百人一首を覚える かささぎの 6.中納言家持

■小倉百人一首 6番歌                                        百首一覧

かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける  中納言家持

・かな表示
かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける
・読み (かな表示のまま)
・歌人名
ちゅうなごんやかもち


■意味
かささぎが翼をつらねて渡したという橋。
宮中の その御橋におりている霜が白いのを見ると、
もう夜もふけてしまったのだなぁ〜。


■解説
かささぎの渡せる橋 … 「かささぎ」はカラス科の鳥。
肩から胸はらにかけて白、尾は黒く長い。体長は40cmほど。
中国の七夕伝説では、翼をつらねて橋となり
天の川に掛かって織女を牽牛のもとへ渡すとされた。
ここでは宮中の階段をそれに見立てる。
 
この歌は、かささぎという鳥を見てイメージしたのではなく
中国の七夕伝説をイメージして詠んだ歌。

おく霜の白きを見れば … 霜が降りるのは深夜から未明にかけて。
            その白さが冬の厳しい寒さを感じさせる。
夜ぞふけにける    … 「けり」には、今初めて気がついたという感動がこもる。
            霜の白さを見て、
            夜がふけたことに気づいたことを表している。



中納言家持(ちゅうなごんやかもち、718〜785、生没年差 67 )
 奈良時代の人。 (奈良時代は 710〜794年 の 80余年間)_
大伴家持(おおとものやかもち)。
父は大伴旅人。
『万葉集』の編纂に関わったと言われている。
三十六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で4番目)

六歌仙 & 三十六歌仙 の整理  (図 クリックで、オリジナル資料 表示します)  

このブログ中の記事は ⇒ 百歌人 のなかの 六歌仙、三十六歌仙



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 


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百人一首を覚える あまのはら 7.阿倍仲麿

■小倉百人一首 7番歌                                        百首一覧

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも  阿倍仲麿

・かな表示
あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
・読み (かな表示のまま)
・歌人名
あべのなかまろ
 

■意味
大空をふり仰いで はるか遠く眺めて見える月は、
かつて奈良 春日の 三笠の山 に出ていた月と同じ月なのだなぁ。


■解説
天の原     … 大空。
         「原」は大きく広がっている様子をさす。
ふりさけ見れば … 遠くを眺めやると。
春日なる    … 「春日」は現在の奈良公園から春日神社のあたり。
         遣唐使の出発に際し、春日神社に旅の無事を祈ったとされる。
三笠の山    … 春日神社の後方の、若草山と高円山との間にある山。
出でし月かも  … この「月」は、かつて見た三笠の山の上にあった「月」をさす。


春日 春日山 三笠山 あたり



阿倍仲麿(あべのなかまろ、698〜770、生没年差 72 )
 奈良時代の人。 (奈良時代は 710〜794年 の 80余年間)_
留学生として唐に渡り、李白・王維らとも親交があった。
船の難破により帰国に失敗し、唐で没した。

阿倍仲麿の帰船団(※)の別の船には、唐の僧侶 鑑真 が乗っていた。
※…752年12月、藤原清河率いる遣唐使一行の帰船団。

阿倍仲麿は 大使 藤原清河の第一船に、
鑑真は 副使 大伴古麻呂の第二船に乗船。
第一船は漂流で帰日せず。
第二船はなんとか帰日。

鑑真(688〜763)は10回目のこの渡海で初めて渡日に成功。
日本の仏教の立て直しに大いに貢献する。
唐招提寺を建てた帰化僧。日本で没。



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
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百人一首を覚える わがいほは 8.喜撰法師

■小倉百人一首 8番歌                                        百首一覧

わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人はいふなり  喜撰法師

・かな表示
わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり
・読み
わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり
・歌人名
きせんほうし


■意味
私の庵は都の東南に在って
このようにのどかに暮らしている。
なのに、
私がこの世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと
世間の人は言っているようだ。


■解説
都会の騒がしさや出世競争から逃れて山にこもるのは、
寂しいことであったり、人生の勝負に負けてしまう事なのでしょうか。
そうではなく、自由な心を手に入れることだと考える人は、昔から少なくありませんでした。
この歌は住みかを訪ねられた作者が、山に住む心の安らかさを読んだものです。

都の「辰巳」(南東の方向)の山 ⇒ 喜撰山



喜撰法師(きせんほうし、9世紀後半、生没年差 ? )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

宇治山の僧という以外、経歴未詳。
六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で1番目)

六歌仙だけれど、三十六歌仙ではない。
六歌仙だけれど、三十六歌仙でないのは、百人一首の歌人では 二人。
8番 喜撰法師 と 22番 文屋康秀。

六歌仙 & 三十六歌仙 の整理  (図 クリックで、オリジナル資料 表示します)  

このブログ中の記事は ⇒ 百歌人 のなかの 六歌仙、三十六歌仙



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
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百人一首を覚える はなのいろは 9.小野小町

■小倉百人一首 9番歌                                        百首一覧

花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに  小野小町

・かな表示
はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
・読み
はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに
・歌人名
おののこまち


■意味
桜の花の色がすっかり色あせてしまったと同じように、
私の容姿も衰えてしまいました。
桜に降る長雨を眺め、むなしく恋の思いに耽っている間に。


■解説
うつりにけりな … あせてしまったなぁ。
         見栄えしなくなったなぁ。
いたづらに   … 無駄に。むなしく。
ふる      … 「世に経る(月日を過ごす)」と「雨が降る」を掛けている。
ながめ     … 「長雨」と「眺め」を掛けている。
         「眺め」としては、
          恋や人生について、物思いに耽ることもさす。
          自分の思い通に生きることが難しかった当時の女性達は
          多くの時間を「眺め」に費やした。



