きますから。

人は決して、お金だけで動くものではないですし、特に明治維新の日本の人々を見てると、日本は素晴らしい国のはずだと思えるのだけれど。今の日本は、豊かに成りすぎたのでしょうか、明治維新の時に登場した「なんとかして国に力を付けたい!もっと立派にしたい!」という燃えるような純粋な愛国の思いで活動したような人々、の登場を期待するのは、もう殆ど無理なのではないかと思われるので。じゃぁ、「そんなこと言うならお前が頑張れ!」と言われても、私に出来ることはせいぜい、このブログに、このように、独り言を書くことぐらいですし・・・。( ←このブログは私なりの、祖国日本への貢献だと思って書いているのですよ。 <(_ _)> )

国家に普遍的な善良さのかけらもなく、ただただ相手国を陥れることにのみに専念し、自国民に或る特定の他国に対する強烈な憎しみと敵意を抱かせ、意識をその一点にのみ集中させ、「自国の歴史の真の姿への関心や・自国の現体制への批判意識」を薄めさそうとの意図を持てば、自国の民をその方針の下に洗脳する事なんて、国家にとって、いともたやすいことです。ただし、その国家が非民主的な、今の日本的価値観からすると、未熟な国家で有ることが条件です。でないと、そんな馬鹿げた下らないことが、出来るわけがないのですから。しかし、他国、とりわけ隣国のそれなりに発展した国を、病的に貶(けな)しに貶し、責めて責めて責め尽くすような歴史認識をその国民に植え付ける事が、長期的に見て、その国にとって本当の意味での得策なのかどうかは大いなる疑問です。と言うのは、そんな愚かな事をし続ければ、辿り着くのは「戦争」でしかないのですから。現にその昔、日本は「鬼畜米英」(きちくべいえい)と言って、先の大戦に突っ込んでいきましたから。現在においては、もう先の大戦(大東亜戦争or太平洋戦争)のような戦争は起こらないでしょうが、それでも平和友好・相互発展の芽をあえてむしり取っているようなものです。素直に得られる協力も、自ら進んで得られにくくしているのですから。愚かな国策です。言うまでもないですが、中国・韓国の日本に対する態度です。たまたま、 ”今の日本の” 政治家や行政官(官僚)達が、馬鹿(=いくじ無しの腰抜け)だから、それなりの援助は得られ続けていますが・・・。



中国や韓国が反日や嫌日で暴走するのは、まさしく彼らが、日本を、つまり、日本の政治家や行政官を、「いくじ無しの腰抜け」だと舐めきっているからです。「自国民をなだめるからお金をくれ」、あるいは、「お金を渡すから、アンタ所の騒ぎを静めさせてくれ」、などという関係がある可能性は高い、と勘ぐりたくもなるほどに、日本にとって馬鹿馬鹿しい状況が毎度毎度繰り返される。

個人が中立的で学究的な関心を持たない限り、国民は義務教育期間で教わったおぼろげな印象を真実だと思い込むものです。よく散見する次の言葉があります 「学校でそう教わった!」。私は、こういう言葉を発する事が出来る人の単純さに、呆れるのですが、大衆の大多数はそう言うものです。私だって、たまたま百人一首を介して歴史に関心を持つようになったけれども、そうでなかったら自虐史観に染まったまま、中国や韓国に謝り続けることが良いことだとばかり思い込んでいたでしょうから。中国や韓国の国家体質や民族性がどういうものなのか、一顧だにすることもなしに。彼の国々の体制もそこの人々も、日本や日本の人々と、そんなには大差のない同じような、社会であり価値判断をする人達の集まりなんだろうと、なんとなく漠然と思いながら。



これはなにも、中国や韓国が悪いと言っているのではありません。中国や韓国のほうが、少なくとも国家レベルにおいては、国際社会の上では大人である(ずるがしこい・したたかだ)と言っているのです。ただしこれは、彼の国々と日本での、民衆の価値基準レベルや精神的な健全さや豊かさレベルは度外視です。あくまで、国家としての、「したたかさ・大人振り」についての言及です。国際社会は一般社会以上に遙かにずるがしこさが氾濫している社会ですので。というのは国際社会には、「国という個人」のわがままの暴走を、制御や制止する機関が存在しないのですから。北朝鮮を見てればよく分かるじゃないですか。あんな感じのゴロツキが街をうろついていれば、一般社会では、普通誰かすぐに警察に通報し、警察が逮捕しに来るものです。つまり、国際社会では、したたか かつ ずるがしこくしないことには、損を被るばかりなのです。一般社会で見てみると、大人は全てが善良な人間ばかりではありません。それなりの年齢の人が、そう言う警戒心をほとんど持ってなかったがゆえに、犯罪や事件に軽率に巻き込まれた場合、世間ではひそかに、被害者にも責任があると思うものです。それが現実です。ましてや、国際社会ではなおさらです。

