韓国の歴史を知るブログ

面白かったので、2008年12月からの全91記事を完読しました。
http://takezawa.iza.ne.jp/blog/
別に私が韓国の一面の歴史を知ったからと言って、一日本人の私を苛立たせる「私にとっての、韓国や韓国人の愚かしく馬鹿げた振る舞い」が改まるわけではありません。今の彼らにしてみれば、彼らの考え行為こそが「絶対に正しい・正義だ」と思っているのでしょうから。ですが、苛立つ相手国や相手国民に、感情にまかせた罵りをつらねても、自分自身のイライラが募るだけです。好きになれない相手ではあっても、その歴史の一面を知ることは、自国日本の歴史をよりよく知ることでもあると思うので、興味深く読みふけってしまいました。


ブログの名
日本と韓国の思想−−この似て非なるもの
http://takezawa.iza.ne.jp/blog/
ブログ説明文
日本人と韓国人はお互いに相手を理解できないでいます。
両国とも儒教の影響を受けているのに何故でしょう。
主に思想史の観点から掘り下げてみます。

ブログ主( 虎頭玄純さん )のプロフィール
サラリーマン生活の最後に、日韓交流関係団体の理事を経験し、現在もその活動に係わっています。最近クラス会などに出ると、必ず韓国嫌いの人がいます。韓国にも日本嫌いの人がいます。嫌われたら嫌うという感情もお互いにあるでしょう。 テレビドラマや観光などを通して、韓国好きの日本人、日本好きの韓国人が増えつつあります。好かれたら好きになれるのかな。 相手国の歴史や文化を知ることが両国民間の一層の信頼をはぐくむ一助となるのではと考え、私なりに調べ、考えながら、連載形式で報告します。


私のお気に入り記事をコメントを含めて、紹介させていただきます。

日本と韓国の思想(その10)歴史教育    2008/12/31
http://takezawa.iza.ne.jp/blog/entry/855585/#cmt です。
韓国の歴史教科書は、通信使が日本に与えた影響について、次のように述べています。
「日本は通信使の一行を通して、先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって、通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした。」

そのように多くの韓国人が信じているので、日本人は時々吃驚します。駐日大使を務めたことのある知識人でさえも、「江戸時代に朝鮮通信使が先進文化や技術を日本に教えてあげた。それが明治以降の日本の発展の基礎となった」と講演中に述べ、聴衆を唖然とさせたことがあります。

1719年に来日した通信使の申維翰(しん いかん 、 シン・ユハン)が著した『海游録』を読むと「朝鮮の文化や技術を日本に教えた」というような事実は読み取れません。詳しくは後述しますが、申維翰は儒教や儒教的秩序や漢詩の水準が朝鮮に比べて劣っていると記述しながらも、日本の経済力と技術力の高さには舌を巻いています。

青少年が自国を誇らしく思うように歴史を教えるのでなく、何よりも正確に事実を教えることが重要ではないでしょうか。
そのことが、歴史から学んで将来の自国の繁栄と国際平和を担いうる有為な人材の育成につながることを、韓国は自覚しなければならないと思う次第です。

日本も上記のことを自覚し、いわゆる「自虐史観」でなく、だからと言って「自尊史観」でもない、難しいけれど「バランス感覚のある公正な史観」を国民が共有化できるよう努力することが大切ではないでしょうか。
 次回から、『海游録』の描写を抜粋して、具体的に日韓の考え方の違いについて考えて行きます。

2008/12/31 12:25  Commented by iza-hidarimaki さん
今日は いつもとても興味深く読ませていただいています。
確か福沢諭吉でしたか 100年先を考えるものは教育をやれといったのを何かで読んだような気がします。自虐でも自尊でもない公平な史観を共有できることが大切と言うご意見に共感を覚えます。しかしこれが簡単なことではなく 改めて教育の重要性を感じる次第です。
  
2008/12/31 14:16  Commented by 虎頭玄純 さん
いつもお読みいただいていると伺い、嬉しいとともに責任を感じます。しかし、責任を感じすぎて肩に力が入ってもいけないので、これまで通り、考えたことを素直に書き続けようと思います。間違ったことを書いたらご遠慮なく突っ込んで下さい。

2009/01/18 14:25  Commented by ana5 さん
韓国の歴史感覚に未熟さを感じます。
どんな国も他国文化の影響を受けず成立するわけがない。
その事を、理解しようとしない半島国家の悲哀は理解できるが、いまだに自国文化の根がわかっていない。
最も影響を与えたのは科挙を利用したリャンパン制度(両班制度)だったと思えます。



