自虐史観 毅然たれない日本 2

ただし、「歴史なんて、突き詰めれば、真実は分からない」 とは言ってみても
また逆に、残された情報の全てが、民衆を欺くための作り話に違いない、と言い切れるものでもありません。
例えば、16代仁徳天皇の「民のかまど伝説」など。

民のかまど にまつわる仁徳天皇の歌とされている歌:
高き屋に のぼりて見れば 煙たつ  民のかまどは にぎはひにけり
この歌の背景となる伝説については、別記事 ⇒ 「昭和天皇・マッカーサ 会見秘話」 をお読み下さい。

「民のかまど」のような逸話は、おそらく中国では語り継がれないのではないでしょうか。彼の国は、いかに相手を殲滅(せんめつ)させるか、己がのいかにのし上がるかという様な方法論や思想哲学はとても立派なものが残っていますが・・・。彼の国の歴史は、そういうものなのです。日本はそうではありません。だから日本の天皇制に日本独自の価値があると私は思うに至ったのです。
 

『 私の、天皇観・天皇制観 』
 天皇が実質的な政治権力の座から遠ざかった鎌倉時代以降も、次々と変わるどの政治的実権者(武家)ともに、天皇家の血を絶やすと言う事は一切考えず、それを何とかしてつなごうと配慮し続けてきたのです。全ての武家が、それほどに、日本にとっての天皇というものの価値を、それぞれなりに何らかのかたちで認め続けてきた結果が、日本の天皇であり天皇制です。伝統というものは、何も、太古の昔から何も変わっていないと言う事ではありません。表面上のスタイルは時代と共に変化して当然です。そのうえで核となる「本質」は変わってない、のが伝統です。そういう背景のもとに、天皇及び天皇家が、今の姿として、日本という国家に残っているのです。つまり、天皇家は天皇家のみで今に至っているのではないのです。天皇家・天皇制は、日本という国に根付いた人々の総意によって、大切に受け継がれてきた家系であり制度なのです。日本にとって日本人にとって、とても貴重な家系(重要無形文化財)です。

 「自虐史観 毅然たれない日本 1」の冒頭で、金閣寺への私の思いを少し書きました。金閣寺(鹿苑寺)を建てたのは、足利三代将軍、義満です。朝廷が南北に別れていたのを統一させたのも、義満です。でも彼は何と、財への執着からでしょうか、日本を中国(当時は明[みん])の冊封国家としたようです。そして、息子を!天皇にしようとしたようです。幸いなことに、日本を中国の配下の国と成り下がらせても、財を膨らまそうなどと考えたのは、日本の歴史で義満ただひとりのようで、明との冊封関係は義満の代のみで終わります。まぁそれほどに財への執着心の強い人だからこそ、金閣寺を残したとも考えられますが・・・。

 息子を!天皇の座につかせるという義満の野望は実らせることは出来ませんでした。日本を明の冊封国家にしてしまうなんて、義満の財への執着の強さを垣間見る思いです。一方、自分たちの血を天皇家に近づけようという例はあまたとあります。さすがに息子を天皇に!というのは、義満ぐらいでしょうか。ちょっと、日本の歴史では、異端的発想ですね。明の冊封下に入るというのと同様です。さすがと言うか何というか、義満ですね。

 娘を入内させ、その子や孫を天皇につかせようとした「時の権力者」は、私自身が百人一首で身近になった人物で例示すると「平安中期の藤原道長や平安後期平清盛」、などを始めとして、あまたと居ます。それらはすべて、天皇家の外戚となり、何とかして天皇家の血統に自らの血統を馴染ませようとしています。決して、天皇家を殲滅(せんめつ)させよう、あるいは天皇家を駆逐して己達の家系がとって代わろう、などとは誰もしないんです・してないんです。もちろん、公家にしろ武家にしろ、為政者となった彼らの殆どは、何らかのかたちで天皇家の血を引いてもいますし。

 これが、大陸国家や半島国家の王朝とは根本的に異なる、非常に日本的な特徴(価値)なのです。また、25代 武烈天皇(古墳時代・AC500年頃の天皇)あたりまで、生没年情報や在位期間に不確かさが多分に見受けられます。しかし、そのような不確かさは、上記したような「天皇家・天皇制の本質的な価値」を根本的に損なうものではありません。