ずるがしこい。これを綺麗に表現すると、
「宣伝がじょうず。他者を己達の考えに同調させることがうまい」 と言うことです。
日本もへたなわけではありませんが、10年20年スパンの短期戦では日本は勝てません。
私の思うに、日本が滅びなければ、日本の価値観や判断基準は世界のより多くの国から認められる事でしょう。ですが、やれ強制連行だ、従軍慰安婦だ、南京大虐殺だ、やれ人権侵害だなどなど、訴えている側は、己達の祖国の事情などそっちのけで、手段を選ばず、世界相手に日本を責めて責めて責めまくるのを、強烈な基本戦略としているのですから。



日本の民族性は他国の民族性と較べると比較的純粋なのでしょうね。事実を主張すれば通じると思いこみがちな民族なのでしょう。世界の大多数の国においては、どこの国であれ、自国の利益になるならば、第三国の立場がおとしめられる事は、秘かなる歓迎事項なのですよ。人の世も国際社会も同じです。おとしめられている内容が事実であろうがフィクション(大うそ・大ぼら)であろうが関係ないんです。自国に利益があるか無いかです。まぁ勿論、日本自身の歴史認識(自虐史観)も完璧な事実ではないので、日本の歴史教育は事実を教えているとは言えません。でも、敢えて、他国とりわけ、中国韓国に、どんどんどんどん、つけいることを許し続けるような卑屈な歴史を教え続ける国は、主要国では日本ぐらいのものでしょう。



    


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自虐史観 毅然たれない日本 3


上の動画のタイトルは、『国旗の重み〜命懸けで日の丸を守ってくれたイラクの人〜』です。
是非、「ダブルクリック」×2 して、フルスクリーンでご覧になってみて下さい。
この動画のオリジナル文は ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/g-f2.htm#11
これの、韓国版は ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/v-f0.htm
同じく、中国版は ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/u-f2.htm#4   ← 蒋介石 談
これらの親urlは ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/menu00.htm 
⇒ 「マスコミが伝えない日本の評判」  は、初期画面の左上角部分で地域を選択するようになってます。

以上の内容と、以下の記述内容(本記事の本文)とは、直接的には関係ありません。


人は己が関心無い事に関しては、一般に、通り一遍の情報で満足するものです。それが真実かどうかなど感知してません。なのに、そういうおぼろげな認識しかないにもかかわらず、事の判断を求められたら、その貧弱な認識と判断基準のもと、たんに、感情的情緒的な判断のみで対処するんです。人は、己の関心無いことに関しては、全体的なバランスをも考慮した冷静かつ合理的判断など、するわけ無いのです。


今の日本は、貧弱な自虐史観教育と、善なる好奇心での歴史認識の見直し派が混在している状態と見受けられます。一方、中国や韓半島では、国家は馬鹿げた反日教育に奔走し、国民はそれに何の疑問も感じず、自国の歴史への自省を疎ませている。つまり、「日本も中国も韓半島もまともな歴史教育などしてない」 というのが私の認識です。 なので、歴史認識は「個人の好み」に帰着せざるを得ない、と考えるに私は至ったのです。つまり、個人レベルでの歴史論争は馬鹿馬鹿しいにも程がある。色盲どうしが色調を論じあっているようなもの。歴史家や評論家でもない限り、適当に好みの合う者同士、論調の合う者同士が「そうだねそうだね」と談話するのが進歩は無いですが精神衛生上、平和で健康的です。個々人の歴史認識は、その人がどういう交友関係を持っているか・思考パターンをしているかで、ほぼ決まってしまうのですから。


