自虐史観 毅然たれない日本 4

私は、日本人の心の底に、ある種の信仰 とも言える 『八百万の神教(やおよろずのかみきょう)』、という意識があるのだと、思っています。この、一種の宗教観とも言える「意識」は、アニミズムとか原始宗教とも言われます。動物のみならず、木や石に至る、この世に存在する全てのもの、すなわち「森羅万象」に、魂が宿っていて、それを敬い・感謝する、という感覚です。

日本人のこの意識が言動となって表れるとき、「森羅万象のあらゆる対象に感謝の気持ちを捧げる。あるがままを素直に認める・受け入れる。敬語という言葉の様式はあり、能力差による序列は認めるけれど、根本思想において人間同士(=人種間)の主従意識・上下意識は殆ど持っていない」という姿勢・態度・反応になるのでしょう。産業用ハイテクロボットにも「百恵ちゃん」とかの愛称をつけて、親しみ深く大切に接する態度なども、その典型例です。

日本の、「この意識」 と 「列島という地理的特質」 が、民族性や行動様式において、お隣の大陸国や半島国とで、大きな違いを呈する、根本要因であると、私は思っています。

これはまず、まぎれもない事実であり、他国との顕著な違いです。
これが、19世紀後半ごろからの欧米の大植民地政策の怒濤の中、いち早く欧米化という近代化に踏み切り、明治維新を成し遂げたのです。この才能&資質は決して、今の日本に消滅してしまった才能資質ではない、と私は信じています。



中国大陸や韓半島の人々は、事実よりも「物語や自尊心(←実体は、自尊心と言うよりも、日本的価値観からすると、それより少し次元が低い、気位[ケチなプライド≒中華思想])」に より重きを置き、日本は彼らに較べると「事実や時流」に より重きを置く。なので、中国や韓半島国は、事実でなくても自尊心を満足させうる歴史教育を良しとしてしまうし、日本の場合、自尊心をさほど満足させなくても、自虐史観という「ある種の時流」を、歴史教育の基本にすえてしまう。そんな民族性の違いが、現在の歴史教育の国家方針にも違いとなって表れている、ような気がします。そういう、大きな違いがあるにもかかわらず、彼らは己達が創作した歴史観(とりわけ近代史においてフィクション的要素が多分にある歴史観)を日本に押しつけ、「歴史を学べ歴史を学べ」と繰り返す。中国や韓半島国も、本当の意味での歴史教育をしてないにもかかわらず。そして、日本は日本で「自国の歴史をろくに知ってもないのに、と言うか、知ってないからこそ、中国や韓半島国の言い分をなかば鵜呑みにする輩(←無警戒で呑気な純日本人)を増殖させている」。


韓半島も日本も大きな国ではないので、基本的には覇権意識は薄く、どちらかというと「長いものには巻かれろ」意識があると思われます。結局、基本的には同じその意識が、韓半島の場合は、その地理的歴史的特質から、自分たちの土地を、長く中国の冊封国的状態にあまんじさせてしまい、日本の場合は、戦後、自虐史観に浸りきる時期を長く続けさせている(なかば、戦勝国達の圧力による、強制ではあるけれど、日米安全保障体制という、対米冊封国[米国の属国思想]。有史以来から、先の大戦の大敗以前の日本は、決してそんな意気地無しの国では無かったのに・・・)、とも思えます。いずれにしても、日本も中国も韓半島国も、正当な歴史教育をしていないことだけは確かです。ですから、このいずれの国の人々にとっても、個人的好奇心で歴史情報を散策するのが、正当な歴史認識を得るための一つの道とも言えるでしょう。もちろん、国家がネット情報を筆頭に、情報統制をしていない事が、大前提となりますが。


ともかく、日本社会は、戦後のGHQの戦略に感化されキッテしまいました。そのため、純粋な日本人に、自虐史観に染まり込んでいる人々が、少なからずいます。情けないことに、それが日本人の顕著な特質の一つなのです。あとさき考えず、「まず最初に謝りの言葉を発すること」、それが善だ・相手に評価される事だ、と思い込んでもいる民族なのです。日本人同士ではそれは別段問題はないでしょう。でも相手が日本人以外ならばそうではない。まして相手が、そう言う日本の特質を重々承知の上で、敢えて作為的に利用しようとして、歴史問題を展開しまくる国家なら、なおのことです。今まで、日本は充分謝ってきたし、その代償として巨大な援助もたくさん残してきた。なのに今後もさらに、謝まされつづけるのは、もう完全に、「現在の日本自身の落ち度」以外のなにものでもないです。 つまり、「 相手国に対して毅然とした態度をとる、勇気・気概・割り切り・決断力 の無さ 」 です。


