自虐史観 毅然たれない日本 5

日本は敗戦国だし、ある程度は謝ることは仕方がなかったとしても、いつまでもいつまでも謝り続けさせられていることに、私は苛立ちを覚えます。中国や韓国の訴えていることが果たして全て真実なのかどうか、自分なりに冷静に問い直し、ひとときの感情に支配されることなく多面的に見つめ直してみようという思考を持たない、無菌培養日本人、短絡思考の単細胞人間、が多くいる限り、今後も日本は謝り続けるのでしょう。結局それが、日本という国の運命(国の選択)なのですから、情けないけれど、仕方ないと言えば仕方ないです。朝鮮(李氏朝鮮。1392〜1910)が、中国への属国意識から抜け出せなかったばかりに、日本に併合もされ、結局は南北に分断されてしまっているのと同じく、日本も、その特性・民族性ゆえに、日本の労力が他国に吸い取られ続けるとしても、それは最終的には、日本自身が採った道(国の運命・定め)なのでしょうから。


南京大虐殺マニアとか、従軍慰安婦マニアとか、強制連行マニアとか、石井731部隊マニアとか、マニアは沢山います。ここでは一応、マニア=全面肯定派としておきます。彼らの資料を見てみると、最初から「伝えられていることは全面的に絶対的な真実である」という結論ありきなのです。マニアの特性なのですが、己の結論(仮定)に従って、資料をこれでもかこれでもかと言うほど「証拠だ!」として集めまくるのです。誰もそんなもの全てに目を通すわけではないのに。希に同調者が表れたとしても、資料の殆どは己の自己満足です。彼らの考え方に欠けているのは、「だからどうしましょう」という将来に向けての展望です。いや、彼らもそう言うものを持っているのを私は理解してます。それはどういうものか。つまり、「永遠の恨み辛みの語り継ぎ」「永遠の土下座の推奨」とほぼイコールです。

そんなネガティブなことに夢中になって何が楽しいのって思ってしまいます。まぁ、ひとそれぞれですので仕方ないですが。全部が全部、思想的に染まっているとはいえ純粋日本人が書いたものではないでしょうし。と言うのは、中国の工作員が日本人のマニアになりすまし、「一生懸命、ネットにアップしている」可能性もなきにしもあらず、と考えておくのもリテラシーの上で大切ですから。

要は、どう突き詰めても、何が真実か分からないので、最終的には、自分自身が、今の日本をどう思うか、中国や韓国や北朝鮮や台湾、など隣接国をどう思うかですね。そして、自分はどこの国に生まれ、どこの国に一番お世話になっているのか、どこの国を最も好きなのか、の考えがあるか無いかです。日本人は、相手を憎む恨むという感情は長続きしないのですが、どうやら、中国や半島国は、現状での色んな要因も相まってでしょうが、とりわけ日本への、憎しみ恨みつらみをあえて持続させてる傾向が伺えます。

歴史を全体的な「時の流れ」と捉えて、その流れを全体的に考察し、将来への糧(かて・教訓)とする、という姿勢が彼らマニアの資料からは感じられません。要は歴史的事実の歴史的探求ではなく、彼らマニアのやっていることは、ほぼ、己のコレクションを自慢したいだけ、なように私には見える。つまり私の結論は、「時代の流れや国家間の駆け引きなどを全く意識してないかのような 彼らの資料 に深入りしても余り価値はない、時間の浪費的要素の方が大きい。最終的には主観の相違に帰するのだから」、です。

マニアのやっていることは「私は幽霊をこの目でハッキリと見た!」と言っているようなものです。私は、「アンタ達は、当時の世界を雲の上からすべからく冷静に眺めていたのか?」と問いたいよ。今の世の中でも真実が闇に葬られている事案ってアマタとあるのに。


ほんとに嘆かわしい。相手(中国や韓国)のこざかしさや狡猾さを一顧だにせず、ただただおのれたちの、ちっぽけな正義感と情緒的自己満足で、日本全体の国益や尊厳など全体的バランスの下に考えられない日本人が、今なお少なからず居ることが。こういう事を考えると、「アメリカが原爆投下は正しかった」と言い続けていることが、とてもよく理解できる。そう言わないとアメリカ国民を納得させられないから。勿論、それよりもっと以前に、「白人は有色人種を自分たちと同等の人間と思ってないから、原爆で日本人が何人死のうが日本の自己責任だ」 とぐらいにしか思ってない可能性は大ですが・・・。日本ぐらいのもんです。「ただ、謝ってくれれば良いんです」なんて思っているのは。思うに、世界一般では「謝れば必ず賠償が伴う」、あるいは、「一度謝れば、さらに次々とつけ込まれる」のが現実です。現に、中国や韓国は、そういう方針・戦略の下に、どれほど日本から、金銭や技術を貪り続けてきたことか。いいかげん、無菌培養の自虐史観好きの日本人は、己達のちっぽけな正義感や自己満足に浸りきる「井の中の蛙」を脱して、相手のしたたかさこざかしさを意識した上での、多面的な目を持つべきです。