歴史というのは、近代現代だけで判断するものではなく、過去現在未来の時間軸を意識して考えるべきものだと、私は思うに至りました。特に自国の歴史に関しては次のように思っています。過去を他国がどれほど貶(けな)し責めたとしても、自分たちとしてはそれを過度には責めない。自分たちには自分たちなりの正当な理由があったんだと秘かに思い続ける。未来(将来)については、将来に自国の価値が過度に損なわれることの無いよう、常に配慮を怠らない。つまり、先祖の価値を学び尊び、そして、子孫にその価値を受け継ぎ、子孫を守る。そのための認識(共有情報)が自国の歴史認識であり、そういう認識を持つためのジャンルが自国史だ、とも言えると私は思うに至りました。ただし大原則があります。そのための手段として、他国を責めて責めて責めまくるという、国として「現代においての狂気の極致」のような手段は決してとらない。それはつまり究極的に過去の過ちを誘発させる導火線ともなるのですから。現実問題としては、中国や韓国は、その国家体制の未熟さやゆがみのゆえに、この手段を採り続けています。


科学技術という文明はまだまだ発達するのでしょうが、普遍的な文化、全世界的な共通の価値観・価値基準、など育ちようが無く、世界は太古の昔と何も変わっていないと言えなくもないです。財力という武器で、弱肉強食しあってる、ある種「原始社会」のまま、とも言えなくもないですから。技術・文明は進んだと言っても、国家という存在が、「最高かつ最大のわがままの権化」としてお互いに暴走し合っているのが現実。おそらく、国家を筆頭に、人が構成する組織というのは、未来永劫、そういうものでしょう。神や仏ではない「人間」の、性(さが)と言えば性です。洋の東西を問わず、人の愚かさ・業(ごう=「徳」の反語) です。なのに日本だけがいつまでもいつまでも、お馬鹿な善人・独りよがりの有徳の君よろしく、己達の視野狭窄の目で見ただけの「事柄の表面的現象」に対し、全体的背景や裏で交錯している策略など一顧だにすることなく、ペコペコペコペコ頭を下げ続けようなんて、一体何を考えているのか、この日本の無菌培養自虐史観人達は。


私には、自虐史観の人々が 「歴史は1945年から現在まで!」と思い込んでいるかのように見えてしまって、馬鹿馬鹿しくて仕方がない。彼らには「相対的な関係性の下に、当時は当時の事情があった」という柔軟な姿勢、歴史認識に臨むにあたっての偏りの無さ、ある種の割り切り、が感じられない。「とにかく日本が悪かった誤っていた・日本は劣っていた残酷であった野蛮であった」と凝り固まっていて、その好みに従って各種情報を収集するのだから、そりゃぁ、そういう風に世界が見えてしまう。相手が「日本が悪かった、残酷であった・残忍であった・非人道的であった・高圧的であった・侵略者だ!」と訴えているのだから、「きっと当時の日本全体がそうであったのだ!」と思い込んでしまえる単細胞人間なのです、日本の自虐史観大好き人種は。そして挙げ句の果てに、「こんなことがあったのか、それは謝りに謝り尽くさねばならない」と愚かにも思い込んでしまうのです。日本の自虐史観人達は。情けないかな、相手の狡猾さにまんまと載せられるのは、当然すぎるくらい当然の結果です。海洋によって無菌培養的に育った日本の民族性と、策略・謀略にウン千年の歴史を有する大陸国中国、そしてその属国に甘んじ続けることを国是としてきたような半島国のひとつ韓国の民族性。実に明瞭な「民族性の違い」の典型例です。


嘆かわしいことに、日本の自虐史観人達は、のっけから色めがねを掛けられて、エセ資料を次から次と見せつけられて、そしてそれら全てを単純に真実だと信じ込み、ただただ、恐縮しまくる。相手側にしてみれば、実に御しやすい人種です。策略を練った相手側の本心は「こいつらは馬鹿だよ」にほぼ等しいでしょう。赤色のめがねを掛ければ、赤い文字は見えないのです。そのうえで青字でかかれた資料ばかりを、見せつけられ、これだ!これだ!とばかりに喜び勇んで収集し思考を懲り固めさせていくのですから。しかも、彼ら自虐史観人は自分が色眼鏡を掛けていること、掛けさせられていることを、意識すらすることも無い。騙している相手国としては、その幼さ加減を腹を抱えて笑っていることでしょう。彼ら自虐史観人の幼さ、罪深さは、宗教に染まり始めた若者と同じだし、新興宗教にはまりこんで、資産財産の散逸行為や他者への犯罪行為への判断感覚がすっ飛んでしまっている輩と殆ど同じ。そう言う輩の話す内容なんて、何の面白味も説得力も無い。私には彼ら自虐史観人は、物事を、より全体的に&より多面的に、少しでも偏りが少なくなるようにとらえようとした結果としての説ではなく、最初に結論ありきの説を、得意満面にひけらかせる、いわゆる単細胞人種(おめでたいひと)です。『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者アイリスチャンと同じ。つまり、病人(やみびと、病的な自己陶酔者)。一を千にも万にも誇大化すること、またその行為の罪深さに、ナンの恥ずかしさも後ろめたさも感じない人種。

