百人一首をもとにした落語 目次

小倉百人一首を題材にした落語として 特によく知られている噺は 3つあります。

13番歌を題材にした 陽成院
27番歌を題材にした ちはやふる(千早 振る)
77番歌を題材にした 崇徳院         です。

1. 陽成院

2. ちはやふる ( 千早 振る )  桂吉朝の落語 2YouTube

3. 崇徳院  笑福亭仁鶴の落語 3YouTube
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落語 崇徳院  YouTube & 要約 (8〜0)









8.
商家の若旦那・作次郎が重病になった。
医者に見てもらったところ「医者や薬では治らない気病で、
思いごとが叶えばたちどころに治るが放っておくと五日もつかどうか」とのこと。
これを聞いた親旦那、
作次郎の幼少のころからの馴染みである熊五郎を呼びつけ、
その思いごとを聞き出して来いと命ずる。
作次郎が熊五郎に告げた事情はこういうものだった。

7.
先日、作次郎が高津神社へ参詣したときのこと。
茶店で休憩していると、
そこへ入ってきた歳は十七、八の美しい娘に一目惚れする。
娘が茶店を去る際、
緋塩瀬(深紅色の羽二重)の茶帛紗を置き忘れていったので追いかけて届けると、
娘は料紙に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」と
崇徳院の歌の上の句だけ書いて作次郎に手渡し、去って行った。
作次郎はこの歌の下の句「われても末に 逢わんとぞ思う」を思い出し、
あの娘は「今日のところはお別れいたしますが、いずれ後にお目にかかれますように」
と言ってくれていることに気付き、
それから今までずっと娘のことばかり思い詰めているのである。
しかし先方がどこの誰であるのか訊かなかったため、
皆目見当がつかないのだ。

6.
熊五郎の報告を受けた親旦那は、
熊五郎にその娘を何としても捜し出してくれと懇願する。
熊五郎はどこのお方かもわからないのにと渋ったが、
借金を棒引きにしてなおかつ蔵付きの借家を五軒譲渡し、
別に三百両の礼金を支払うからと言われ、
三日間の猶予をもらって捜し回ることになった。

5.
二日間、大阪の街中を捜したが見つからない。
それもそのはず、熊五郎は「瀬をはやみ」の歌を誰に伝えるわけでもなく、
ただ闇雲に走り回っていただけだったのだ。
女房には「探し出さなければ実家へ帰らせてもらう」とまで脅かされ、
最後の一日に全てを賭ける熊五郎。
人の多く集まりやすい床屋や風呂屋、
行く先々で「瀬をはやみ〜」と叫んでは反応を待つ。
「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし高津神社にも足しげく通ってる」
という人に出会うが、その娘はまだ幼い子供と知りガックリ。
結局有力な情報が得られないまま日暮れとなって、
疲労困憊になりながら入った本日十数軒目の床屋。

4.
もう既に剃れる髪も髭もなく、
「いっそ植えてほしい」と悲鳴をあげる熊五郎。
待合場で例によって「瀬をはやみ〜」と歌い出す。
ちょうどそこへ入ってきたのが棟梁風の男。
急いでいるので先にさせてほしいと先客に頼み、
髭を剃ってもらうことになった。

3.
その男によると、主家のお嬢さんが今日明日とも知れぬ身。
そしてその原因は、
お茶会帰りに高津神社の茶店に立ち寄った際、
さる若旦那に気を取られて茶帛紗を忘れてしまい、
その若旦那に届けてもらったとき余りの名残惜しさに、
崇徳院の歌の上の句を書いて手渡したきり、
恋煩いで頭が上がらなくなったというものであった。
男は、その若旦那を捜し出してくれと
命ぜられてこれから紀州方面へ行こうとしていたのだ。

2.
艱難辛苦(かんなんしんく)の末にとうとう捜し求める娘が判った熊五郎。
その棟梁風の男に飛びかかり、
「その歌を書いてもらったのはうちの若旦那や!」と叫ぶ。
「うちへ来い!」
「先にわしのとこへ来い!」
「お前が来たらこっちは借家五軒に三百両…」

1.
揉み合いになり、
弾みで床屋の鏡を割ってしまった。
「どないしてくれる」と怒った床屋の主人。
熊五郎は、
「心配するな!崇徳院の下の句や!」


0.
「割れても末に 買わんとぞ思う」
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落語 ちはやふる  YouTube & 要約 (4〜0)






