百人一首 百首一覧  その1

百人一首 一覧 です。

「この 目次記事」からは、
  歌の意味や解釈・歌人についてなど、5首ごとに簡略的に紹介しているページが参照されます。

百人一首 百首一覧  その2」 からは、
  歌の意味や解釈・歌人についてなど、1首ごと読切り的に紹介しているページが参照されます。


01 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ      天智天皇
02 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山         持統天皇
03 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む   柿本人麻呂
04 田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ    山部赤人
05 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋はかなしき       猿丸太夫
  この5首まとめてのきままな解説(作者概説、意味解釈、語句説明etc)は、コチラ です。

06 かささぎのわたせる橋におく霜の しろきを見れば夜ぞふけにける   中納言家持
07 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも       安倍仲麿
08 わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山とひとはいふなり     喜撰法師
09 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに  小野小町
10 これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関     蝉丸
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11 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟    参議篁
12 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ      僧正遍昭
13 筑波嶺のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる     陽成院
14 みちのくのしのぶもぢずりたれ故に 乱れそめにしわれならなくに   川原左大臣
15 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ      光孝天皇
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16 たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む    中納言行平
17 ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは     在原業平朝臣
18 住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通い路人目よくらむ       藤原敏行朝臣
19 難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや    伊勢
20 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢わむとぞ思ふ   元良親王
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21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな    素性法師
22 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ      文屋康秀
23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど    大江千里
24 このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに       菅家
25 名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな    三条右大臣
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26 小倉山峰のもみぢ葉こころあらば 今ひとたびのみゆき待たなむ    貞信公
27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ     中納言兼輔
28 山里は冬ぞさびしさまさりける 人目も草もかれぬと思へば      源宗千朝臣
29 心あてに折らばや折らむはつ霜の 置きまどはせる白菊の花      凡河内躬恒
30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし       壬生忠岑
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31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪        坂上是則
32 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり      春道列樹
33 久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ       紀友則
34 たれをかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに        藤原興風
35 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける       紀貫之
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36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ      清原深養父
37 しらつゆに風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける    文屋朝康
38 わすらるる身をば思わず誓ひてし 人のいのちの惜しくもあるかな   右近
39 浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき      参議等
40 忍ぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで     平兼盛
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41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人しれずこそ思ひそめしか    壬生忠見
42 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは       清原元輔
43 あひみてののちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり      権中納言敦忠
44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし   中納言朝忠
45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな   謙徳公
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46 由良のとを渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋のみちかな      曾禰好忠
47 八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり    恵慶法師
48 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな    源重之
49 みかきもり衛士のたく火の夜はもえ 昼は消えつつものをこそ思へ   大中臣能宣
50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな      藤原義孝
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51 かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを   藤原実方朝臣
52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな   藤原道信朝臣
53 なげきつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る  右大将道綱母
54 わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな     儀同三司母
55 滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ     大納言公任
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56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな  和泉式部
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58 ありま山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな  赤染衛門
60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立        小式部内侍
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61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな       伊勢大輔
62 夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ      清少納言
63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな    左京大夫道雅
64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木     権中納言定頼
65 恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそ惜しけれ    相模
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66 もろともにあはれとも思へ山桜 花よりほかに知る人もなし      大僧正行尊
67 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ     周防内侍
68 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな     三条院
69 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり         能因法師
70 さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮     良暹法師
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71 夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く       大納言経信
72 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ      祐子内親王家紀伊
73 高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ        前中納言匡房
74 憂かりける人をはつせの山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを   源俊頼朝臣
75 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり      藤原基俊
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76 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波  法性寺入道前関白太政大臣
77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ     崇徳院
78 淡路島かよふ千鳥のなく声に 幾夜寝ざめぬ須磨の関守        源兼昌
79 秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ     左京大夫顕輔
80 長からむ心も知らず黒髪の みだれて今朝はものをこそ思へ      待賢門院堀河
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81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる      後徳大寺左大臣
82 思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり      道因法師
83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる       皇太后宮大夫俊成
84 ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞいまは恋しき  藤原清輔朝臣
85 夜もすがらもの思ふころは明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり  俊恵法師
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86 なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな       西行法師
87 むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕ぐれ     寂蓮法師
88 難波江の芦のかりねのひとよゆゑ みをつくしてや恋ひわたるべき   皇嘉門院別当
89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ることの弱りもぞする     式子内親王
90 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず    慇富門院大輔
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91 きりぎりすなくや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかも寝む     後京極摂政前太政大臣
92 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾くまもなし      二条院讃岐
93 世の中は常にもがもな渚こく あまの小舟の綱手かなしも       鎌倉右大臣
94 み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり        参議雅経
95 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみぞめの袖    前大僧正慈円
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96 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり      入道前太政大臣
97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ     権中納言定家
98 風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける     従二位家隆
99 人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は     後鳥羽院
100 ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり     順徳院
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歌の意味解釈 01〜05番