でも、一を千にも万にも誇大化することが当たり前と考えているような、中国や韓半島の国々には、このようなぼやきは何の効果もないのでしょうね。ぜひとも日本に毅然とした態度をとって欲しいものですが、また日本は日本で、そう言う毅然とした態度をとらないひ弱な国に成り下がってしまったのです。毅然とすることは軍国化することではないのに。

軍国化を言うなら、中国韓国こそ、ハード(装備)の軍国化より、もっとたちの悪い、心の軍国化を、強烈な反日嫌日侮日教育で、し続けているではないですか。日本が毅然としないから、彼らをますます増長させているのです。ただし、韓国の反日嫌日侮日言動に接すると、憤りを通り越して、むしろ日本に対してなら何をしても言っても良いという、日本に対する甘えと民度(市民意識)の稚拙さを感じ、哀れみさえ感じるほどです。



     
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自虐史観 毅然たれない日本 5

日本は敗戦国だし、ある程度は謝ることは仕方がなかったとしても、いつまでもいつまでも謝り続けさせられていることに、私は苛立ちを覚えます。中国や韓国の訴えていることが果たして全て真実なのかどうか、自分なりに冷静に問い直し、ひとときの感情に支配されることなく多面的に見つめ直してみようという思考を持たない、無菌培養日本人、短絡思考の単細胞人間、が多くいる限り、今後も日本は謝り続けるのでしょう。結局それが、日本という国の運命(国の選択)なのですから、情けないけれど、仕方ないと言えば仕方ないです。朝鮮(李氏朝鮮。1392〜1910)が、中国への属国意識から抜け出せなかったばかりに、日本に併合もされ、結局は南北に分断されてしまっているのと同じく、日本も、その特性・民族性ゆえに、日本の労力が他国に吸い取られ続けるとしても、それは最終的には、日本自身が採った道(国の運命・定め)なのでしょうから。


南京大虐殺マニアとか、従軍慰安婦マニアとか、強制連行マニアとか、石井731部隊マニアとか、マニアは沢山います。ここでは一応、マニア=全面肯定派としておきます。彼らの資料を見てみると、最初から「伝えられていることは全面的に絶対的な真実である」という結論ありきなのです。マニアの特性なのですが、己の結論(仮定)に従って、資料をこれでもかこれでもかと言うほど「証拠だ!」として集めまくるのです。誰もそんなもの全てに目を通すわけではないのに。希に同調者が表れたとしても、資料の殆どは己の自己満足です。彼らの考え方に欠けているのは、「だからどうしましょう」という将来に向けての展望です。いや、彼らもそう言うものを持っているのを私は理解してます。それはどういうものか。つまり、「永遠の恨み辛みの語り継ぎ」「永遠の土下座の推奨」とほぼイコールです。

そんなネガティブなことに夢中になって何が楽しいのって思ってしまいます。まぁ、ひとそれぞれですので仕方ないですが。全部が全部、思想的に染まっているとはいえ純粋日本人が書いたものではないでしょうし。と言うのは、中国の工作員が日本人のマニアになりすまし、「一生懸命、ネットにアップしている」可能性もなきにしもあらず、と考えておくのもリテラシーの上で大切ですから。

要は、どう突き詰めても、何が真実か分からないので、最終的には、自分自身が、今の日本をどう思うか、中国や韓国や北朝鮮や台湾、など隣接国をどう思うかですね。そして、自分はどこの国に生まれ、どこの国に一番お世話になっているのか、どこの国を最も好きなのか、の考えがあるか無いかです。日本人は、相手を憎む恨むという感情は長続きしないのですが、どうやら、中国や半島国は、現状での色んな要因も相まってでしょうが、とりわけ日本への、憎しみ恨みつらみをあえて持続させてる傾向が伺えます。