今の日本の情けなさ(優柔不断さ)を象徴する人物が、前首相の鳩山由起夫氏でしょう。そう言う意味で、『時代はその時代にふさわしい人を産む』というのは、実に説得力のある強烈な真実です。ただし、私も「先の大戦時などには日本の軍部に一部の暴走はあっただろう」と思っています。でもそれは、戦争をしている国家ならいつの時代でもどこの国でも殆ど同じです。つまり、普遍的な、人としての実体・真実・行動特性 をごく自然に思いめぐらせば、だれしもが当然行き着く結論のはずです。民族差や人種差なんてありません。戦争で出てくる残虐さ残酷さ悪魔性は、神や仏ではない人間という動物、が潜在的に持っている動物的本性なのですから。そもそも、戦争というものが人をきちがいにさせるものなのですから。でなければ、人が人をナンの罪の意識もなく平然と殺せるものではありません。まして一般市民を一瞬のうちに、何万人・何十万人と殺戮して、(by 広島長崎への二発の原爆&日本のあまたの大都市への絨毯爆撃)、平気で居れるものではありません。そもそも、そういう大きな争いの種を東アジアにまいたのは、「欧米列強のアジア侵略」(彼らの大植民地化政策・彼ら白色人種達の東アジアぶんどり合戦)なんですから。


それまでは、日本中国朝鮮は、それなりに平和と言えば平和だったんです。欧米列強が東アジアをかき回した結果、中国や韓国が、より一層偏った政治体制となり、彼らに、日本に対する異常なまでのねたみと狡猾さを残させ、日本を責めて責めてせめまくるという国家方針・国家体制を産ませたとも言えます。多くの自虐史観で自己満足に浸っている日本人は、そういう一面をまったく意識することもない人種なのです。自分たちが素直に謝れば相手は、矛先を収めてくれると馬鹿みたいに信じているのです。中国や韓国の民族感覚は、その国家体制の未熟さやゆがみゆえに一層ねじまげられ、日本人の価値基準とは大きく異なってしまっているという意識(事実認識)が、彼ら無菌培養自虐史観日本人には無いのです。中国や韓国の訴えが、謀略による誇大化プロパガンダによるところも大きい、という考えなど、彼ら無菌培養自虐史観人は、頭の片隅にも置けないんです。実にお人好しなマヌケと言えばマヌケな、幼子(おさなご)的考えの持ち主の皆さんです。


彼ら自虐史観人には戦略などありません。ただただ、オノレのちっぽけな正義感と感情・情緒に自己陶酔しているだけの人種です。他の民族の全体的特性を洞察することもなく、己達が自国の墓穴を掘っていることに気づかない人種です。ちなみに私の思うに、嘆かわしいことに日本は全体的傾向として、女性的・母性的国家です。全体的なバランス感覚よりも、情緒的感情的判断、いわゆる「 その場限りの刹那的な、” かわいそう感覚 ” 」 が優先されがちな民族です。日本単独では別段悪くはない特質でしょうが、こと、海外の国が絡んでくると、自国の損失をより大きくさせるし、自国の利得を余り大きくさせない、特質と言えるでしょう。無口でおとなしく内気で素直な、可愛く賢い世間ズレしていない女性。そう言う女性をイメージすれば、まさしくそのイメージは今の日本の国際的な姿でしょう。

自虐史観を自虐史観とも思わず、その内容に絶大なる信念を持っている純粋日本人は、きっと、反捕鯨の映画 ” The Cove ” で猿芝居よろしく涙している、雇われ白人女優と同じ価値観・知的レベルの持ち主なのでしょう。ワケも分からず、全体的な背景も知らず、知ろうともせず、ただただその場で涙を流せば、流されれば、訴えている意見に同調させられると思っているし、同調してしまう、そう言う単純な人種です。悲しいかな、現実社会は、財力と活力にものを言わせた「そう言う情緒戦術」をとったものが勝者になりがちなのですが・・・。


在日の方の内の、一部のたちの悪い人種や、中国や韓国の陰湿な反日教育に洗脳された単純な大衆は仕方ないです。彼らは彼らなりに、彼らの属する組織や国の存亡をかけて、そういう思考を埋め込まれたのですから。しかし、何も日本人自身が日本を陥れる行為に荷担する必要など無いのです。ほっておいても彼ら自身が(中国、韓国、北朝鮮?、世界抗日戦争史実維護連合会[略称=抗日連合会]在日の総連、在日の民団、街宣右翼[=構成員の多くは在日]、などなどが)、一生懸命それをし続けているのですから。私は、日本人の一部に、「他人が自分の家の墓周りをある種の悪意(ひつこい恨みつらみねたみ)を持って荒らし続けているのにソヤツらに荷担する」、なぜそういう人が少なからずいるのか、情けなく苛立ちを覚えてしまいます。


なかば国の誇りをかなぐり捨てたかのように、何の疑問意識も持たず主体性も持たず、自虐史観に浸ることは、単に、利己的な利権に固執しているか、怠慢による自己満足、に過ぎない。そのような固執や怠慢は、決して、戦争を避けよう、戦争を未然に防ごう、という心情や行為と同類のものではない。お互いに、事実を冷静に分析し、至らなかった点も含めて、自国の歴史を尊重する姿勢の上にこそ、他国の歴史も尊重し、自国民のみならず他国民も尊重するという強さ・余裕が生まれるものだ。そいう気持ちを国民に醸成させることこそが国がなすべき本当の歴史教育のはず。今のところ、日本は当然のことながら、中国も韓国も、そういう本質的な歴史教育を、決してしていない。

posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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