百歌人の 氏・家 系統 分類  記事目次


1 藤原族が 34人を占める 小倉百人一首   (多い族順 簡易一覧、100人)

2 百人一首 百歌人の 氏系統分類 内訳  (藤原族34人すべて含んだ系統図

3 百人一首 百歌人の 氏系統分類 内訳  (筆頭歌人の歌番号順、66人、藤原系以外)

4 百人一首 百歌人の 氏系統分類 概略  (筆頭歌人の歌番号順、100人)





Boys Town Gang の Can't Take My Eyes Off You を聴いていたら   (訳詞&原詞) 

27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ  中納言兼輔

がイメージされてきました。
すると・・・、


そうだ、
27.兼輔は 57.紫式部の ひぃおじいさんなんだよなぁ。そうそう、
58.大弐三位の高祖父。さらに、
98.従二位家隆は、27.兼輔の末裔で、57.紫式部とは遠縁ながらつながりがある。

56.和泉式部と 60.小式部内侍は 母娘の関係。
で、この二人は、65.相模とともに大江系に入れることができる。
23.大江千里と 16.17.の在原兄弟は、甥・叔父の関係にあるという説もある。
59.赤染衛門は、40.平兼盛が「私の娘だ!」と主張した女性。
でも結局 兼盛は裁判に勝てなかった。なので、赤染衛門は大江系。
さらに、赤染衛門は 73.前権中納言匡房 のひぃおばあさん!

62.清少納言は、42.清原元輔の娘で、元輔は 36.清原深養父の孫。
ここで、清少納言は元輔が58才ころの娘さん。
61.伊勢大輔は、49.大中臣能宣 の孫だよね。

49.で思い出したけど、49.の次、50.藤原義孝は、
父が、45.謙徳公で、謙徳公の祖父は、26.貞信公。
謙徳公(藤原伊尹、これただ)や義孝を含め、
26.貞信公(藤原忠平)の血を引く歌人は、百人一首の中に20人もいる。
このグループも、27.兼輔と同じ藤原系(藤原北家)だけれど、
百人一首の編者 藤原定家は、こちらの[忠平系]に属する人。

19.伊勢と 61.伊勢大輔 は名前が似てるのでつながりあるのかと思ってたけど、
伊勢は藤原系の人、伊勢大輔は大中臣系の人。

平氏系の名前は、40.平兼盛しか見受けないので、
百人一首の百歌人の中では 兼盛 一人かと思っていたら、
65.周防内侍がどうやら平氏系の女性らしい。

9.小野小町は 11.参議篁の孫であるという説もあったり・・・


となり、
百人一首の歌人のつながりはどうなってんだろう?と調べたくなったのでした。
 
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百人一首 100歌人の 氏系統分類 3

百人一首 百歌人の 氏系統分類 内訳 (藤原氏以外)

1.皇族   10人 
01  01.天智天皇    38代天皇(中大兄皇子)
02  02.持統天皇    41代天皇
03  13.陽成院     57代天皇
04  15.光孝天皇    58代天皇
05  20.元良親王    陽成天皇の第1皇子(光孝天皇に譲位後、誕生)
06  68.三条院     67代天皇
07  77.崇徳院     75代天皇
08  89.式子内親王   77代 後白河天皇の第3皇女
09  99.後鳥羽院    82代天皇
10  100.順徳院     84代天皇

2.小野     2人
01  09.小野小町             11.参議篁の孫という説がある。
02  11.参議篁     小野篁[たかむら] 但し、この説は信憑性が薄い

3.良岑(ヨシミネ) 2人  良岑安世(= 50代 桓武天皇 の皇子が臣籍降下) 血統
01  12.僧正遍昭    良岑宗貞     50代 桓武天皇 の孫
02  21.素性法師    良岑玄利(ハルトシ)  12.僧正遍昭 の子

4.源    13人
01  14.川原左大臣   源融[とおる]  52代 嵯峨天皇の12男
02  28.源宗于朝臣   源宗于
03  39.参議等     源等[ひとし]
04  48.源重之
05  66.大僧正行尊   源基平の子
06  71.大納言経信   源経信
07  74.源俊頼朝臣   源俊頼
08  78.源兼昌
09  80.待賢門院堀河  父は 神祇伯 源顕仲
10  85.俊恵法師    74.源俊頼朝臣 の 子
11  88.皇嘉門院別当  父は源俊隆。祖父は大蔵卿 源師隆
12  92.二条院讃岐   父は源頼政。母は 源斉頼の娘。
13  93.鎌倉右大臣   源実朝(鎌倉初代将軍 源頼朝 の3男)