歴史を全体的な「時の流れ」と捉えて、その流れを全体的に考察し、将来への糧(かて・教訓)とする、という姿勢が彼らマニアの資料からは感じられません。要は歴史的事実の歴史的探求ではなく、彼らマニアのやっていることは、ほぼ、己のコレクションを自慢したいだけ、なように私には見える。つまり私の結論は、「時代の流れや国家間の駆け引きなどを全く意識してないかのような 彼らの資料 に深入りしても余り価値はない、時間の浪費的要素の方が大きい。最終的には主観の相違に帰するのだから」、です。

マニアのやっていることは「私は幽霊をこの目でハッキリと見た!」と言っているようなものです。私は、「アンタ達は、当時の世界を雲の上からすべからく冷静に眺めていたのか?」と問いたいよ。今の世の中でも真実が闇に葬られている事案ってアマタとあるのに。


ほんとに嘆かわしい。相手(中国や韓国)のこざかしさや狡猾さを一顧だにせず、ただただおのれたちの、ちっぽけな正義感と情緒的自己満足で、日本全体の国益や尊厳など全体的バランスの下に考えられない日本人が、今なお少なからず居ることが。こういう事を考えると、「アメリカが原爆投下は正しかった」と言い続けていることが、とてもよく理解できる。そう言わないとアメリカ国民を納得させられないから。勿論、それよりもっと以前に、「白人は有色人種を自分たちと同等の人間と思ってないから、原爆で日本人が何人死のうが日本の自己責任だ」 とぐらいにしか思ってない可能性は大ですが・・・。日本ぐらいのもんです。「ただ、謝ってくれれば良いんです」なんて思っているのは。思うに、世界一般では「謝れば必ず賠償が伴う」、あるいは、「一度謝れば、さらに次々とつけ込まれる」のが現実です。現に、中国や韓国は、そういう方針・戦略の下に、どれほど日本から、金銭や技術を貪り続けてきたことか。いいかげん、無菌培養の自虐史観好きの日本人は、己達のちっぽけな正義感や自己満足に浸りきる「井の中の蛙」を脱して、相手のしたたかさこざかしさを意識した上での、多面的な目を持つべきです。


私の思いますに、今の日本のひ弱さは、「単眼的・近視眼的に、他人(他国の人)に良く思われたい」という一種の「無価値な欲(自我)」、「勝手な思いこみ」「独りよがりの考え」、が元凶でしょう。国の評判が悪くないと言うことと、国が尊敬されている(=国の力[資質や能力]が国家間で肯定的に認められている)と言う事は、同じでありません。小馬鹿にされているから、シーシェパードのようなゴロツキが日本にまとわりつくのです。ほかには、単なる国内問題に過ぎない靖国神社参拝問題などの様なことに、隣国達がいつまでもいつまでも調子に乗ってイチャモンを付け続けるのです。一体イチャモンを付けている彼ら自身、そしてイチャモンを付けられている日本人自身のどれほどの人が、靖国神社の本質を知っているというのでしょう。ほとんど単に、イチャモン付け遊びを利用し翻弄されているだけじゃないですか。イチャモンを付け続けたら困るのは相手国も同じなのに、日本は「ここで自分が一歩引かなければ自国だけが痛手を被る」んだと、おびえ思い込んで、結果的に長期的な損を積み増しし続けているのです。そう考えると、現在の日本にとっての国際的なうっとうしさの多くは、ある意味、日本自身の自業自得です。この自業自得を脱する気概を持てれば、日本は国際社会において、もう少しは大人となれるのでしょう。


はたして、母性的特質の濃い国家・母性民族に、それができるかどうか・・・。国家というのは一般的には、父性的・男性的な存在です。俯瞰的に、全体的な情勢を意識して、常に他者との駆け引きで、己に利をもたらそうと図っているものです。そのために、どの国でも、スパイ(諜報)は国家にとって必要不可欠な作業であり機関なのです。国家的に重要なことに対しても頻繁に、平面的に、好いた惚れた、嬉し悲し、可愛い・可愛そう、と言うような女性的母性的判断基準でのみ動いているかの様に見える国は、世界の主要国の中では、日本ぐらいのものでしょう。このように見える日本の特質・民族性は、大局的には、日本自身にとって、「小さな損を続けさせられる業(ごう)・性(さが)」ではあっても、決して「大きな徳」ではありません。