01 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ     天智天皇
02 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山        持統天皇
03 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む  柿本人麻呂
04 田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ   山部赤人
05 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋はかなしき      猿丸太夫




■01 天智天皇(てんじてんのう、626〜671、38代天皇 在位 661〜671)
中大兄皇子。「大化の改新」の中心人物。 ( 歴代天皇一覧
一般に「中大兄皇子」として知られるが、正しくは葛城皇子。
「大兄」とは皇太子の意で、「中大兄」は「次の皇太子」を意味する。

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ

秋。田んぼのほとりにある仮小屋。その屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、
私の衣の袖は、露に濡れていくばかりです。

百人一首の第1首は、日本の秋、黄金色に実った田んぼの風景から始まる。
天皇が稲の見張りをするわけはないので、
農民の立場になって、その労働の厳しさを思いやった歌?
実った稲、秋の冷気と夜露、といった日本の風景の原点のひとつがイメージされる。
定家は、日本の繁栄と和歌の原点がこの歌にあると考え第1首に置いた?
しかし、「田んぼ」自体を示す「田」の字があるのは、この歌と71番「夕されば〜」。
恋の歌集に、田んぼは そんなには必要ないと言うことでしょうか〜…



■02 持統天皇(じとうてんのう、645〜702、41代天皇 在位 686〜697)
38代 天智天皇の皇女。
40代 天武天皇の皇后。 そして、父崩御の15年後、3代目に女帝(4人目の女帝)として、
41代 持統天皇 となる。 ( 歴代天皇一覧

春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山

春が過ぎて夏が来てしまっているらしい。
夏になると真っ白な衣を干すという香具山なのだから。

白と緑が目に鮮やかな初夏の到来を歌った歌。 藤原京から香具山を遠望しての歌。
「てふ」… 〜と言う。 ⇒ 夏に衣を干す習わしがある’と言う’天の香具山なのだから〜
香具山…奈良県橿原市の山。大和三山(香具山・畝傍山・耳成山)の一つ。 
天上から降りてきたという神話的伝説から「天の」を冠する(枕詞)。
持統天皇の居た藤原京から見て、香具山は東南の方向にある。



■03 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ、7世紀後半〜8世紀初頭)
万葉時代の最大の歌人。下級官人であったらしい。詳細は不明。

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む

山鳥の尾の、その垂れ下がった尾の長々しさのように、秋の長々しい夜を、
独りで寝るのだろうか…。 嗚呼、寂しいなぁ〜。

山鳥…キジ科の鳥。昼は雄雌一緒にいるが、夜は谷を隔てて別々に寝るとされていた。
そのため、独り寝の悲哀をあらわす歌の言葉となった。 
しだり尾…長く垂れ下がっている尾。尾が長いのはオス。
これも、男が「独り寝の悲哀をかみしめているおもむき」を醸し出している。



