百人一首 君がため×わが衣手

この2語がからむと少しややこしいです。
どうやら、歌の調子としては「優しい」とされる「15番 光孝天皇」の歌が
混乱を誘います。( 勝手に混乱してるだけですが… (・・;) )


「わが衣手」は、天智天皇(01番)と光孝天皇(15番)、の2首。
「君がため」は、光孝天皇(15番)と藤原義孝(50番)、の2首。

01 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ   天智天皇
15 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ   光孝天皇
50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな   藤原義孝



わが衣手
「わが衣手」は、あとの「助詞」が 「は」 または 「に」で、
「露に濡れつつ」の天智天皇。(秋の歌)
「雪は降りつつ」の光孝天皇。(冬or初春の歌)
1番は、天智天皇で「秋の稲田での状況」を詠っています。
ですが私には、定家が、詠み人知らずの歌を天智天皇の歌としたのかなぁ〜
と思わせるような歌です。


君がため (光孝天皇と藤原義孝について)

・15番 光孝天皇(830〜887、生没年差 57 )は 58代天皇
54代 仁明天皇の第三皇子。
春の七草でも摘んでいたのでしょうか〜。
若菜を贈ることは相手の長寿を願う行為とされていたようです。
相手が女性か男性かはハッキリしてないようですが、優しさ漂う歌です。
『源氏物語』の光源氏のモデルとして、川原左大臣(14番)が有力ですが、
光孝天皇(15番)との説もあるようです。

・50番 藤原義隆(954〜974、生没年差 20 )は 45番 兼徳公の息子
光孝天皇の歌と同じく優しさを感じさせます。
義隆は仏道信仰に厚く、自ら殺生を禁じ、
魚や鳥の肉を一生食べなかったと伝えられ、
心優しい人柄だったといいます。
ただ、974年の秋に流行った痘瘡(天然痘)にかかり21才で早世しました。
26番、45番、50番歌人の関係 は、
26番 貞信公、45番 謙徳公(貞信公の孫)、50番 藤原義孝(貞信公のひ孫・謙徳公の子)。



■関連メモ
歴代天皇一覧
春の七草 ⇒ せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。


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百人一首 月のある歌

「月」が詠われてるのは、12首あります。


07 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも       安倍仲麿
21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな    素性法師
23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど    大江千里
30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし       壬生忠岑
31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪        坂上是則
36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ      清原深養父
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな  赤染衛門
68 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな     三条院
79 秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ     左京大夫顕輔
81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる      後徳大寺左大臣
86 なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな       西行法師


(注) 30番 壬生忠岑 の歌には「月」という文字はないですが、
  「有明の〜」 の 「有明」 は 「有明の月」 を指しているとしました。


これを、「月」「有明の月」「夜半の月」、に分けると次のようになります。


■月 (6首)
07 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも       安倍仲麿
23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど    大江千里
36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ      清原深養父
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな  赤染衛門
79 秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ     左京大夫顕輔
86 なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな       西行法師

■有明の月 (4首)
21 いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな    素性法師
30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし       壬生忠岑
31 朝ぼらけ有明の月とみるまでに 吉野の里にふれる白雪        坂上是則
81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる      後徳大寺左大臣

■夜半の月 (2首)
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
68 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな     三条院




■参考メモ
・旧暦の月名
旧暦での12ヶ月は、
睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、
文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走 。

・有明の月 について
有明の月…夜明けごろ見えている月です。見える方向は余り関係ありません。
下弦の半月(左半分が光っている月)は、午前6時に南中。
下弦の半月より以前(満月寄り)の月は、午前6時以前に南中。…@
下弦の半月より以後(新月寄り)の月は、午前6時以後に南中。…A

午前6時に夜が明けるとすると、
@は、西の空に見える有明の月。 (満月の南中は午前0時)
Aは、東の空に見える有明の月。 (新月の南中は正午)

月の南中時刻は、1日あたり約49分遅れます。月の出、月の入り、も同じです。
太陽はいつもまん丸で、日の出&日没に、月ほどの大きな時間の差はありません。
月は1日でおおよそ50分の違いがあります。そしてカタチも少し変化してます。
それが、月の面白いところで、百人一首にもたびたび登場するのだと思います。
JAXAの「月齢カレンダー」  ← 「今日の月」の画面から「月齢カレンダー」クリックで表示されます。

ですので、サザンが 「 LOVE AFFAIR 」 で歌っている
夜明けの街ですれ違った「月のかけら」は、
東の空に見える27日月くらいだろうと思われます。 (笑)
関連記事 ⇒ 後徳大寺左大臣と ♪LOVE AFFAIR
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百人一首 涙のある歌