私の思いますに、今の日本のひ弱さは、「単眼的・近視眼的に、他人(他国の人)に良く思われたい」という一種の「無価値な欲(自我)」、「勝手な思いこみ」「独りよがりの考え」、が元凶でしょう。国の評判が悪くないと言うことと、国が尊敬されている(=国の力[資質や能力]が国家間で肯定的に認められている)と言う事は、同じでありません。小馬鹿にされているから、シーシェパードのようなゴロツキが日本にまとわりつくのです。ほかには、単なる国内問題に過ぎない靖国神社参拝問題などの様なことに、隣国達がいつまでもいつまでも調子に乗ってイチャモンを付け続けるのです。一体イチャモンを付けている彼ら自身、そしてイチャモンを付けられている日本人自身のどれほどの人が、靖国神社の本質を知っているというのでしょう。ほとんど単に、イチャモン付け遊びを利用し翻弄されているだけじゃないですか。イチャモンを付け続けたら困るのは相手国も同じなのに、日本は「ここで自分が一歩引かなければ自国だけが痛手を被る」んだと、おびえ思い込んで、結果的に長期的な損を積み増しし続けているのです。そう考えると、現在の日本にとっての国際的なうっとうしさの多くは、ある意味、日本自身の自業自得です。この自業自得を脱する気概を持てれば、日本は国際社会において、もう少しは大人となれるのでしょう。


はたして、母性的特質の濃い国家・母性民族に、それができるかどうか・・・。国家というのは一般的には、父性的・男性的な存在です。俯瞰的に、全体的な情勢を意識して、常に他者との駆け引きで、己に利をもたらそうと図っているものです。そのために、どの国でも、スパイ(諜報)は国家にとって必要不可欠な作業であり機関なのです。国家的に重要なことに対しても頻繁に、平面的に、好いた惚れた、嬉し悲し、可愛い・可愛そう、と言うような女性的母性的判断基準でのみ動いているかの様に見える国は、世界の主要国の中では、日本ぐらいのものでしょう。このように見える日本の特質・民族性は、大局的には、日本自身にとって、「小さな損を続けさせられる業(ごう)・性(さが)」ではあっても、決して「大きな徳」ではありません。


そしてなによりも、日本が日本自身で、首相の首を毎年のように変える体質から、出来る限り早く脱しなければ、何事も始まらないです。それは政治家の無能振りを嘆くばかりでなく、有権者自身の成熟も必要とされているはずです。一例としてテレビニュースなどでの、靖国神社参拝閣僚に対する「公人としてのお参りですか、私人としてのお参りですか」なんて言う馬鹿げた報道(インタビューシーンの垂れ流し)などやめさせるべきです。きっと、インタビューしている若い記者は、その質問の本質的な意図など殆ど何も知らないでしょう。ただただ、上司から、「これだけは聞いてこい」と言われてオウム返ししているのが実体のはずです。そして、その上司も、究極的かつ本質的な、その質問の意図など知らないのです。「靖国神社報道画像=この質問を画面に入れる」、それが彼らのルーチンワークとなってしまっているだけです。パブロフの実験の「犬のよだれ垂らし条件反射」と全く同じ。あの報道の本質は、閣僚の靖国神社参拝に対するイヤガラセです。そんな馬鹿げた報道を、一体どれほどの日本人が望んでいるというのでしょうか。


マスコミは決して、有権者ではないのです。マスコミが己達の身勝手で日本の政治家を振り回す権利など無いのです。マスコミは、己達の体質に対する自己責任の言及は一切しないのに、他者に対しては、いつもいつも条件反射的に馬鹿の一つ覚えのように「責任はどうとられますか?責任はどうとられますか?」と聞くのです。いいかげん、いつもいつもおきまりの、ナンの知的レベルも感じない馬鹿げた報道など、うんざりです。


批判に曝されながらも、任期を全うする総理が、そろそろひとりぐらい出てきなさいよ〜、まったくぅ。それも責任の取り方の一つでしょうに。これだけ次から次と首相の顔が変わり続けている国なんだから。誰がやっても一緒なぐらい、当面、日本の政治レベルは代わり映えしないだろうから、外国人参政権や人権擁護法案を議題に載せないのなら、別に、菅直人首相(民主党政権)でも良いからさぁ。別に不景気だからと言っても、大量の日本人がどんどん死んでいるわけでもないんだから。不景気とは言っても皆さんそれなりに、小綺麗に楽しそうに暮らしてるじゃないのよ。今の私のようにインターネットも楽しめてるし・・・。マスコミの言うがままに、チマチマしたことに翻弄されてる大衆も大衆だよ。


日本が日本人が日本社会が、自虐史観に浸らされ続けているのは、完全に、
「 現在の日本自身の落ち度 」 以外のなにものでもないです。  
「 相手国及び物事に対して、毅然とした態度をとる、勇気・気概・割り切り・決断力 を自ら放棄してる」 
からです。
結局こういう事(傾向・特質)は、自虐史観うんぬんばかりでなく、同時に、
潜在的な能力・資質が十二分にあるにも関わらず、日本の不景気を長引かしている原因でもあるのです。


『自虐史観 毅然たれない日本』 シリーズ(1〜5) 終わり。

posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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