■04 山部赤人(やまべのあかひと、8世紀半ば)
『万葉集』第三期の代表的歌人。宮廷に仕えた人。

田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ

田子の浦に出て眺めてみると、
真っ白な富士の高嶺に、まさに今、雪が降っている。 おぉ〜絶景だぁ〜。

田子の浦…静岡県の駿河湾にそそぐ富士川河口付近の海岸。
当時、駿河湾の西部一帯をさし、歌枕とされた。 
背景…実際には、山頂に降っている雪は見えない。
しかし、見えている風景に対して ’想像力’ を働かせた歌。
百人一首の楽しみ ⇒ 三十一文字で、想像力を働かせる・イメージを膨らませる。



■05 猿丸太夫(さるまるたゆう、8世紀〜9世紀 ?)
伝説的歌人。詳細不明。

奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋はかなしき

人里離れた奥山で、散り敷かれたような紅葉を踏み分け鳴いている雄鹿。
その雄鹿(牡鹿)の声を聞くと、いよいよ秋はしみじみと物悲しく感じられますなぁ〜。

紅葉踏み分け…主語は牡鹿。晩秋の風景。鹿は古の日本人が多いに親しんできた動物。
背景…牡鹿が牝鹿を求め鳴く声の物悲しさは古の人にとって秋の季節を代表するもの。
牡鹿の鳴き声が「哀しく聞こえる」のは歌人自身が寂しく哀しいからかも知れない。
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歌の意味解釈 06〜10番

06 かささぎのわたせる橋におく霜の しろきを見れば夜ぞふけにける   中納言家持
07 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも       安倍仲麿
08 わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山とひとはいふなり     喜撰法師
09 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに  小野小町
10 これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関     蝉丸




■06 中納言家持(ちゅうなごんやかもち、718?〜785)
大伴家持。父は大伴旅人。『万葉集』の編纂に関わったと言われている。
三十六歌仙の一人。

かささぎのわたせる橋におく霜の しろきを見れば夜ぞふけにける

かささぎが翼をつらねて渡したという橋。
宮中の、その御橋におりている霜が白いのを見ると、もう夜もふけてしまったのだった。

かささぎの渡せる橋…「かささぎ」はカラス科の鳥。肩から胸はらにかけて白、尾は黒く長い。
中国の七夕伝説では、翼をつらねて橋となり、天の川に掛かって
織女を牽牛のもとへ渡すとされた。ここでは宮中の階段をそれに見立てる。
おく霜の白きを見れば…霜が降りるのは深夜から未明にかけて。
その白さが冬の厳しい寒さを感じさせる。
夜ぞふけにける…「けり」には、今初めて気がついたという感動がこもる。
霜の白さを見て、夜がふけたことに気づいたことを表現している。



■07 安倍仲麿(あべのなかまろ、698?〜770?)
留学生として唐に渡り、李白・王維らとも親交があった。
船の難破により帰国に失敗し、唐で没した。

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも

大空をふり仰いで、はるか遠くを眺めると、
今見ている月は、かつて奈良の春日にある三笠の山に出ていた月と同じ月なのだなぁ。

天の原…大空。「原」は大きく広がっている様子をさす。
ふりさけ見れば…遠くを眺めやると。
春日なる…「春日」は現在の奈良公園から春日神社のあたり。
遣唐使の出発に際し、春日神社に旅の無事を祈ったとされる。
三笠の山…春日神社の後方の、若草山と高円山との間にある山。
出でし月かも…この「月」は、かつて見た三笠の山の上にあった「月」をさす。



■08 喜撰法師(きせんほうし、9世紀後半)
宇治山の僧という以外、経歴未詳。
六歌仙の一人。

わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山とひとはいふなり

私の庵は都の東南にあって、このようにのどかに暮らしている。
なのに、私がこの世をつらいと思って、
逃れ住んでいる宇治山だと、世間の人は言っているようだ。

都会の騒がしさや出世競争から逃れて山にこもるのは、
寂しいことであったり、人生の勝負に負けてしまう事なのでしょうか。
そうではなく、自由な心を手に入れることだと考える人は、昔から少なくありませんでした。
この歌は住みかを訪ねられた作者が、山に住む心の安らかさを読んだものです。