5.在原    2人
01  16.中納言行平   在原行平  阿保親王[※]の側室の子(弟)
02  17.在原業平朝臣  在原業平  阿保親王[※]の正室の子(兄)
[※] 阿保親王は、51代 平城天皇の第1皇子

6.藤原   34人
藤原氏系の34人は、その3 に別記しました。

7.文屋    2人
01  22.文屋康秀
02  37.文屋朝康          22.文屋康秀の子

8.大江    6人
01  23.大江千里          大江音人の子
02  56.和泉式部          大江音人の5代下
03  59.赤染衛門          大江匡衡(音人の4代下)の妻
04  60.小式部内侍         56.和泉式部の娘
05  65.相模            大江公資(音人の5代下)の妻
06  73.前中納言匡房  大江匡房  59.赤染衛門のひ孫

9.壬生    2人
01  30.壬生忠岑
02  41.壬生忠見          30.壬生忠岑の子

10.紀     2人
01  33.紀友則           友則 貫之 は従兄弟
02  35.紀貫之           友則 貫之 は従兄弟

11.清原   3人
01  36.清原深養父         舎人親王(40代 天武天皇の皇子)の血統
02  42.清原元輔          36.清原深養父の孫
03  62.清少納言          42.清原元輔の娘

12.平    2人
16  40.平兼盛
21  67.周防内侍  平仲子。 父 周防守 平棟仲。 母 源正職の娘 小馬内侍

13.大中臣  2人
01  49.大中臣能宣  父 大中臣頼基。 子 大中臣輔親。 孫 49.伊勢大輔。
02  61.伊勢大輔   49.大中臣能宣の孫

14.その他   18人
01  03.柿本人麻呂
02  04.山部赤人
03  05.猿丸太夫
04  06.中納言家持         大伴家持
05  07.安倍仲麿
06  08.喜撰法師
07  10.蝉丸
08  24.菅家            菅原道真
09  29.凡河内躬恒
10  31.坂上是則
11  32.春道列樹
12  46.曾禰好忠
13  47.恵慶法師
14  69.能因法師          橘永ト(ながやす)
15  70.良暹法師
16  72.祐子内親王家紀伊  後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。
17  86.西行法師          佐藤義清(のりきよ)
18  94.参議雅経          飛鳥井雅経



・40.平兼盛 と 59.赤染衛門(大江 氏系の女性)
    40.平兼盛は、大江家系「59.赤染衛門」の「実の父親」説 がある。
      「赤染衛門の父親説」の挿話
      兼盛の妻は、兼盛との離婚の際 妊娠していた。
      そして、赤染時用と再婚した後に 娘(赤染衛門)を出産した。
      このため、兼盛は「娘への親権」を主張して裁判で争った。
      しかし、「親権」は認められなかった。
・94.参議雅経 と 源 氏系 のつながり
    94.参議雅経(飛鳥井 雅経)の母親は、源血統の女性(源顕雅の娘)。
    ただし、参議雅経 自身は「飛鳥井家の祖」。


・飛鳥時代・奈良時代の 天皇以外の歌人&その他について
  柿本人麻呂
  山部赤人
  姓(かばね)の 「連、むらじ」 「宿禰、すくね」
  山上憶良  (660〜733) ※百歌人外
  大伴旅人  (665〜731) ※百科人外
  猿丸太夫
  中納言家持( 大伴家持 )
  阿倍仲麻呂(or阿倍仲麿)

柿本人麻呂
三十六歌仙の一人。 飛鳥時代の歌人。
後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。
平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。

山部 赤人
三十六歌仙の一人。 奈良時代の歌人。
姓は 連(むらじ) のち 宿禰(すくね)。
山部足島の子。
官位・官職は外従六位下・上総少目。
後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。
柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。
人麻呂との対は 『万葉集』の大伴家持の漢文に 「山柿の門」と記されている。
「山柿の門」 ・・・ 山部の「山」と 柿本の「柿」
同時代の歌人には山上憶良(※1)や大伴旅人(※2)がいる。

姓(かばね)の 「連」 「宿禰」
・「連」 (むらじ)
ヤマト王権で使われていた姓の一つで、家臣の中では最高位に位置していた姓の一つ。
・「宿禰」 (すくね)
八色の姓(やくさのかばね)で制定された、姓(かばね)の一つ。
真人(まひと)、朝臣(あそん)についで3番目に位置する。
大伴氏、佐伯氏など、主に連(むらじ)姓を持 った神別氏族に与えられた。
・八色の姓(やくさのかばね)
天武天皇(40代天皇)が 684年に 制定した 八つの姓 の制度
 1.真人(まひと)
 2.朝臣(あそみ・あそん)
 3.宿禰(すくね)
 4.忌寸(いみき)
 5.道師(みちのし)
 6.臣(おみ)
 7.連(むらじ)
 8.稲置(いなぎ)