 こういう価値を、たかだか先の戦争で負けたからと言って、「軍国化思想と絡めた 実に下らない 言いがかり」や「爆笑してしまうような 馬鹿げた 人権思想」で、せいぜい数十年生きてきたというに過ぎない、変な思想に染まった現代人が、ほぼ感情的に等しいような形で否定するのは、余りにも愚かしく馬鹿げている、と私は思うに至りました。私にとって彼らの言い分は、「最近雨が少なく黄砂もたくさん飛んできた。そのせいか金閣寺が少し汚れている。見苦しいから金閣寺を焼いてしまえ」、と言っているのとほぼ等しい。

 歴代天皇簡易一覧 ⇒ http://www17.ocn.ne.jp/~cafeaule/rekidaitennnou.htm
&多少ふざけた表現を使っているけど、結構本質を突いていると私が思う、「天皇の価値」論(1〜3)
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html



そう考えると最終的には、歴史観は、ほとんど個人の好み(感情的情緒的価値基準)と同じだと思っても差し支えないと私は思うに至ったのです。要は、国家がいかに「善良なる戦略的国策」として、歴史を扱うか国民に教えるか。そして、国民がそれをどう咀嚼するかです。

勿論、国家の提示する歴史観(=歴史教育方針)は国家の利権と結びついているものでもあるのでしょう。だから日本は日本なりに自虐史観で、一部の政治家や行政官や行政官庁のみでしょうが、担当者や担当部署には、たらふく銭が入ってくるからくりになっているのでしょう。それは、反日嫌日侮日に奔走している中国韓国にしても同じことです。人は思想哲学心情誇りと言うよりも、最終的には利権(お金・銭儲け)で動きますから。

人は決して、お金だけで動くものではないですし、特に明治維新の日本の人々を見てると、日本は素晴らしい国のはずだと思えるのだけれど。今の日本は、豊かに成りすぎたのでしょうか、明治維新の時に登場した「なんとかして国に力を付けたい!もっと立派にしたい!」という燃えるような純粋な愛国の思いで活動したような人々、の登場を期待するのは、もう殆ど無理なのではないかと思われるので。じゃぁ、「そんなこと言うならお前が頑張れ!」と言われても、私に出来ることはせいぜい、このブログに、このように、独り言を書くことぐらいですし・・・。( ←このブログは私なりの、祖国日本への貢献だと思って書いているのですよ。 <(_ _)> )

国家に普遍的な善良さのかけらもなく、ただただ相手国を陥れることにのみに専念し、自国民に或る特定の他国に対する強烈な憎しみと敵意を抱かせ、意識をその一点にのみ集中させ、「自国の歴史の真の姿への関心や・自国の現体制への批判意識」を薄めさそうとの意図を持てば、自国の民をその方針の下に洗脳する事なんて、国家にとって、いともたやすいことです。ただし、その国家が非民主的な、今の日本的価値観からすると、未熟な国家で有ることが条件です。でないと、そんな馬鹿げた下らないことが、出来るわけがないのですから。しかし、他国、とりわけ隣国のそれなりに発展した国を、病的に貶(けな)しに貶し、責めて責めて責め尽くすような歴史認識をその国民に植え付ける事が、長期的に見て、その国にとって本当の意味での得策なのかどうかは大いなる疑問です。と言うのは、そんな愚かな事をし続ければ、辿り着くのは「戦争」でしかないのですから。現にその昔、日本は「鬼畜米英」(きちくべいえい)と言って、先の大戦に突っ込んでいきましたから。現在においては、もう先の大戦(大東亜戦争or太平洋戦争)のような戦争は起こらないでしょうが、それでも平和友好・相互発展の芽をあえてむしり取っているようなものです。素直に得られる協力も、自ら進んで得られにくくしているのですから。愚かな国策です。言うまでもないですが、中国・韓国の日本に対する態度です。たまたま、 ”今の日本の” 政治家や行政官(官僚)達が、馬鹿(=いくじ無しの腰抜け)だから、それなりの援助は得られ続けていますが・・・。



