自虐史観 毅然たれない日本 3


上の動画のタイトルは、『国旗の重み〜命懸けで日の丸を守ってくれたイラクの人〜』です。
是非、「ダブルクリック」×2 して、フルスクリーンでご覧になってみて下さい。
この動画のオリジナル文は ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/g-f2.htm#11
これの、韓国版は ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/v-f0.htm
同じく、中国版は ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/u-f2.htm#4   ← 蒋介石 談
これらの親urlは ⇒ http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/menu00.htm 
⇒ 「マスコミが伝えない日本の評判」  は、初期画面の左上角部分で地域を選択するようになってます。

以上の内容と、以下の記述内容(本記事の本文)とは、直接的には関係ありません。


人は己が関心無い事に関しては、一般に、通り一遍の情報で満足するものです。それが真実かどうかなど感知してません。なのに、そういうおぼろげな認識しかないにもかかわらず、事の判断を求められたら、その貧弱な認識と判断基準のもと、たんに、感情的情緒的な判断のみで対処するんです。人は、己の関心無いことに関しては、全体的なバランスをも考慮した冷静かつ合理的判断など、するわけ無いのです。


今の日本は、貧弱な自虐史観教育と、善なる好奇心での歴史認識の見直し派が混在している状態と見受けられます。一方、中国や韓半島では、国家は馬鹿げた反日教育に奔走し、国民はそれに何の疑問も感じず、自国の歴史への自省を疎ませている。つまり、「日本も中国も韓半島もまともな歴史教育などしてない」 というのが私の認識です。 なので、歴史認識は「個人の好み」に帰着せざるを得ない、と考えるに私は至ったのです。つまり、個人レベルでの歴史論争は馬鹿馬鹿しいにも程がある。色盲どうしが色調を論じあっているようなもの。歴史家や評論家でもない限り、適当に好みの合う者同士、論調の合う者同士が「そうだねそうだね」と談話するのが進歩は無いですが精神衛生上、平和で健康的です。個々人の歴史認識は、その人がどういう交友関係を持っているか・思考パターンをしているかで、ほぼ決まってしまうのですから。


歴史というのは、近代現代だけで判断するものではなく、過去現在未来の時間軸を意識して考えるべきものだと、私は思うに至りました。特に自国の歴史に関しては次のように思っています。過去を他国がどれほど貶(けな)し責めたとしても、自分たちとしてはそれを過度には責めない。自分たちには自分たちなりの正当な理由があったんだと秘かに思い続ける。未来(将来)については、将来に自国の価値が過度に損なわれることの無いよう、常に配慮を怠らない。つまり、先祖の価値を学び尊び、そして、子孫にその価値を受け継ぎ、子孫を守る。そのための認識(共有情報)が自国の歴史認識であり、そういう認識を持つためのジャンルが自国史だ、とも言えると私は思うに至りました。ただし大原則があります。そのための手段として、他国を責めて責めて責めまくるという、国として「現代においての狂気の極致」のような手段は決してとらない。それはつまり究極的に過去の過ちを誘発させる導火線ともなるのですから。現実問題としては、中国や韓国は、その国家体制の未熟さやゆがみのゆえに、この手段を採り続けています。


科学技術という文明はまだまだ発達するのでしょうが、普遍的な文化、全世界的な共通の価値観・価値基準、など育ちようが無く、世界は太古の昔と何も変わっていないと言えなくもないです。財力という武器で、弱肉強食しあってる、ある種「原始社会」のまま、とも言えなくもないですから。技術・文明は進んだと言っても、国家という存在が、「最高かつ最大のわがままの権化」としてお互いに暴走し合っているのが現実。おそらく、国家を筆頭に、人が構成する組織というのは、未来永劫、そういうものでしょう。神や仏ではない「人間」の、性(さが)と言えば性です。洋の東西を問わず、人の愚かさ・業(ごう=「徳」の反語) です。なのに日本だけがいつまでもいつまでも、お馬鹿な善人・独りよがりの有徳の君よろしく、己達の視野狭窄の目で見ただけの「事柄の表面的現象」に対し、全体的背景や裏で交錯している策略など一顧だにすることなく、ペコペコペコペコ頭を下げ続けようなんて、一体何を考えているのか、この日本の無菌培養自虐史観人達は。