※1 山上憶良 (660〜733)
奈良時代初期の歌人。
万葉歌人。従五位下。
下級貴族の出身(百済系帰化人説もある)で、姓は臣(おみ)。

※2 大伴旅人 (665〜731)
奈良時代初期の政治家、歌人。
大納言・大伴安麻呂の子。従二位・大納言。
大宰帥として九州の大宰府に赴任し、山上憶良とともに筑紫歌壇を形成した。
06.中納言家持(大伴家持)は、大伴旅人の子。


猿丸太夫
三十六歌仙の一人。 猿丸は名、太夫は官位を表している。
44代 元明天皇時代(在位 715〜724、奈良時代)、または元慶年間ころの人物とも言われる。
本当に実在した人物かどうか不明の 謎の人物。
伝承上の人物との説が最も多く使われている。
38代 天智天皇 の皇子 施基皇子 説や、
聖徳太子の孫 弓削王 説がある。( 聖徳太子 = 33代 推古天皇 時期、飛鳥時代 の人 )
異説として、柿本人麻呂説もある。( 柿本人麻呂 = 飛鳥時代の人 )

中納言家持 ( 大伴家持 )
三十六歌仙の一人。 奈良時代の政治家、歌人。
大納言 大伴安麻呂 の孫。
大納言 大伴旅人  の子。
家持は、従三位・中納言。

阿倍仲麻呂 (or阿倍仲麿  麿は麻呂の別の漢字表記)
彦太忍信命(=孝元天皇 の皇子) の血を引く。 ( 孝元天皇 = 8代天皇、在位 前214年〜前158年 )
奈良時代の遣唐留学生。
唐で科挙に合格し、唐朝諸官を歴任して高官に登った。
しかし、日本への帰国を果たせなかった。
父が阿倍船守。弟に阿倍帯麻呂がいる。



・藤原北家(藤原冬嗣血統) & 大江家 百人一首歌人系統図
   

・清原家 百人一首歌人系統図


皇室の系図 (wikipedia)

・古代区分 平安時代(前期・中期・後期)の 歴代天皇   画像クリックで全125代表示されます。

百人一首がからむ4時代の 年範囲と関連天皇 (百人一首は38代天智天皇〜84代順徳天皇)
  飛鳥時代(6世紀末 〜 710)  33代 推古天皇  〜 42代 文武天皇
  奈良時代( 710 〜 794)   43代 元明天皇  〜 49代 光仁天皇
  平安前期( 794 〜 930)   50代 桓武天皇  〜 60代 醍醐天皇
  平安中期( 930 〜 1060)   61代 朱雀天皇  〜 70代 後冷泉天皇
  平安後期(1060 〜 1192)   71代 後三条天皇 〜 81代 安徳天皇
  鎌倉時代(1192 〜 1333)   82代 後鳥羽天皇 〜 96代 後醍醐天皇
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百人一首 100歌人の 氏系統分類 2

藤原系の内訳を この記事に別記します。

百人一首 100歌人の 氏系統分類 1 は、概略です。
百人一首 100歌人の 氏系統分類 3 は、内訳です。(藤原系 以外)

6.藤原   34人

・平安時代前期(794年〜930年頃)
18 住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通い路人目よくらむ      藤原敏行朝臣
19 難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや    伊勢
25 名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな    三条右大臣
26 小倉山峰のもみぢ葉こころあらば 今ひとたびのみゆき待たなむ    貞信公
27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ     中納言兼輔
34 たれをかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに        藤原興風
38 わすらるる身をば思わず誓ひてし 人のいのちの惜しくもあるかな   右近

・平安時代中期(930年頃〜1060年頃)
43 あひみてののちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり     権中納言敦忠
44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし   中納言朝忠
45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな   謙徳公
50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな      藤原義孝 
51 かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを  藤原実方朝臣
52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣
53 なげきつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母
54 わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな     儀同三司母
55 滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ     大納言公任
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58 ありま山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな   左京大夫道雅
64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木    権中納言定頼

・平安時代後期(1060年頃〜1192年)
75 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり      藤原基俊
76 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波     (歌人1)
79 秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ    左京大夫顕輔
81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる    後徳大寺左大臣
82 思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり      道因法師
83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる    皇太后宮大夫俊成
84 ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞいまは恋しき 藤原清輔朝臣
87 むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕ぐれ     寂蓮法師
90 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず   殷富門院大輔 
91 きりぎりすなくや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかも寝む     (歌人2)
(歌人1) 法性寺入道前関白太政大臣
(歌人2) 後京極摂政前太政大臣

