百人一首を覚える わたのはら 11.参議篁

■小倉百人一首 11番歌                                        百首一覧

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまのつり舟  参議篁

・かな表示
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
・読み (かな表示のまま)
・歌人名
さんぎたかむら


■意味
「大海原 遙か たくさんの島々の方に向かって舟をこぎ出して行ったよ」
と都のあの人に告げてお呉れ。
漁師の釣り船よ。


■解説
点々とある小島の間を縫うように進んでいく舟の 孤独な姿がイメージされる。
優れた学者ながら激しい性格だった篁は
遣唐副使に任命されたものの 遣唐正使と争い、
天皇の怒りをかって 隠岐の島に流罪になった。
この歌は その隠岐の島に向かう篁が 都に残してきた恋人か家族におくった歌。

島根県 隠岐の島


私の、11番歌 「 マッチングYouTube 」 ⇒ 高橋真梨子 「 ジョニィへの伝言 」 。



参議篁(さんぎたかむら、802〜852、生没年差 50 )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

小野篁(おののたかむら)。
参議岑守(みねもり)の子。
博学で、漢詩や和歌にすぐれる。
現世と冥界を行き来したなどの伝説が残る。

遣唐副使に任ぜられるが、
遣唐正使の藤原常嗣と対立し病気と称して乗船せず。
また、「西道謡」という朝廷を批判する詩を作る。
これらのため嵯峨上皇(前52代天皇)の怒りを買い、
官位剥奪&隠岐配流される。


・小野小町との関係について
参議篁(小野篁)は、遣隋使を務めた「小野妹子」の子孫。
父は小野岑守。 孫に小野道風。( ← 三蹟の一人)

09.小野小町(825?〜900?、生没年差 75? )は、系図集『尊卑分脈』によれば
出羽郡司 小野良真の娘とされている。 (小野良真は 小野篁の息子 とされる人物)
ということで、小町が篁の孫とするなら、
小町は篁が23才の頃にできた孫娘ということになります。
これは、いくら古代のお話といえど、現実的ではありません。
なので一般的には、「小野小町の詳しい系譜は不明」とされています。

参考) 小野妹子 (飛鳥時代[500年代末〜710年]の政治家)
日本の通説では、
『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書(※)
を携えた使者は小野妹子とされる。
名は「妹子」とあるが 男性。 当時、「子」は男女問わずに用いられていた。

(※) 国書 (←聖徳太子が書いたとされる) ⇒ 遣隋使が随の帝に差し出した外交文書。
・この国書の冒頭
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
・この冒頭の今風な内容
日いずる所の天子が、日 没するところの天子に「書」を使わします。以下よろしくたのみます。
・当時の東アジアの国際情勢
随[≒今の中国]は「天子」(国王)を名乗れるのは、隋の国王のみであると思っていた。
それくらいに、随は大国であり、当時の日本にとって 強大な国であっただろうのに・・・。



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 


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百人一首を覚える あまつかぜ 12.僧正遍昭

■小倉百人一首 12番歌                                        百首一覧

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ  僧正遍昭

・かな表示
あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ
・読み
あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん
・歌人名
そうじょうへんじょう


■意味
大空を吹く風よ。
どうか雲の中の通路を閉じて下さい。
天に戻っていきそうな この美しい天女達を ここにとどめて欲しいのです。
今しばらく この美しい舞を見ていたいと思うから。


■解説
雲の通い路 … 雲の上には鳥や月や天女が通る道があると考え、
       雲の通い路と呼んでいた。
天女    … 秋の実りを祝う宮中の宴で舞う少女たちを天女と見立てた。



僧正遍昭(そうじょうへんじょう、816〜890、生没年差 74 )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。
50代 桓武天皇(かんむてんのう 在位 781〜806)の皇孫。
54代 仁明天皇(にんみょうてんのう 在位 833〜850)に仕え、天皇崩御を機に出家した。
21番 素性法師の父親。

六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で3番目) &
三十六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で6番目)