■09 小野小町(おののこまち、9世紀後半)
六歌仙で、ただ一人の女性歌人。
絶世の美人と言われ、各地に小町伝説を残す。しかし、その経歴は未詳。

花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに

桜の花の色がすっかり色あせてしまったと同じように、私の容姿も衰えてしまいました。
桜に降る長雨を眺め、むなしく恋の思いに耽っている間に。

ふる…「世に経る(月日を過ごす)」と「雨が降る」を掛けている。
ながめ…「長雨」と「眺め」を掛けている。
「眺め」…「見る」という意味の他に、恋や人生について、物思いに耽ることもさす。
自分の思い通に生きることが難しかった当時の女性達は多くの時間を「眺め」に費やした。



■10 蝉丸(せみまる、9世紀後半)
盲目の琵琶の名手であったという伝説がある。

これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関

これがあの、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、
別れてはまた逢うという、逢坂の関なのですよ。

歌の響きが、いかにもあわただしく逢坂の関を行き来する人々の姿を想像させる。
それは旅をする人々の現実の姿というだけでなく、
一瞬たりとも留まることなく、様々な人々が様々な場所から来て、
出会ってはまた別れるという、世の中そのものの姿でもある。
逢坂の関…「関」は人や物の出入りを監視する所。
「逢坂の関」は、現在の京都府と滋賀県の境にあった「関」。
都から東国への最初の関で、別れを惜しんだ都の人が、この関まで見送る習わしがあった。
蝉丸…伝説的人物。逢坂の関の近くに庵を結んだ盲目の琵琶の名手と言われている。
60代 醍醐天皇 の孫(源博雅)が 三年間通って、
琵琶の秘曲を伝授されたとも伝えられている。
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歌の意味解釈 11〜15番

11 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟   参議篁
12 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ     僧正遍昭
13 筑波嶺のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる    陽成院
14 みちのくのしのぶもぢずりたれ故に 乱れそめにしわれならなくに  川原左大臣
15 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ     光孝天皇




■11 参議篁(さんぎのたかむら、802〜852)
小野篁。参議岑守(みねもり)の子。博学で、漢詩や和歌にすぐれる。
現世と冥界を行き来したなどの伝説が残る。

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟

大海原 遙か、たくさんの島々の方に向かって舟をこぎ出して行った〜
と都のあの人に告げてお呉れ、漁師の釣り船よ。

点々とある小島の間を縫うように進んでいく舟の、孤独な姿がイメージされる。
優れた学者ながら激しい性格だった篁は、遣唐副使に任命されたものの、
大使と争い、天皇の怒りをかって隠岐の島に流罪になった。
この歌は、その隠岐の島に向かう篁が、都に残してきた恋人か家族に贈った歌。



■12 僧正遍昭(そうじょうへんじょう、816〜890)
50代 桓武天皇(かんむてんのう。在位 781〜806)の皇孫。
54代 仁明天皇(にんみょうてんのう。在位 833〜850)に仕え、天皇崩御を機に出家した。
六歌仙、三十六歌仙の一人。

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ

大空を吹く風よ、雲の中の通路を閉じてお呉れ。
天に戻っていきそうな、この美しい天女たちをとどめて欲しいんだ。
今しばらく、その美しい舞をを見ていたいと思うから。

雲の通い路…
雲の上には鳥や月や天女が通る空中の道があると考え、雲の通い路と呼んでいた。
天女…秋の実りを祝う宮中の宴で舞う少女たちを天女と見立てた。



■13 陽成院(ようぜいいん、868〜949。57代天皇、在位 876〜884)
56代 清和天皇(在位 858〜876)の皇子。
9才にして即位したが、精神を患って退位。晩年は和歌に没頭した。