そしてなによりも、日本が日本自身で、首相の首を毎年のように変える体質から、出来る限り早く脱しなければ、何事も始まらないです。それは政治家の無能振りを嘆くばかりでなく、有権者自身の成熟も必要とされているはずです。一例としてテレビニュースなどでの、靖国神社参拝閣僚に対する「公人としてのお参りですか、私人としてのお参りですか」なんて言う馬鹿げた報道(インタビューシーンの垂れ流し)などやめさせるべきです。きっと、インタビューしている若い記者は、その質問の本質的な意図など殆ど何も知らないでしょう。ただただ、上司から、「これだけは聞いてこい」と言われてオウム返ししているのが実体のはずです。そして、その上司も、究極的かつ本質的な、その質問の意図など知らないのです。「靖国神社報道画像=この質問を画面に入れる」、それが彼らのルーチンワークとなってしまっているだけです。パブロフの実験の「犬のよだれ垂らし条件反射」と全く同じ。あの報道の本質は、閣僚の靖国神社参拝に対するイヤガラセです。そんな馬鹿げた報道を、一体どれほどの日本人が望んでいるというのでしょうか。


マスコミは決して、有権者ではないのです。マスコミが己達の身勝手で日本の政治家を振り回す権利など無いのです。マスコミは、己達の体質に対する自己責任の言及は一切しないのに、他者に対しては、いつもいつも条件反射的に馬鹿の一つ覚えのように「責任はどうとられますか?責任はどうとられますか?」と聞くのです。いいかげん、いつもいつもおきまりの、ナンの知的レベルも感じない馬鹿げた報道など、うんざりです。


批判に曝されながらも、任期を全うする総理が、そろそろひとりぐらい出てきなさいよ〜、まったくぅ。それも責任の取り方の一つでしょうに。これだけ次から次と首相の顔が変わり続けている国なんだから。誰がやっても一緒なぐらい、当面、日本の政治レベルは代わり映えしないだろうから、外国人参政権や人権擁護法案を議題に載せないのなら、別に、菅直人首相(民主党政権)でも良いからさぁ。別に不景気だからと言っても、大量の日本人がどんどん死んでいるわけでもないんだから。不景気とは言っても皆さんそれなりに、小綺麗に楽しそうに暮らしてるじゃないのよ。今の私のようにインターネットも楽しめてるし・・・。マスコミの言うがままに、チマチマしたことに翻弄されてる大衆も大衆だよ。


日本が日本人が日本社会が、自虐史観に浸らされ続けているのは、完全に、
「 現在の日本自身の落ち度 」 以外のなにものでもないです。  
「 相手国及び物事に対して、毅然とした態度をとる、勇気・気概・割り切り・決断力 を自ら放棄してる」 
からです。
結局こういう事(傾向・特質)は、自虐史観うんぬんばかりでなく、同時に、
潜在的な能力・資質が十二分にあるにも関わらず、日本の不景気を長引かしている原因でもあるのです。


『自虐史観 毅然たれない日本』 シリーズ(1〜5) 終わり。

posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自虐史観 毅然たれない日本 4

私は、日本人の心の底に、ある種の信仰 とも言える 『八百万の神教(やおよろずのかみきょう)』、という意識があるのだと、思っています。この、一種の宗教観とも言える「意識」は、アニミズムとか原始宗教とも言われます。動物のみならず、木や石に至る、この世に存在する全てのもの、すなわち「森羅万象」に、魂が宿っていて、それを敬い・感謝する、という感覚です。

日本人のこの意識が言動となって表れるとき、「森羅万象のあらゆる対象に感謝の気持ちを捧げる。あるがままを素直に認める・受け入れる。敬語という言葉の様式はあり、能力差による序列は認めるけれど、根本思想において人間同士(=人種間)の主従意識・上下意識は殆ど持っていない」という姿勢・態度・反応になるのでしょう。産業用ハイテクロボットにも「百恵ちゃん」とかの愛称をつけて、親しみ深く大切に接する態度なども、その典型例です。

日本の、「この意識」 と 「列島という地理的特質」 が、民族性や行動様式において、お隣の大陸国や半島国とで、大きな違いを呈する、根本要因であると、私は思っています。

これはまず、まぎれもない事実であり、他国との顕著な違いです。
これが、19世紀後半ごろからの欧米の大植民地政策の怒濤の中、いち早く欧米化という近代化に踏み切り、明治維新を成し遂げたのです。この才能&資質は決して、今の日本に消滅してしまった才能資質ではない、と私は信じています。