六歌仙 & 三十六歌仙 の整理  (図 クリックで、オリジナル資料 表示します)  

このブログ中の記事は ⇒ 百歌人 のなかの 六歌仙、三十六歌仙






■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
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百人一首を覚える つくばねの 13.陽成院

■小倉百人一首 13番歌                                        百首一覧

つくばねの峰より落つるみなの川 こひぞつもりて淵となりぬる  陽成院

・かな表示
つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる
・読み
つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる
・歌人名
ようぜいいん


■意味
筑波山の峰から流れ落ちる男女川(みなのがわ)が
流れゆくと共に水量が増し 淵 深み となるように、
私の恋心も 時と共に思いが深まり
今は淵のように深い恋になってしまいましたよ〜。


■解説
何故、筑波山?
筑波山(茨城県)…恋に深い関わりのある山。
古代、筑波山で 男女が歌を詠み交わして求婚する「歌垣」 という行事が行われていた。
筑波山が 男体と女体の二つの峰から成る ことからの古(いにしえ)の行事。

筑波山について:
茨城県つくば市北端にある標高877mの山。
西側に位置する男体山(標高871m)と
東側に位置する女体山(標高877m)からなる。
雅称は紫峰(しほう)。
異称として、筑波嶺(つくばね)ともいう。

茨城県 筑波山



陽成院(ようぜいいん、869〜949、生没年差 80 。 57代天皇、在位 876〜884、年差 8年 )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

56代 清和天皇(在位 858〜876)の皇子。
7才で即位したが、精神を患って 8年後 退位。
祖父(55代文徳天皇)の弟(=光孝天皇)に皇位を譲った。
晩年は和歌に没頭した。
退位背景とはうらはらに長寿の人です。

光孝天皇の方が陽成天皇より39才も年上なのに、
陽成天皇が57代天皇、光孝天皇が58代天皇、となる。

13番歌の陽成院と 15番歌の光孝天皇の年齢関係
57代 陽成天皇の生没年は、869〜949、80才。在位 876〜884(7才〜15才の8年間)
58代 光孝天皇の生没年は、830〜887、57才。在位 884〜887(54才〜57才の3年間)

ともに存命だった時期は 869〜887 の18年間。
陽成院は、光孝天皇が亡くなったあと、62年も生きていた。(18+62=80才)
光孝天皇は、陽成院より39年前に生まれていた。(18+39=57才)





■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
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百人一首を覚える みちのくの 14.川原左大臣

■小倉百人一首 14番歌                                        百首一覧

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに  川原左大臣

・かな表示
みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに
・読み
みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに
・歌人名
かわらのさだいじん


■意味
みちのく にある信夫地方 の
「有名な布 しのぶもじずり」 の模様のように、
私の心は 忍ぶ恋のため 千々に乱れてます。
このように乱れ始めたのは いったい誰のせいでしょうか…。
言っときますが、私のせいではないですからね。
ほかならぬ貴方のせいですよ〜。


■解説
融の愛情を疑うようなことを言ってきた女性へ贈った歌。

みちのく    … 当時の都の人にとっての、未知の国?
         「道の奥(みちのおく)」、「陸奥(みちのく)」
しのぶもじずり … 乱れ模様に染めた布。
陸奥の信夫地方 … 福島県福島市。
われならなくに … 吾なら無くに。
         「私ではない」と言うこと。
         「私なら泣くよ〜」ではない。


異国「陸奥(みちのく)」について:
現在の青森・岩手・宮城・福島の四県と秋田県の一部を合わせた古い国名。
東北地方全体をさすこともある。
「みちのく」とは「道の奥」。
交通が発達してない当時、
都の貴族にとって「今の東北地方」は「未知の国」(みちのく に)。
不安と同時に異国への憧れのようなものさえ感じさせる土地だったのかも。

福島県福島市 信夫地方



川原左大臣(かわらのさだいじん、822〜895、生没年差 73 )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

