藤原長家(北家・藤原道長の6男)を祖とする藤原氏の流。
御子左の由来は、
長家が醍醐天皇の皇子兼明親王の御子左第を伝領し、御子左民部卿と呼ばれたことによる。
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけて著名な歌人である藤原俊成・定家父子が現れてから、
歌道の家として確立された。以後、御子左家は長く歌壇に君臨した。
定家の子為家は蹴鞠の家としても知られ、その流れは御子左流と称された。
鎌倉時代後期に為家の3人の子(定家の孫)が家領の相続をめぐって争い、
嫡流の御子左家(二条家)、庶流の京極家、冷泉家に分かれた。
二条家・京極家の家系は南北朝時代までに断絶し、冷泉家のみが残っている。
長家(1005〜1064、59才) ⇒ 道家、【忠家】、祐家、證明、…
忠家(1033〜1091、58才) ⇒ 【俊忠】、顕良、家光、基忠、忠円、祐覚、…
俊忠(1073〜1123、50才) ⇒ 忠成、【俊成】、俊海(寂蓮の実父)、…
俊成(1114〜1204、90才) ⇒ 成家 【定家】 覚禅 覚長 静快 定長(寂蓮:養子=俊成ノ弟ノ子)
定家(1162〜1241、79才) ⇒ 光家、【為家】、…
為家(1198〜1275、77才) ⇒ 二条為氏、京極為教、【冷泉為相】、冷泉為守