中国大陸や韓半島の人々は、事実よりも「物語や自尊心(←実体は、自尊心と言うよりも、日本的価値観からすると、それより少し次元が低い、気位[ケチなプライド≒中華思想])」に より重きを置き、日本は彼らに較べると「事実や時流」に より重きを置く。なので、中国や韓半島国は、事実でなくても自尊心を満足させうる歴史教育を良しとしてしまうし、日本の場合、自尊心をさほど満足させなくても、自虐史観という「ある種の時流」を、歴史教育の基本にすえてしまう。そんな民族性の違いが、現在の歴史教育の国家方針にも違いとなって表れている、ような気がします。そういう、大きな違いがあるにもかかわらず、彼らは己達が創作した歴史観(とりわけ近代史においてフィクション的要素が多分にある歴史観)を日本に押しつけ、「歴史を学べ歴史を学べ」と繰り返す。中国や韓半島国も、本当の意味での歴史教育をしてないにもかかわらず。そして、日本は日本で「自国の歴史をろくに知ってもないのに、と言うか、知ってないからこそ、中国や韓半島国の言い分をなかば鵜呑みにする輩(←無警戒で呑気な純日本人)を増殖させている」。


韓半島も日本も大きな国ではないので、基本的には覇権意識は薄く、どちらかというと「長いものには巻かれろ」意識があると思われます。結局、基本的には同じその意識が、韓半島の場合は、その地理的歴史的特質から、自分たちの土地を、長く中国の冊封国的状態にあまんじさせてしまい、日本の場合は、戦後、自虐史観に浸りきる時期を長く続けさせている(なかば、戦勝国達の圧力による、強制ではあるけれど、日米安全保障体制という、対米冊封国[米国の属国思想]。有史以来から、先の大戦の大敗以前の日本は、決してそんな意気地無しの国では無かったのに・・・)、とも思えます。いずれにしても、日本も中国も韓半島国も、正当な歴史教育をしていないことだけは確かです。ですから、このいずれの国の人々にとっても、個人的好奇心で歴史情報を散策するのが、正当な歴史認識を得るための一つの道とも言えるでしょう。もちろん、国家がネット情報を筆頭に、情報統制をしていない事が、大前提となりますが。


ともかく、日本社会は、戦後のGHQの戦略に感化されキッテしまいました。そのため、純粋な日本人に、自虐史観に染まり込んでいる人々が、少なからずいます。情けないことに、それが日本人の顕著な特質の一つなのです。あとさき考えず、「まず最初に謝りの言葉を発すること」、それが善だ・相手に評価される事だ、と思い込んでもいる民族なのです。日本人同士ではそれは別段問題はないでしょう。でも相手が日本人以外ならばそうではない。まして相手が、そう言う日本の特質を重々承知の上で、敢えて作為的に利用しようとして、歴史問題を展開しまくる国家なら、なおのことです。今まで、日本は充分謝ってきたし、その代償として巨大な援助もたくさん残してきた。なのに今後もさらに、謝まされつづけるのは、もう完全に、「現在の日本自身の落ち度」以外のなにものでもないです。 つまり、「 相手国に対して毅然とした態度をとる、勇気・気概・割り切り・決断力 の無さ 」 です。


今の日本の情けなさ(優柔不断さ)を象徴する人物が、前首相の鳩山由起夫氏でしょう。そう言う意味で、『時代はその時代にふさわしい人を産む』というのは、実に説得力のある強烈な真実です。ただし、私も「先の大戦時などには日本の軍部に一部の暴走はあっただろう」と思っています。でもそれは、戦争をしている国家ならいつの時代でもどこの国でも殆ど同じです。つまり、普遍的な、人としての実体・真実・行動特性 をごく自然に思いめぐらせば、だれしもが当然行き着く結論のはずです。民族差や人種差なんてありません。戦争で出てくる残虐さ残酷さ悪魔性は、神や仏ではない人間という動物、が潜在的に持っている動物的本性なのですから。そもそも、戦争というものが人をきちがいにさせるものなのですから。でなければ、人が人をナンの罪の意識もなく平然と殺せるものではありません。まして一般市民を一瞬のうちに、何万人・何十万人と殺戮して、(by 広島長崎への二発の原爆&日本のあまたの大都市への絨毯爆撃)、平気で居れるものではありません。そもそも、そういう大きな争いの種を東アジアにまいたのは、「欧米列強のアジア侵略」(彼らの大植民地化政策・彼ら白色人種達の東アジアぶんどり合戦)なんですから。