・鎌倉時代前期(1192年〜1240年頃)
95 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみぞめの袖   前大僧正慈円
96 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり    入道前太政大臣
97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ    権中納言定家
98 風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける     従二位家隆


「藤原南家」 2人
01  18.藤原敏行朝臣  藤原敏行
04  38.右近      右近少将 藤原季縄(すえなわ)の娘。
「藤原京家」 1人
02  34.藤原興風    藤原興風


以下は 「藤原北家」 の 31歌人。
伊勢のみが、「真夏」の子孫。
伊勢以外の30人は、「冬嗣」の子孫。  (冬嗣と真夏は兄弟)
19.伊勢      伊勢守 藤原継蔭の娘。 別称;伊勢の御、伊勢の御息所
(注) 61.伊勢大輔 は、49.大中臣能康の孫。 大中臣 系の女性。

冬嗣は、藤原鎌足の5代下。 「藤原北家」 4代目。
・藤原鎌足(氏祖) → 不比等 → 房前(北家初代) → 真楯 → 内麻呂 → 冬嗣
ということで、冬嗣の4人のひ孫の血統で分けてみました。
4人のひ孫は、定方(25番)・忠平(26番)・兼輔(27番)・時平(43番の父)。
ここで、
定方(25番)と兼輔(27番)は、従兄弟。  (祖父が良門)
忠平(26番)と時平(43番の父)は、兄弟。 (父が基経。祖父は良房)

A. 定方 系  4人 冬嗣→良門→高藤→定方(25.三条右大臣)
B. 忠平 系  21人 冬嗣→良房→基経→忠平(26.貞信公)
C. 兼輔 系  4人 冬嗣→良門→利基→兼輔(27.中納言兼輔)
D. 時平 系  1人 冬嗣→良房→基経→時平 → 43.権中納言敦忠


A. 定方(25.三条右大臣)の血統  4人  Cの 27.兼輔は、25.定方と従兄弟
01  25.三条右大臣   定方    冬嗣 → 良門 → 高藤 → 定方
02  44.中納言朝忠   朝忠    25.三条右大臣 の 子
03  82.道因法師    藤原敦頼
04  90.慇富門院大輔  父 従五位下 藤原信成。 母 菅原在良の娘。
             後白河法皇の皇女亮子内親王(殷富門院)に仕える。


B. 忠平(26.貞信公)の血統   21人  Dの 43.敦忠は、26.忠平の 甥
01  26.貞信公     忠平    冬嗣 → 良房 → 基経 → 忠平
02  45.謙徳公     伊尹(コレタダ) 26.貞信公の孫
03  50.藤原義孝    義孝    26.貞信公のひ孫 & 45.謙徳公の子
04  51.藤原実方朝臣  実方    26.貞信公のひ孫
05  52.藤原道信朝臣  道信    26.貞信公のひ孫
06  53.右大将道綱母        兼家(26.貞信公の孫)の妻
07  54.儀同三司母   高階貴子  道隆(兼家の子)の妻
08  55.大納言公任   公任    26.貞信公のひ孫

   45.謙徳公と 53.道綱母は 義理の兄妹 の関係。
     伊尹(謙徳公)は兼家(道綱母の夫)の兄。
   50.義孝から 55.公任までの5人は(53.道綱母は1世代上のため)、
   忠平(26.貞信公)のひ孫。 藤原道長・道隆・道綱 と世代的に同じ。
     ただし、53.道綱母 54.三司母 は傍系。 
   54.三司母は定子の母でもある。(道隆の妻・道隆は道長の兄)
   定子(977〜1000、23才)は、道隆の長女 & 66.一条天皇の皇后。
   彰子(988〜1074、86才)は、道長の長女 & 66.一条天皇の中宮。
   62.清少納言は定子に仕えた。定子は三人目の出産時に23才で早世。
   56.和泉式部から61.伊勢大輔は、彰子に仕えた。
   彰子は二人の天皇(68.後一条、69.後朱雀)を産む。
   定子・彰子・紫式部・道長に触れている面白いYouTube
    ⇒ 知ってるつもり? 紫式部 その4/5
   彰子(道長の長女)は、女院の第2号、『上東門院』。「大女院」とも呼ばれる。
   女院の第1号は、藤原詮子(道長の姉)、『東三条院』。
   詮子は、64.円融天皇女御 & 66.一条天皇生母。 
   なので、「定子」も「彰子」も、一条天皇の「いとこ」。
   「母の兄(道隆)の長女」と「母の弟(道長)の長女」。
   院号について ⇒ 歌人と時代背景5 平安後期
09  63.左京大夫道雅  道雅    54.儀同三司母の孫
10  64.権中納言定頼  定頼    55.大納言公任の子
11  75.藤原基俊    基俊    藤原道長道隆と兄弟)のひ孫
12  76.法性寺入道…  忠通    藤原道長の5代下
13  79.左京大夫顕輔  顕輔    26.貞信公の7代下
14  81.後徳大寺左大臣 実定    26.貞信公の9代下
15  83.皇太后宮大夫… 俊成    藤原道長の4代下
16  84.藤原清輔朝臣  清輔    79.左京大夫顕輔の子
17  87.寂蓮法師    定長    藤原道長の5代下。83.俊成の子
18  91.後京極摂政…  九条良経  藤原道長の7代下。76.法性寺[忠通] の孫
19  95.前大僧正慈円  慈円    藤原道長の6代下。76.法性寺[忠通] の子
20  96.入道前太政大臣 公経    26.貞信公の10代下
21  97.権中納言定家  定家    藤原道長の5代下。83.俊成の子

C. 兼輔(27.中納言兼輔)の血統  4人  Aの 25.定方は、27.兼輔と従兄弟
01  27.中納言兼輔   兼輔    冬嗣 → 良門 → 利基 → 兼輔
02  57.紫式部     紫式部   27.中納言兼輔の曾孫(ひ孫)
03  58.大弐三位    藤原賢子  57.紫式部の娘
04  98.従二位家隆   家隆    27.兼輔の9代下 & 57.紫式部の祖父の8代下

D. 時平の血統 1人  Bの 26.忠平は、43.敦忠の 叔父(=父の弟)
01  43.権中納言敦忠  敦忠    冬嗣 → 良房 → 基経 → 時平 → 敦忠


 

四子を四天皇へ入内させた道長


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定家の孫から18代さかのぼってみる
 
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百人一首 100歌人の 氏系統分類 1

百人一首 百歌人の 氏系統分類 (筆頭歌人の歌番号順)

01. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
02. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
03. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
04. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
05. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
06. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
07. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
08. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
09. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
10. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
11. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)
14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


「在原系」 と 「大江系」 の関係 (16.行平 17.業平は、23.千里の おじ説) について
阿保親王(= 51代 平城天皇 の息子)を それぞれが 「父、祖父」 としてつながるという説です。
「百人一首を覚える つきみれば 23.大江千里」 に記載しました。


「6.藤原」 グループの 34人について
[南家]= 1 (単独、18番 藤原敏行朝臣)
 不明 = 4 (筆頭、19番 伊勢)     [伊勢守 藤原継蔭の娘]
[北家]=28 (筆頭、25番 三条右大臣)  [藤原定方]
[京家]= 1 (単独、34番 藤原興風)

[南家][北家][京家] は、「藤原鎌足の孫 4人」が祖となる[藤原四家]のうちの3家。
[藤原四家] については、この記事の末尾に補足記述を載せました。

  
「参議」 職の3人について。
11. わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと ・・・ 参議篁  (小野篁、おののたかむら)
39. 浅茅生の小野の篠原しのぶれど ・・・   参議等  (源等、みなもと ひとし)
94. み吉野の山の秋風さ夜ふけて ・・・    参議雅経 (飛鳥井雅経、あすかい まさつね)

「参議」は「中納言」などと同様 職位名ですので、この3人は 次のように分けました。
11.参議篁は 09.小野小町 の祖父と言う事で「小野」系、
39.参議等は 「源」系、
94.参議雅経は 「その他」グループ、 としました。
但し、小野小町と参議篁(小野篁)のつながりの信憑性は薄いと思われます。(以下をご参考に)
  

11.小野篁(参議篁、802〜853、生没年差 51 )
遣隋使を務めた「小野妹子」の子孫。
父は小野岑守。 孫に小野道風。( ← 三蹟の一人)

09.小野小町(825?〜900?、生没年差 75? )
系図集『尊卑分脈』によれば
出羽郡司 小野良真の娘とされている。 (小野良真は 小野篁の息子 とされる人物)
ということで、小町が篁の孫とするなら、
小町は篁が23才の頃にできた孫娘ということになります。
これは、いくら古代のお話といえど、現実的ではありません。
なので一般的には、「小野小町の詳しい系譜は不明」とされています。

参考) 小野妹子 (飛鳥時代[500年代末〜710年]の政治家)
日本の通説では、
『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書(※)
を携えた使者は小野妹子とされる。
名は「妹子」とあるが 男性。 当時、「子」は男女問わずに用いられていた。

(※) 国書 (←聖徳太子が書いたとされる) ⇒ 遣隋使が随の帝に差し出した外交文書。
・この国書の冒頭
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
・この冒頭の今風な内容
日いずる所の天子が、日 没するところの天子に「書」を使わします。以下よろしくたのみます。
・当時の東アジアの国際情勢
随[≒今の中国]は「天子」(国王)を名乗れるのは、隋の国王のみであると思っていた。
それくらいに、随は大国であり、当時の日本にとって 強大な国であっただろうのに・・・。


各氏系統の内訳は、次の2記事に書きました。
藤原氏以外 ⇒ 「百人一首 100歌人の 氏系統分類 2」
藤原氏34人 ⇒ 「百人一首 100歌人の 氏系統分類 3」
 


・[藤原四家] について
■藤原四家 → [南家][北家][式家][京家]
鎌足の孫 の四人が祖となる家流。
奈良時代前半の天平年間に政権を握った「藤原不比等の4人の息子」。
 [ 藤原四家(鎌足の孫)  ← 藤原不比等(鎌足の子)  ← 鎌足 ]
藤原南家: 藤原武智麻呂(むちまろ、680〜737)
藤原北家: 藤原房前  (ふささき、681〜737)
藤原式家: 藤原宇合  (うまかい、694〜737)
藤原京家: 藤原麻呂  (まろ、  695〜737)

四兄弟は737年の天然痘の流行により相次いで病死。
それぞれの家に栄枯盛衰はあったものの、
その後の政治や学問、文化に大きな足跡を残す。

■藤原北家(ふじわらほっけ)
藤原四家の一つ。
藤原房前(右大臣藤原不比等の次男)を祖とする家系。
藤原房前の邸宅が兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことが名の由来。
藤原四家の中では遅く花開いた一族だが、
結果として藤原四家の中でも最も根を拡げることになった一族。

■藤原北家 → 御子左家 → 冷泉家 について
百人一首の編者 藤原定家は、「藤原北家」の下流「御子左家」の人。
「御子左家」の下流に「冷泉家」ができる。
冷泉家の祖は、藤原定家の孫 冷泉為相(れいぜいためすけ)。

00 藤原鎌足         藤原氏の祖
02 藤原房前 藤原北家の祖  鎌足の2代下
11 藤原道長         鎌足の11代下  平安時代中期の代表的政治家
12 藤原長家 御子左家の祖  鎌足の12代下  道長の子
15 藤原俊成         鎌足の15代下  長家のひ孫
16 藤原定家         鎌足の16代下  俊成の子
18 冷泉為相 冷泉家の祖   鎌足の18代下  定家の孫

 
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34人の藤原族が占める百人一首

01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)

藤原族34歌人の系統図  南家・京家を含む


藤原北家流 31歌人の系統図  北家のみ(内麻呂の子。冬嗣・真夏 兄弟以下)


1.藤原
01  18.藤原敏行朝臣  藤原敏行 [藤原 南家]
02  19.伊勢      伊勢守 藤原継蔭の娘。 別称;伊勢の御、伊勢の御息所
03  25.三条右大臣   定方    冬嗣 → 良門 → 高藤 → 定方
04  26.貞信公     忠平    冬嗣 → 良房 → 基経 → 忠平
05  27.中納言兼輔   兼輔    冬嗣 → 良門 → 利基 → 兼輔
06  34.藤原興風    藤原興風 [藤原 京家]
07  38.右近      右近少将 藤原季縄(すえなわ)の娘。
08  43.権中納言敦忠  敦忠    冬嗣 → 良房 → 基経 → 時平 → 敦忠
09  44.中納言朝忠   朝忠    25.三条右大臣 の 子
10  45.謙徳公     伊尹(コレタダ) 26.貞信公の孫
11  50.藤原義孝    義孝    26.貞信公のひ孫 & 45.謙徳公の子
12  51.藤原実方朝臣  実方    26.貞信公のひ孫
13  52.藤原道信朝臣  道信    26.貞信公のひ孫
14  53.右大将道綱母        兼家(26.貞信公の孫 &道長の父)の妻
             菅原孝標女(たかすえのむすめ、『更級日記』著者=道真の5代下)の叔母
15  54.儀同三司母   高階貴子  道隆(兼家の子 &道長の兄)の妻  一条天皇妃・定子の 母
                   息子伊周(これちか)の官名(儀同三司)による
16  55.大納言公任   公任    26.貞信公のひ孫 
17  57.紫式部     紫式部   27.中納言兼輔の曾孫(ひ孫)
18  58.大弐三位    藤原賢子  57.紫式部の娘
19  63.左京大夫道雅  道雅    54.儀同三司母の孫  一条天皇妃・定子の 甥
20  64.権中納言定頼  定頼    55.大納言公任の子
21  75.藤原基俊    基俊    藤原道長(道隆と兄弟)のひ孫
22  76.法性寺入道…  忠通    藤原道長の5代下
23  79.左京大夫顕輔  顕輔    26.貞信公の7代下
24  81.後徳大寺左大臣 実定    26.貞信公の9代下
25  82.道因法師    藤原敦頼
26  83.皇太后宮大夫… 俊成    藤原道長の4代下
27  84.藤原清輔朝臣  清輔    79.左京大夫顕輔の子
28  87.寂蓮法師    定長    藤原道長の5代下。83.俊成の子
29  90.慇富門院大輔  父 従五位下 藤原信成。 母 菅原在良の娘。
30  91.後京極摂政…  良経    藤原道長の7代下。76.法性寺[忠通] の孫
32  95.前大僧正慈円  慈円    藤原道長の6代下。76.法性寺[忠通] の子
32  96.入道前太政大臣 公経    26.貞信公の10代下
33  97.権中納言定家  定家    藤原道長の5代下。83.俊成の子
34  98.従二位家隆   家隆    27.兼輔の9代下 & 57.紫式部の祖父(雅正)の8代下
                  兼輔→雅正→為頼→伊祐→頼成→清綱→隆時→清隆→光隆→家隆
                  兼輔→雅正→為時→式部→三位

2.源
01  14.川原左大臣   源融[とおる]  52代 嵯峨天皇の12男
02  28.源宗于朝臣   源宗于      58代 光孝天皇の皇子是忠親王の子
03  39.参議等     源等[ひとし]  52代 嵯峨天皇のひ孫 ← 希 ← 弘 ← 嵯峨天皇
04  48.源重之              56代 清和天皇の皇子貞元親王の子
05  66.大僧正行尊   源基平の子
06  71.大納言経信   源経信
07  74.源俊頼朝臣   源俊頼
08  78.源兼昌     源俊輔の子
09  80.待賢門院堀河  父は 神祇伯 源顕仲
10  85.俊恵法師    74.源俊頼朝臣 の 子
11  88.皇嘉門院別当  父は源俊隆。祖父は大蔵卿 源師隆
12  92.二条院讃岐   父は源頼政。母は 源斉頼の娘。
13  93.鎌倉右大臣   源実朝(鎌倉初代将軍 源頼朝 の3男)

3.皇族
01  01.天智天皇    38代天皇
02  02.持統天皇    41代天皇
03  13.陽成院     57代天皇
04  15.光孝天皇    58代天皇
05  20.元良親王    陽成天皇の第1皇子(光孝天皇に譲位後、誕生)
06  68.三条院     67代天皇
07  77.崇徳院     75代天皇
08  89.式子内親王   77代 後白河天皇の第3皇女
09  99.後鳥羽院    82代天皇
10  100.順徳院     84代天皇
(参考) 歴代天皇簡易一覧(初代 神武天皇 から 125代 今上天皇 まで)

4.大江
01  23.大江千里          大江音人の子
02  56.和泉式部          大江音人の5代下
03  59.赤染衛門          大江匡衡(音人の4代下)の妻
04  60.小式部内侍         56.和泉式部の娘
05  65.相模            大江公資(音人の5代下)の妻
06  73.前中納言匡房  大江匡房  59.赤染衛門のひ孫

5.清原
01  36.清原深養父         舎人親王(40代 天武天皇の皇子)の血統
02  42.清原元輔          36.清原深養父の孫
03  62.清少納言          42.清原元輔の娘


6.小野
01  09.小野小町             11.参議篁の孫という説がある。
02  11.参議篁     小野篁[たかむら] 但し、この説は信憑性が薄い。

7.良岑(よしみね)
01  12.僧正遍昭    良岑宗貞     50代 桓武天皇 の孫
02  21.素性法師    良岑玄利(ハルトシ)  12.僧正遍昭 の子

8.在原   51代平城天皇の孫に当たる。 「薬子の変」で皇統が52代嵯峨天皇に移り臣籍降下。
01  16.中納言行平   在原行平  阿保親王の側室の子(兄・三男)
02  17.在原業平朝臣  在原業平  阿保親王の正室の子(弟・五男)