小野小町(おののこまち、825 ? 〜 900 ?、生没年差 75 ? )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

絶世の美人と言われ、各地に小町伝説を残す。
しかし、その経歴は未詳。
小野小町11番 参議篁[小野篁]の孫娘であるとの説については、下に別記しました。
(ただし、小野篁「遣隋使の小野妹子」の子孫ではある。)

六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で2番目) &
三十六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で5番目)

六歌仙中では ただ一人の女性。
三十六歌仙中では 百人一首の女性歌人は 次の二人。
09番 小野小町、 19番 伊勢 。

六歌仙 & 三十六歌仙なのは 次の三人。
9番 小野小町、12番 僧正遍昭、17番 在原業平朝臣。

六歌仙 & 三十六歌仙 の整理  (図 クリックで、オリジナル資料 表示します)  

このブログ中の記事は ⇒ 百歌人 のなかの 六歌仙、三十六歌仙

・ 小野小町と 11.参議篁 の関係 について
11.参議篁(小野篁、802〜852、生没年差 50 )は、遣隋使を務めた「小野妹子」の子孫。
父は小野岑守(みねもり)。 孫に小野道風。( ← 三蹟の一人)

小野小町(825?〜900?、生没年差 75? )は、系図集『尊卑分脈』によれば
出羽郡司 小野良真の娘とされている。 (小野良真は 小野篁の息子 とされる人物)
ということで、小町が篁の孫とするなら、
小町は篁が23才の頃にできた孫娘ということになります。
これは、いくら古代のお話といえど、現実的ではありません。
なので一般的には、「小野小町の詳しい系譜は不明」とされています。

参考) 
小野妹子 は、 飛鳥時代[500年代末〜710年] の政治家。
日本の通説では、
『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書(※)
を携えた使者は小野妹子とされる。

名は「妹子」とあるが 男性。 
当時、「子」は男女問わずに用いられていた。

(※) 国書 (←聖徳太子が書いたとされる) ⇒ 遣隋使が随の帝に差し出した外交文書。
・この国書の冒頭
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
・この冒頭の今風な内容
日いずる所の天子が、日 没するところの天子に「書」を使わします。以下よろしくたのみます。
実はこの言い回し、当時における日本の、随という大国に対する表現としては、
かなり勇気あるものであった。
・当時の東アジアの国際情勢
随[≒今の中国]は「天子」(国王)を名乗れるのは、隋の国王のみであると思っていた。
それくらいに、随は大国であり、当時の日本にとって 強大な国であっただろうのに・・・。

この件に関して、
NHK高校講座 日本史 2009年第4回(5月12日)放送分 「東アジア世界の動乱と古代日本」
を見ると面白いです。
ビデオの4分経過あたりから
587年 蘇我馬子らが物部守屋を倒す
593年 推古天皇 即位。第33代天皇。初めての女性天皇。  (聖徳太子が摂政となる)
600年 聖徳太子(本来名称 = 厩戸皇子[うまやどのおうじ])が遣隋使を開始
603年 冠位十二階を制定
604年 憲法十七条を制定
607年 小野妹子を随に派遣。
      「国書」の表現に対し、随の王「煬帝」が激怒する。
608年 小野妹子が帰国。隋の使者 裴世清(はい せいせい)を伴う。

が紹介されます。
その中で、5分半経過あたりからの「国書」についての説明が面白いです。


NHK高校講座日本史の第4〜11回が百人一首の時代範囲に相当する回次です。
この講座の中でも百人一首の歌人のことなど、けっこう登場します。
歴史とダブらせて百人一首の歌人をイメージするのに、&
百人一首の期間を歴史を背景にイメージするのに、役立ちます。

2009年NHK高校講座日本史 (飛鳥、奈良、平安、鎌倉。600年代後半〜1200年代前半)
 回  月日  タイトル
  4  5/12 東アジア世界の動乱と古代日本
  5  5/19 奈良時代の都と地方
  6  5/26 平安京の時代
  7  6/02 摂関政治の展開と藤原氏
  8  6/09 武士の登場
  9  6/16 院政
 10  6/23 鎌倉幕府の成立
 11  6/30 承久の乱と執権政治 

(参考) 歴代天皇簡易一覧 (初代 神武天皇 から 125代 今上天皇 まで)


■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
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百人一首を覚える これやこの 10.蝉丸

■小倉百人一首 10番歌                                        百首一覧

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関  蝉丸

・かな表示
これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき
・読み
これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき
・歌人名
せみまる


■意味
これがあの、
これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、
別れてはまた逢うという 逢坂の関なのですよ。


■解説
歌の響きが 逢坂の関 を行き来する人々の姿を想像させる。
それは、旅をする人々の現実の姿というだけでなく、
一瞬たりとも留まることなく様々な人々が様々な場所から来て
出会ってはまた別れるという、世の姿をあらわしているよう。

逢坂の関…「関」は人や物の出入りを監視する所。
「逢坂の関」は、現在の京都府と滋賀県の境にあった「関」。
都から東国への最初の関で、
別れを惜しんだ都の人が、この関まで見送る習わしがあった。

逢坂の関 あたり



私の、10番歌 「 マッチングYouTube 」 ⇒ 井上陽水 「 東へ西へ 」 。



蝉丸(せみまる、9世紀後半、生没年差 ? )
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

詳細不明の伝説的人物。
逢坂の関の近くに庵を結んだ盲目の琵琶の名手と言われている。
第60代 醍醐天皇 の孫(源博雅)が
三年間通って 琵琶の秘曲を伝授された とも伝えられている。



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
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