それまでは、日本中国朝鮮は、それなりに平和と言えば平和だったんです。欧米列強が東アジアをかき回した結果、中国や韓国が、より一層偏った政治体制となり、彼らに、日本に対する異常なまでのねたみと狡猾さを残させ、日本を責めて責めてせめまくるという国家方針・国家体制を産ませたとも言えます。多くの自虐史観で自己満足に浸っている日本人は、そういう一面をまったく意識することもない人種なのです。自分たちが素直に謝れば相手は、矛先を収めてくれると馬鹿みたいに信じているのです。中国や韓国の民族感覚は、その国家体制の未熟さやゆがみゆえに一層ねじまげられ、日本人の価値基準とは大きく異なってしまっているという意識(事実認識)が、彼ら無菌培養自虐史観日本人には無いのです。中国や韓国の訴えが、謀略による誇大化プロパガンダによるところも大きい、という考えなど、彼ら無菌培養自虐史観人は、頭の片隅にも置けないんです。実にお人好しなマヌケと言えばマヌケな、幼子(おさなご)的考えの持ち主の皆さんです。


彼ら自虐史観人には戦略などありません。ただただ、オノレのちっぽけな正義感と感情・情緒に自己陶酔しているだけの人種です。他の民族の全体的特性を洞察することもなく、己達が自国の墓穴を掘っていることに気づかない人種です。ちなみに私の思うに、嘆かわしいことに日本は全体的傾向として、女性的・母性的国家です。全体的なバランス感覚よりも、情緒的感情的判断、いわゆる「 その場限りの刹那的な、” かわいそう感覚 ” 」 が優先されがちな民族です。日本単独では別段悪くはない特質でしょうが、こと、海外の国が絡んでくると、自国の損失をより大きくさせるし、自国の利得を余り大きくさせない、特質と言えるでしょう。無口でおとなしく内気で素直な、可愛く賢い世間ズレしていない女性。そう言う女性をイメージすれば、まさしくそのイメージは今の日本の国際的な姿でしょう。

自虐史観を自虐史観とも思わず、その内容に絶大なる信念を持っている純粋日本人は、きっと、反捕鯨の映画 ” The Cove ” で猿芝居よろしく涙している、雇われ白人女優と同じ価値観・知的レベルの持ち主なのでしょう。ワケも分からず、全体的な背景も知らず、知ろうともせず、ただただその場で涙を流せば、流されれば、訴えている意見に同調させられると思っているし、同調してしまう、そう言う単純な人種です。悲しいかな、現実社会は、財力と活力にものを言わせた「そう言う情緒戦術」をとったものが勝者になりがちなのですが・・・。


在日の方の内の、一部のたちの悪い人種や、中国や韓国の陰湿な反日教育に洗脳された単純な大衆は仕方ないです。彼らは彼らなりに、彼らの属する組織や国の存亡をかけて、そういう思考を埋め込まれたのですから。しかし、何も日本人自身が日本を陥れる行為に荷担する必要など無いのです。ほっておいても彼ら自身が(中国、韓国、北朝鮮?、世界抗日戦争史実維護連合会[略称=抗日連合会]在日の総連、在日の民団、街宣右翼[=構成員の多くは在日]、などなどが)、一生懸命それをし続けているのですから。私は、日本人の一部に、「他人が自分の家の墓周りをある種の悪意(ひつこい恨みつらみねたみ)を持って荒らし続けているのにソヤツらに荷担する」、なぜそういう人が少なからずいるのか、情けなく苛立ちを覚えてしまいます。


なかば国の誇りをかなぐり捨てたかのように、何の疑問意識も持たず主体性も持たず、自虐史観に浸ることは、単に、利己的な利権に固執しているか、怠慢による自己満足、に過ぎない。そのような固執や怠慢は、決して、戦争を避けよう、戦争を未然に防ごう、という心情や行為と同類のものではない。お互いに、事実を冷静に分析し、至らなかった点も含めて、自国の歴史を尊重する姿勢の上にこそ、他国の歴史も尊重し、自国民のみならず他国民も尊重するという強さ・余裕が生まれるものだ。そいう気持ちを国民に醸成させることこそが国がなすべき本当の歴史教育のはず。今のところ、日本は当然のことながら、中国も韓国も、そういう本質的な歴史教育を、決してしていない。

posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする