百人一首に長く接して来て、そう思うように成りました。百人一首に深く接する遙か以前は、天皇制って「一部の家系の贅沢を公費でまかなう、不公平で無駄な制度だ」と思ってました。しかし、百人一首と長く接してきたお陰で、今の私からすれば「そういう浅薄な天皇制への認識」、を脱して私なりの「天皇制観」を持つに至りました。百人一首のお陰で、それなりに「自分自身の天皇制への認識」(≒一面の自国日本の歴史観)を得ることが出来たと言えます。(これについては、次節 2/5 で、もう少しだけ具体的に書いてます。 ⇒ 「私の天皇制観」 )
ちなみに、百人一首は、
天皇親娘(天智天皇&持統天皇)で始まり、天皇親子(後鳥羽天皇&順徳天皇)で終わります。





私の作った、「歴代天皇簡易一覧表」 ⇒ http://www17.ocn.ne.jp/~cafeaule/rekidaitennnou.htm
ただし、共産党の機関誌 『赤旗』 の記事ですが、次のような意見もあります。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-11-17/2007111712_01faq_0.html の末尾
貴族層はごく一部にすぎず、民衆は天皇崇拝とは無縁でした。平城京の人口は約10万人、貴族は百数十人、下級役人は数千人と推定されています。鎌倉から江戸時代まで、天皇の存在すら多くの人は知らなかったのです。天皇崇拝が強められるのは、明治になって絶対主義的天皇制が成立してからです。
こういう意見に対して、「そうかも知れないなぁ。それもごもっとそうなお話だなぁ」 と言う思いも、頭の片隅に置いておく方が、健全と言えば健全でしょう。個人的にであれ国家としてであれ、ひとりよがりの盲信や暴走を避けるためのバランサーとして。 と言うのは、現在では当たり前な、教育制度・マスコミ・インターンネット、など太古に有ったわけではありませんから。ですから、国家としての共通認識が、一体、どれほどの人に共有されてたか、どれほどの層まで浸透してたか、僅かな古文書の断片や和歌のみで断定できるものではありません、ので。
つまり歴史とはそう言うものです。突き詰めれば、真実は分からないのです。ならば、例え自分が歴史に疎(うと)くても、反日嫌日侮日の歴史マニアに圧倒されなくて済ませるのです。「自分の無知」は決して、「相手の認識・言い分をウノミにしないといけない罪」ではないのです。要は、そう言う場面に当たって、己の無知に怖じ気づかないことが肝心なのです。「あなたそれ、真実だと思ってるの?ノーテンキな人ですね。あなたはすぐに洗脳にかかる人なんでか? どこの国であれ、その教えている歴史の全てが絶対的真実なわけないでしょうに」と言えばよいのです。まぁ実際にこういう言葉を発すると喧嘩になるでしょうから、そう言う気持ちを持ちながら相手と冷静に対話すればよいのです。その後、自分で引っかかった事柄を、本を読むなりネットで調べるなりして、一体どういう見解がちまたで流布されているのだろうと多面的に調べて、自分独自の価値観&認識を持てばいいのです。決して、相手が提供する資料のみで、己の不勉強さを補おうとしてはいけません。相手が提供する資料はすでに、相手の価値観や認識に染まっているのですから。アイリスチャンはきっと後者の手段を採っちゃったんですよね。純粋で一途な女性だったのでしょう。アイリスチャン。中国系のアメリカ人女性。銃自殺したと伝えられてます。「ザ・レイプ・オブ・南京」の著者です。まず彼女の周辺には、バリバリの「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)のメンバーが複数人いたはずです。