4.
あるおやじ、無学なので、
学校に行っている娘に ものを聞かれても答えられず、困っている。

正月に娘の友達が集まり、百人一首をやっているのを見て、
花札バクチと間違えて笑われる始末。

その時、在原業平の
「千早ふる神代も聞かずたつた川からくれないに水 く ぐるとは」
という歌の解釈を聞かれ、床屋から帰ったら教えてやる とごまかして、
そのまま 自称もの知り の隠居のところに駆け込んだ。

隠居もわからないので いい加減にごまかそうとしたが、おやじは引き下がらない。
苦し紛れに
「龍田川ってのはおまえ、相撲取りの名だ」 とやってしまった。
もうここまできたら、毒食らわば皿までで、引くに引けない。隠居の珍解釈が続く。


3.
龍田川が田舎から出てきて一心不乱にけいこ。
酒も女もたばこもやらない。
その甲斐あってか大関にまで出世し、
ある時客に連れられて吉原に夜桜見物に出かけた。

その時ちょうど全盛の千早太夫の 花魁(おいらん)道中 に出くわし、
堅い一方で女に免疫のない大関龍田川、いっぺんに千早の美貌に一目ぼれ。
早速、茶屋に呼んで言い寄ろうとすると、虫が好かないというのか
「あちきはいやでありんす」 と見事に振られてしまった。

しかたがないので、妹女郎の神代太夫に口をかけると、これまた
「姉さんがイヤな人は、ワチキもイヤ」 とまた振られ。

つくづく相撲取りが嫌になった龍田川、
そのまま廃業すると、故郷に帰って豆腐屋になってしまった。


2.
「なんで相撲取りが豆腐屋になるんです」
「なんだっていいじゃないか。当人が好きでなるんだっ。親の家が豆腐屋だったんだ〜」

両親にこれまで家を空けた不孝をわび、一心に家業にはげんで十年後。
龍田川が店で豆を挽いていると、ボロをまとった女の物乞いが一人。
空腹で動けないので、オカラを恵んでくれという。

気の毒に思ってその顔を見ると、なんとこれが千早太夫のなれの果て。
思わずカッとなり
「大関にまでなった相撲をやめて、
 草深い田舎で豆腐屋をしているのは、もとはといえばおまえのためだ。
 オカラはやれない」 と言って、ドーンと突くと…

千早は吹っ飛び、弾みで井戸にはまってブクブクブク。
そのまんまになった。

これがこの歌の解釈。


1.
千早に振られたから
「千早ふる」、

神代も言うことを聞かないから
「神代も聞かず龍田川」、

オカラをやらなかったから
「からくれないに」。


0.
「じゃ、水 く ぐるってえのは?」
「井戸へ落っこって潜れば、水を く ぐるじゃねえか」 
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落語 陽成院  要約 (2〜1)

2.
金さんが横丁の先生に尋ねた。

「筑波嶺の みねより落つる 男女の川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる」
という歌がありまっしゃろ、先生。
この歌の意味を教えて下さらんか。


横丁の先生曰く。

京都の陽成院という寺の前で相撲があったんじゃな。
そこで力士、「筑波嶺」と「男女の川」が取り組みをしたんじゃ。
その取り組みでじゃなぁ、「筑波嶺」が「男女の川」を投げ飛ばした。
すると、「男女の川」は山の外まで放り出された。
その取り組みの凄さに 見物人が わっと大きな声をあげた。
その大きな声が 天皇の耳にまで届いた。
そして、「筑波嶺」は褒美として扶持(※)を賜ったんじゃ。


1.
金さんがさらに横丁の先生に尋ねた

「なりぬる」はどういうことですねん。


横丁の先生曰く。

「なりぬる」はじゃなぁ〜…。
声が積もって扶持になったじゃろう。
勝った「筑波嶺」がこの扶持で、妻娘のために小町香を買って帰ったんじゃ。
すると女どもが、その小町香をべたべたと塗りたくったんじゃな。
だから「なりぬる」じゃ。


アウトラインはこのような感じです。「ちはやふる」と同じパターンです。
「ちはやふる」も「陽成院」も 知ったかぶり を笑う噺です。
こういう噺が落語になるほどに、
「百人一首が昔から、庶民の間に浸透していた」と言うことが窺われます。

・扶持(ふち)
「助ける」という意から転じて、武士が米などを給して家来・奉公人を置くこと。
またその支給される米(扶持米)のこと。
戦国時代以前も家臣に米を給することを扶持とよんでいた。
江戸時代に制度化された。
「扶持」の「扶」は、「相互扶助」の「扶」。
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