「涙」が出てくるのは次の2首です。 この2首の歌人は、2人とも法師(僧侶)です。


82 思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり  道因法師
86 なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな   西行法師



■涙が2首
2首というのは印象よりも少ないです。
「嘆き」とか、「恨み」とかもありますので、
それらがひとつのグループとなって印象づけられたのでしょう。
調べるまでは、百人一首には涙が多いとの印象を持っていましたが、
調べてみるとそうでもありません。
「嘆き」とか「恨み」も、心根は陰湿なモノではなく、
おおむね色恋に関連したモノなので、色っぽくあり、優しく、愛らしいです。


■道因法師と西行法師について

・道因法師(どういんほうし、1090〜1182?)
  俗名は、藤原敦頼(あつより)。 俗名が藤原ですが藤原北家系ではないようです。
  歌道への執着が強く、逸話も多い。90才で歌合に参加したとも言われる。
  この歌は、自らの意思や理性では制御できない恋心を、「命」と「涙」とを対比させて詠んだ歌。
・歌の意味
  つれない恋人のことでいくら悩んだと言っても、
  それで死ぬこともなく、私はこうして生きながらえている。
  それでも辛さに堪えきれず、ついつい涙がこぼれてしまうのですよ〜。

・西行法師(さいぎょうほうし、1118〜1190)
  俗名は、佐藤義清(のりきよ)。
  北面の武士だったが出家。平安時代末期の代表的歌人。
・歌の意味
  嘆き悲しめと月が私に物思いをさせているのだろうか。いや、そうではない。
  そうではないのだが、そうとでも思いたくなるほど、
  月にかこつけるようにして、涙が流れてしまうのです。
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百人一首 たかさご&なら

場所を示す 「たかさご」 「なら」は、それぞれ2首ずつあります。
ただ、地名としての「高砂」 「奈良」は、それぞれ1首ずつです。  

たかさご
34 たれをかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに     藤原興風
73 高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ     前中納言匡房

なら
61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな    伊勢大輔
98 風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける  従二位家隆



■「たかさご」について

34番(藤原興風)の「高砂」は、
  兵庫県の高砂市との説が優勢。
  現在 この一帯は播磨播州工業地帯ですが、
  昔は「松の名所」でした。
  今も一部が景勝地として保存されています。(右写真)

73番(大江匡房)の「高砂」は、
  兵庫県の高砂市とする解釈もあるけれど…。
  「小高い山」 との解釈が優勢。
  砂が高く積もった所とのイメージから。


■「なら」について

61番(伊勢大輔)の「奈良」は、
  古都 奈良。

98番(藤原家隆)の「ならの小川」は、
  京都市北区 上賀茂神社の中を流れる御手洗川(みたらしがわ)のこと。
 この歌の意味:
   風が楢の葉をそよがせている社(やしろ)の夕暮れは、
   秋のように涼しい。
   しかし境内を流れるならの小川で行われているミソギを見ると、
   やはりまだ夏なのですねぇ〜。
 なので、この歌の「なら」は、
 楢の葉と 境内の 小川の名前との 「掛詞」。

 楢…ブナ科の落葉高木。


■「ならの小川」について
上賀茂神社の境内を流れる御手洗川(明神川からの流れ)。
葵祭で斎王代がミソギを行う所。
上賀茂神社の
「食の神を祀る奈良社(ならのやしろ)」の前を流れ、境内の「楢林」の間を流れる事から
「なら(奈良、楢)の小川」の名を残す。

 「ならの小川」には「家隆」の歌碑が立っており、
 その歌碑にはこの故事も書かれている。


■上賀茂神社 関連YouTube (JR東海 そうだ 京都 行こう。 シリーズ)



■上賀茂神社   by Google マップ


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百人一首 久方の×わたの原

この2語がからむと少しややこしいです。
作者の名前も百人一首の中で一番ややこしい(12文字で一番長い)法性寺さんの歌が鍵になります。
しかも、法性寺さんの歌は 11番の参議篁の歌を意識した歌だそうです。


11 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟  参議篁
33 久方の光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ     紀友則
76 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波  法性寺入道前関白太政大臣


ひさかたの
「ひさかたの」については、
紀友則の歌も法性寺さんの歌も、
のどかさ・はれやかさ・すがすがしさ・など晴れがましさや開放感を醸し出しています。


わたのはら
「わたのはら」については、
参議篁の歌は、
悲しさや孤独感を、大海原の広さと釣舟との対比で浮かび上がらせていますが、
法性寺さんの歌は、
「ひさかたの」「わたのはら」双方で
より一層晴れがましさや開放感を醸し出す効果を出しています。
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