9.文屋
01  22.文屋康秀
02  37.文屋朝康          22.文屋康秀の子

10.壬生
01  30.壬生忠岑
02  41.壬生忠見          30.壬生忠岑の子

11.紀
01  33.紀友則           友則 貫之 は従兄弟
02  35.紀貫之           友則 貫之 は従兄弟

12.平
01  40.平兼盛   光孝天皇の4代下(孫の孫)。 父は光孝天皇の曾孫 大宰大弐・篤行王
02  67.周防内侍  平仲子。 父 周防守 平棟仲。 母 源正職の娘 小馬内侍

13.大中臣
01  49.大中臣能宣  父 大中臣頼基。 子 大中臣輔親。 孫 49.伊勢大輔。
02  61.伊勢大輔   49.大中臣能宣の孫


14.その他
01  03.柿本人麻呂
02  04.山部赤人
03  05.猿丸太夫
04  06.中納言家持         大伴家持
05  07.阿倍仲麻呂
06  08.喜撰法師
07  10.蝉丸
08  24.菅家            菅原道真
09  29.凡河内躬恒
10  31.坂上是則
11  32.春道列樹
12  46.曾禰好忠
13  47.恵慶法師
14  69.能因法師          橘永ト(ながやす)
15  70.良暹法師
16  72.祐子内親王家紀伊  後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。
17  86.西行法師          佐藤義清(のりきよ)
18  94.参議雅経      飛鳥井雅経  飛鳥井家の祖  飛鳥井←難波←藤原


(参考)
  94. 参議雅経は、藤原雅経と記されていることが多いです。
  と言うことで、雅経から父方を辿ってみると 曾祖父が藤原忠教(ただのり)です。
  wikipediaが正しいというわけではないですが、参考までに
  wikipediaによると、雅経の系譜は次のようになっています。
  飛鳥井雅経難波頼経(よりつね、長男)難波頼輔(よりすけ、五男)藤原忠教(ただのり)





関連情報 百人一首 職位職名のある男性歌人
男性歌人で歌人名に職位職名のある歌人は
天皇&親王の8首を除いて、43首です。

■関白太政大臣(1)・太政大臣(2)
■僧正(1)・大僧正(2)
■法師(9)
■大納言(2)・中納言(5)・権中納言(3)
■左大臣(2)・右大臣(2)
■参議(3)
■朝臣(7)
■大夫(3)・従二位(1)

()内の数字は、登場する歌人数です。
職位の分類も人数のカウントもひとつの目安として下さい。
以下は内訳です。

■太政大臣
76  法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通 ただみち)
91  後京極摂政前太政大臣(藤原良経 よしつね)
96  入道前太政大臣(藤原公経 きんつね)

■僧正・大僧正
12  僧正遍昭(良岑宗貞 よしみねのむねさだ)
66  大僧正行尊
95  前大僧正慈円

■法師
08  喜撰法師
21  素性法師(良岑玄利 よしみねのはるとし)
47  恵慶法師
69  能因法師(橘永ト たちばなのながやす)
70  良暹法師
82  道因法師(藤原敦頼)
85  俊恵法師
86  西行法師(佐藤義清 のりきよ)
87  寂蓮法師(藤原定長)

■大納言・中納言・権中納言
55  大納言公任(藤原公任)
71  大納言経信(源経信)
-----------
06  中納言家持(大伴家持)
16  中納言行平(在原行平)
27  中納言兼輔(藤原兼輔)
44  中納言朝忠(藤原朝忠)
73  前中納言匡房(大江匡房)
-----------
43  権中納言敦忠(藤原敦忠)
64  権中納言定頼(藤原定頼)
97  権中納言定家(藤原定家)

■左大臣・右大臣
14  川原左大臣(源融 とおる)
81  後徳大寺左大臣(藤原実定 さねさだ)
-----------
25  三条右大臣(藤原定方)
93  鎌倉右大臣(源実朝)

■参議
11  参議篁(小野篁)
39  参議等(源等)
94  参議雅経(飛鳥井雅経。[藤原雅経とされてる場合もある] )

■朝臣
17  在原業平朝臣
18  藤原敏行朝臣
28  源宗千朝臣
51  藤原実方朝臣 さねかた
52  藤原道信朝臣 みちのぶ
74  源俊頼朝臣
84  藤原清輔朝臣

■大夫・従二位
63  左京大夫道雅(藤原道雅)
79  左京大夫顕輔(藤原顕輔)
83  皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)
----------
98  従二位家隆(藤原家隆)

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