筑波嶺のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる

筑波山の峰から流れ落ちる男女川(ミナノガワ)が、
流れゆくと共に水量が増して淵(深み)となるように、
私の恋心も、時と共に思いは深まり、今は淵のように深い恋になってしまった〜。

何故、筑波山?
筑波山(茨城県)…恋に深い関わりのある山。
古代、男女が歌を詠み交わして求婚する「歌垣」という行事が行われていた。
男体と女体の二つの峰から成ることからの古(イニシエ)の行事。



■14 川原左大臣(かわはらのさだいじん、822〜895)
源融(みなもとのとおる)。52代 嵯峨天皇(在位 809〜823)の皇子。
加茂川西岸に広大な邸宅・川原院を造営。光源氏のモデルとも言われている。
京の都の東六条に川原院と呼ばれる邸宅を構えたので、川原左大臣と呼ばれた。
奥州の塩竃(しおがま)に似せた庭園を造り、
難波から毎日海水を運ばせて塩を焼かせた風流人。

みちのくのしのぶもぢずりたれ故に 乱れそめにしわれならなくに

陸奥の信夫地方で産する「しのぶもじずり」の模様のように、
私の心は、忍ぶ恋のため千々に乱れています。
このように乱れはじめたのは誰のせいでしょうか〜。
私のせいではないです…。ほかならぬ貴方のせいですよ〜。

われならなくに ⇒ 吾なら無くに。「私ではない」と言うこと。「私なら泣くよ〜」ではない。
融の愛情を疑うようなことを言ってきた女性へ贈った歌。
陸奥(みちのく)の信夫地方(しのぶちほう)…福島県福島市。
しのぶもじずり…乱れ模様に染めた布。
異国「陸奥」…現在の青森・岩手・宮城・福島の四県と秋田県の一部を合わせた古い国名。
東北地方全体をさすこともある。「みちのく」とは「道の奥」。
また、交通が発達してない当時、都の貴族にとってはまさに「未知の国」(みちのく に)。
不安と同時に異国への憧れのようなものさえ感じさせる土地だったのかも。



■15 光孝天皇(こうこうてんのう、830〜887。58代天皇、在位 884〜887)
54代 仁明天皇(にんみょうてんのう。在位 833〜850)の皇子。
57代 陽成天皇(在位 876〜884。13番歌)廃位の後、55才で即位。
温厚な性格で学問を好んだ。

君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ

貴方に差し上げるために、春の野原に出て若菜を摘んでいます。
その私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかっていま〜す。

当時の貴族は贈り物に和歌を添えた。この歌はその一首。
七草がゆの元祖…
昔の、健康を祈って正月に春の若菜を摘んで食べる習慣、が七草がゆの元祖。
若い皇子だった頃、ある人に若菜を贈ったのだろう。
若菜の淡い緑と、早春の雪の純白。組み合わせが綺麗。
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歌の意味解釈 16〜20番

16 たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む   中納言行平
17 ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは    在原業平朝臣
18 住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通い路人目よくらむ      藤原敏行朝臣
19 難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや   伊勢
20 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢わむとぞ思ふ  元良親王




■16 中納言行平(ちゅうなごんゆきひら、818〜893)
在原行平(ありわらのゆきひら)。
阿保親王( ← 第51代 平城天皇の皇子 ) の子 。
17番 在原業平朝臣 の異母兄。
第55代 文徳天皇時代に須磨に配流される。

たち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む

別れて因幡の国へ去ったとしても、
因幡の稲羽山(いなばやま)の峰に生えている松ではないが、
あなたが待っていると聞いたならば、すぐにも帰って来ますよ。

いなば…因幡(鳥取県東部)・「往なば」・「稲羽」の掛詞。
まつとし聞かば…「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞。「し」は強意の副助詞。