源 融(みなもとのとおる)。
52代 嵯峨天皇(在位 809〜823)の皇子。

加茂川西岸に広大な邸宅・川原院を造営。光源氏のモデルとも言われている。
京の都の東六条に川原院と呼ばれる邸宅を構えたので、川原左大臣と呼ばれた。
奥州の塩竃(しおがま)の風景を模して六条河原院(渉成園)を造った。
そこに難波から毎日海水を運ばせて塩を焼かせた風流人。

源氏血統のオリジナル家系(嵯峨源氏)の初代の一人。
54代仁明天皇、&源信(まこと)は、源融の兄。融の流れは嵯峨源氏融流。
嵯峨源氏血統のあとに、
56代清和天皇(嵯峨天皇のひ孫・仁明天皇の孫・文徳天皇の子)血統が清和源氏。
鎌倉初代将軍源頼朝&その弟・義経などは清和源氏の人。
源氏血統は、この嵯峨源氏・清和源氏のほかに
59代宇多天皇(嵯峨天皇のひ孫・仁明天皇の孫・光孝天皇の子)血統が宇多源氏。

52代嵯峨天皇の父は50代桓武天皇。
この桓武天皇の子孫として、
上記の嵯峨源氏、清和源氏、宇多源氏のほかに
在原血統(16番中納言行平、17番在原業平朝臣がここに属する)や
桓武平氏血統(歴史的にメジャーな人物として平将門、平清盛がここに属する)がある。

在原行平(818〜893)、在原業平(828〜880)
源融(822〜895)、源頼朝(1147〜1199)、源義経(1150〜1189)
平将門(9世紀後半頃〜940)、平清盛(1118〜1182)


上の系統図に、百人一首の歌人が8人いる。 (草色下線部)


六条河原院(渉成園)
渉成園(しょうせいえん)は、
周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから
枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれる。
200m弱四方規模(面積3.4ha)の とても綺麗な庭園。
JR京都駅から北東方向に歩いて10数分程度の所にある。
住所…京都市下京区烏丸通七条上る



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


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百人一首を覚える きみがため 15.光孝天皇

■小倉百人一首 15番歌                                        百首一覧

君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ  光孝天皇

・かな表示
きみがため はるののいにでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ
・読み (かな表示のまま)
・歌人名
こうこうてんのう


■意味
あなたに贈るため 春の野原に出て若菜を摘んでます。
その私の着物の袖に 雪がしきりに降りかかってま〜す。


■解説
当時の貴族は贈り物に和歌を添えた。この歌はその一首。
七草がゆの元祖…
昔の 「健康を祈って正月に春の若菜を摘んで食べる習慣」 が
今の 「七草がゆ」 の元祖。
若い皇子だった頃、ある人に若菜を贈ったのだろうか・・・。
若菜の淡い緑と、早春の雪の純白。組み合わせが綺麗。

私の、15番歌 「 マッチングYouTube 」 ⇒ Mi−ke 「 なごり雪 」 。



光孝天皇(こうこうてんのう、830〜887、生没年差 57。 58代天皇、在位 884〜887、年差 3年 )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

54代 仁明天皇(にんみょうてんのう。在位 833〜850)の皇子。
57代 陽成天皇(在位 876〜884。13番歌)廃位の後、55才で即位。
温厚な性格で学問を好んだ。

光孝天皇の方が陽成天皇より39才も年上なのに、
陽成天皇が57代天皇、光孝天皇が58代天皇、のふしぎについて。
陽成天皇は 7才 で即位したが、精神を患って 8年後 退位。
祖父(55代文徳天皇)の弟(=光孝天皇)に皇位を譲った。

13番歌の陽成院と 15番歌の光孝天皇の年齢関係
57代 陽成天皇の生没年は、869〜949、80才。在位 876〜884(7才〜15才の8年間)
58代 光孝天皇の生没年は、830〜887、57才。在位 884〜887(54才〜57才の3年間)

ともに存命だった時期は 869〜887 の18年間。
陽成院は、光孝天皇が亡くなったあと、62年も生きていた。(18+62=80才)
光孝天皇は、陽成院より39年前に生まれていた。(18+39=57才)





■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
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