中国や韓国が反日や嫌日で暴走するのは、まさしく彼らが、日本を、つまり、日本の政治家や行政官を、「いくじ無しの腰抜け」だと舐めきっているからです。「自国民をなだめるからお金をくれ」、あるいは、「お金を渡すから、アンタ所の騒ぎを静めさせてくれ」、などという関係がある可能性は高い、と勘ぐりたくもなるほどに、日本にとって馬鹿馬鹿しい状況が毎度毎度繰り返される。

個人が中立的で学究的な関心を持たない限り、国民は義務教育期間で教わったおぼろげな印象を真実だと思い込むものです。よく散見する次の言葉があります 「学校でそう教わった!」。私は、こういう言葉を発する事が出来る人の単純さに、呆れるのですが、大衆の大多数はそう言うものです。私だって、たまたま百人一首を介して歴史に関心を持つようになったけれども、そうでなかったら自虐史観に染まったまま、中国や韓国に謝り続けることが良いことだとばかり思い込んでいたでしょうから。中国や韓国の国家体質や民族性がどういうものなのか、一顧だにすることもなしに。彼の国々の体制もそこの人々も、日本や日本の人々と、そんなには大差のない同じような、社会であり価値判断をする人達の集まりなんだろうと、なんとなく漠然と思いながら。



これはなにも、中国や韓国が悪いと言っているのではありません。中国や韓国のほうが、少なくとも国家レベルにおいては、国際社会の上では大人である(ずるがしこい・したたかだ)と言っているのです。ただしこれは、彼の国々と日本での、民衆の価値基準レベルや精神的な健全さや豊かさレベルは度外視です。あくまで、国家としての、「したたかさ・大人振り」についての言及です。国際社会は一般社会以上に遙かにずるがしこさが氾濫している社会ですので。というのは国際社会には、「国という個人」のわがままの暴走を、制御や制止する機関が存在しないのですから。北朝鮮を見てればよく分かるじゃないですか。あんな感じのゴロツキが街をうろついていれば、一般社会では、普通誰かすぐに警察に通報し、警察が逮捕しに来るものです。つまり、国際社会では、したたか かつ ずるがしこくしないことには、損を被るばかりなのです。一般社会で見てみると、大人は全てが善良な人間ばかりではありません。それなりの年齢の人が、そう言う警戒心をほとんど持ってなかったがゆえに、犯罪や事件に軽率に巻き込まれた場合、世間ではひそかに、被害者にも責任があると思うものです。それが現実です。ましてや、国際社会ではなおさらです。

ずるがしこい。これを綺麗に表現すると、
「宣伝がじょうず。他者を己達の考えに同調させることがうまい」 と言うことです。
日本もへたなわけではありませんが、10年20年スパンの短期戦では日本は勝てません。
私の思うに、日本が滅びなければ、日本の価値観や判断基準は世界のより多くの国から認められる事でしょう。ですが、やれ強制連行だ、従軍慰安婦だ、南京大虐殺だ、やれ人権侵害だなどなど、訴えている側は、己達の祖国の事情などそっちのけで、手段を選ばず、世界相手に日本を責めて責めて責めまくるのを、強烈な基本戦略としているのですから。



日本の民族性は他国の民族性と較べると比較的純粋なのでしょうね。事実を主張すれば通じると思いこみがちな民族なのでしょう。世界の大多数の国においては、どこの国であれ、自国の利益になるならば、第三国の立場がおとしめられる事は、秘かなる歓迎事項なのですよ。人の世も国際社会も同じです。おとしめられている内容が事実であろうがフィクション(大うそ・大ぼら)であろうが関係ないんです。自国に利益があるか無いかです。まぁ勿論、日本自身の歴史認識(自虐史観)も完璧な事実ではないので、日本の歴史教育は事実を教えているとは言えません。でも、敢えて、他国とりわけ、中国韓国に、どんどんどんどん、つけいることを許し続けるような卑屈な歴史を教え続ける国は、主要国では日本ぐらいのものでしょう。



    
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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