■17 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん、825〜880)
阿保親王( ← 第51代 平城天皇の皇子 ) の子 。
16番 中納言行平 の異母弟。
六歌仙の一人。 『伊勢物語』の主人公のモデルとされる。

ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは

不思議なことの多い神代でも聞いたことがない。
龍田川の水面に紅葉が散り敷いて、川の水を鮮やかな真紅の絞り染めにしたとは。
なんという美しさだろう。

・ちはやぶる…解説本には「神に掛かる枕詞」との簡単な解説が殆ど。
所がある本に、
「ちはやぶる」の「ち」は、「おろち(大蛇)」や「いのち」の「ち」で、
恐るべき力を持つものとされていた、と書かれていました。
それを見て気になり検索エンジンでチョコッと深入りしてみたのですが、
深入り可能なサイトには出逢えませんでした。
で、この、
『ちはやぶる』は
『「ち」は、破る』として…『強大な力は、信じられないことを起こす』なのか、
『「ち」、早振る』として…『強大な力、あちこちに現れては消える』なのか、
そんなような意味合いなのかなぁ〜と一人勝手に解釈遊びしてしまいました〜。
・からくれなゐ…唐の紅。中国から伝わった紅。
  日本古来の紅色より鮮やかな、大陸渡来の真紅。
・水くくる…川の水を布に見立て、その布を「くくり染め(絞り染め)している」との意。
・落語の題目『千早振る』の要約は ⇒ コチラ



■18 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん、?〜901? 又は 907?)
和歌のほかに書にも優れる。

住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通い路人目よくらむ

住之江の海岸に「寄る」波。
その「よる」と言う言葉ではないが、
どうして恋する人は、逢いに来てくれないのだろう。
なぜ、夜の夢の中でさえ人目を避けるのだろう。

住之江…大阪市住之江区の浜。
72番では、「高師の浜」(祐子内親王家紀伊) が歌われている。
高師の浜…
大阪府は、大阪湾に面する市として、北から、大阪市、堺市、高石市、…となっている。
この内、高師の浜は、高石市(大阪市の南二つ隣りの市)にある。
よるさへや…夜までも
よくらむ…「よく」 ⇒ よける、避ける。「らむ」 ⇒ 現在推量。
なので、「人目よ、くらむ」ではなく、「人目、よくらむ」と区切って覚えるのがよい。
94番「おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみぞめの袖」を、
「わが(私の)、たつそま(「たつそま」という名詞的)に」ではなく、
「わがたつ(私が立つ・住む・暮らす)、そまに(杣山に)」が正しいように。



■19 伊勢(いせ、877?〜938?)
伊勢の守(三重県知事的?)藤原継陰の娘。宇多天皇の中宮 温子に仕える。
紀貫之(35番)と並び称せられることもあった、古今集時代の代表的女流歌人。
家集に『伊勢集』がある。

難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや

難波潟の芦の、その短い節と節の間のような、ほんのわずかな間も逢わないまま、
私にこの世を終えてしまえと、あなたは仰るのですか。

難波潟…淀川の河口付近の入り江。蘆の名所とされた。
ふしの間も…短い節と節の間のように、ほんの短い間も。
過ぐしてよとや…過ごせと仰るのですか



■20 元良親王(もとよししんのう、890〜943)
13番 陽成院 (=第57代 陽成天皇 )の第一皇子。 風流好色の皇子として知られている。

わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢わむとぞ思ふ

どうして良いか行き詰まってしまったのだから、今となってはもう同じことだ。
難波にある澪標ではないが、身を尽くしても (どんな事をしてでも) 逢おうと思う。

わびぬれば…思い悩んでいるので
はた…また
難波なる…難波にある
みをつくし…「 澪標 ( 航路を示す杭 ) 」 と 「 身を尽くし 」 を掛けている。
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