私には、自虐史観の人々が 「歴史は1945年から現在まで!」と思い込んでいるかのように見えてしまって、馬鹿馬鹿しくて仕方がない。彼らには「相対的な関係性の下に、当時は当時の事情があった」という柔軟な姿勢、歴史認識に臨むにあたっての偏りの無さ、ある種の割り切り、が感じられない。「とにかく日本が悪かった誤っていた・日本は劣っていた残酷であった野蛮であった」と凝り固まっていて、その好みに従って各種情報を収集するのだから、そりゃぁ、そういう風に世界が見えてしまう。相手が「日本が悪かった、残酷であった・残忍であった・非人道的であった・高圧的であった・侵略者だ!」と訴えているのだから、「きっと当時の日本全体がそうであったのだ!」と思い込んでしまえる単細胞人間なのです、日本の自虐史観大好き人種は。そして挙げ句の果てに、「こんなことがあったのか、それは謝りに謝り尽くさねばならない」と愚かにも思い込んでしまうのです。日本の自虐史観人達は。情けないかな、相手の狡猾さにまんまと載せられるのは、当然すぎるくらい当然の結果です。海洋によって無菌培養的に育った日本の民族性と、策略・謀略にウン千年の歴史を有する大陸国中国、そしてその属国に甘んじ続けることを国是としてきたような半島国のひとつ韓国の民族性。実に明瞭な「民族性の違い」の典型例です。


嘆かわしいことに、日本の自虐史観人達は、のっけから色めがねを掛けられて、エセ資料を次から次と見せつけられて、そしてそれら全てを単純に真実だと信じ込み、ただただ、恐縮しまくる。相手側にしてみれば、実に御しやすい人種です。策略を練った相手側の本心は「こいつらは馬鹿だよ」にほぼ等しいでしょう。赤色のめがねを掛ければ、赤い文字は見えないのです。そのうえで青字でかかれた資料ばかりを、見せつけられ、これだ!これだ!とばかりに喜び勇んで収集し思考を懲り固めさせていくのですから。しかも、彼ら自虐史観人は自分が色眼鏡を掛けていること、掛けさせられていることを、意識すらすることも無い。騙している相手国としては、その幼さ加減を腹を抱えて笑っていることでしょう。彼ら自虐史観人の幼さ、罪深さは、宗教に染まり始めた若者と同じだし、新興宗教にはまりこんで、資産財産の散逸行為や他者への犯罪行為への判断感覚がすっ飛んでしまっている輩と殆ど同じ。そう言う輩の話す内容なんて、何の面白味も説得力も無い。私には彼ら自虐史観人は、物事を、より全体的に&より多面的に、少しでも偏りが少なくなるようにとらえようとした結果としての説ではなく、最初に結論ありきの説を、得意満面にひけらかせる、いわゆる単細胞人種(おめでたいひと)です。『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者アイリスチャンと同じ。つまり、病人(やみびと、病的な自己陶酔者)。一を千にも万にも誇大化すること、またその行為の罪深さに、ナンの恥ずかしさも後ろめたさも感じない人種。

でも、一を千にも万にも誇大化することが当たり前と考えているような、中国や韓半島の国々には、このようなぼやきは何の効果もないのでしょうね。ぜひとも日本に毅然とした態度をとって欲しいものですが、また日本は日本で、そう言う毅然とした態度をとらないひ弱な国に成り下がってしまったのです。毅然とすることは軍国化することではないのに。

軍国化を言うなら、中国韓国こそ、ハード(装備)の軍国化より、もっとたちの悪い、心の軍国化を、強烈な反日嫌日侮日教育で、し続けているではないですか。日本が毅然としないから、彼らをますます増長させているのです。ただし、韓国の反日嫌日侮日言動に接すると、憤りを通り越して、むしろ日本に対してなら何をしても言っても良いという、日本に対する甘えと民度(市民意識)の稚拙さを感じ、哀れみさえ感じるほどです。



     
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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