申維翰(しん いかん) 『海游録』 概要
『海游録』は、「かいゆうろく」とでも読めばいいのでしょう。読みを書いてる資料には出会えませんでした。
朝鮮通信使が受けたカルチャーショック
  〜 申維翰(シン・ユハン)著/カン・ヘソン訳『朝鮮学者の日本見聞録』(イマーゴ)

水路5210里、陸路1350里、所要時間261日、朝鮮人475人と随行日本人1000人余り…。
釜山から出発し、対馬・大阪・京都・名古屋を経て江戸まで…日本に向かう朝鮮通信使の
人数と旅程だ。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の前まで8回、交流が一時中断した後、1607
年の「丁未通信使」を皮切りに19世紀までに再び12回、日本に朝鮮通信使が派遣された。

非嫡出子として生まれ、25歳のとき国家試験「国子監試」に合格、朝鮮時代の最高学府
「成均館」に入った申維翰(シン・ユハン)も、1719年の「己亥使臣行次」(再開後第9回朝
鮮通信使)で文官「製述官」に抜てきされ、日本を訪れた。これはその記録をつづった本で、
言わば「外交公式使節の日本旅行記」だ。

朝鮮時代後期の知識人が見た日本には、2つの側面があった。戦乱の傷跡がまだ癒えて
いない時期、再び膨張する軍事力と経済力を警戒する一方、文化的には依然として「野蛮」
と見なす考え方がぶつかり合う。「こんなすばらしい景色が何の間違いか蛮族の地にある
とは」という嘆きがその代表例だ。対馬藩主に頭を下げあいさつするのを拒否し、相手が
注意しても「日本」ではなく「倭」(中国などから見た日本の呼称)と呼ぶことに固執する。

だが、この本は当時の朝鮮人の目に映った日本風俗史でもある。日本の性風俗について
詳細な記録を残しており、「男娼」文化にも言及している。著者が「世の国々はどこでも
みだらで惑わされるものを警戒するが、“陽”だけあり“陰”がないのに互いに感じ合い、
喜び合うことができるというのですか」と尋ねると、相手は「学士(文官、申維翰のこと)は
あの楽しさが分からないようですな」と答えたと書いてある。

著者は「かの国の風俗に惑いされるのは分かる」と舌打ちしているものの、詳細な問答を
記録しているのを見ると、とてつもないカルチャーショックを受けていたことが分かる。天皇
と将軍が権力を分担する日本の政治体制を珍しがるのは当然だが、臣下である関白に
ついて「偉人は鋭く、秀逸で、明晰(めいせき)だった。“武”を好む一方で“文”を嫌い、
質素さを尊び、ぜいたくを排除した」と客観的に記述している。訳者は「近代以前の日本
紀行文の代表作で、朴趾源(パク・チウォン)の『熱河日記』と共に朝鮮紀行文学の双へき
を成すに値する」と評価している。  【キム・ソンヒョン記者】


これの補填として、次の記事も完読しました。
明治開化期の日本と朝鮮(1)
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html
これは、
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/  の
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/index.htm  の1記事です。

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/ の冒頭表示内容

この画像の表示内容(文章)は、今の私の思いとほぼ同じです。
ネットなどで目にしてしまう、馬鹿達の罵り合いの受け売りではなく、事実を知りたいのです。

馬鹿達
私にすればそうです。
己がさいた労力で、得た知識でもないのに、
単に己の気が晴れる、好き嫌いで言うところの単なる好きだ気に入った、と言うだけで
お互い、それをあたかも絶対真実だとばかりに無意味にぶつけあう輩達(やからたち)。 日韓双方。
私は日本人ですから、韓国系の輩が書いたであろう日本を見下す内容には憤りを覚えますが
だからといって、そう言う相手に罵声を返しては、どっちも馬鹿だね、って思ってしまう私です。
ただ、日本の私にしてみれば、韓国は地理的歴史的に、
「とても歪んだ価値観を持つに至ってしまった民族なんだなぁ、やっかいな隣国だなぁ」 です。
韓半島民族になんて、日本国として相手になって欲しくないけれど、
無視し続けると、どんどん日本の評価が落ちていくようで、拉致された人々は取り残されてしまうし・・・。
実に、馬鹿馬鹿しく・いらだたしく・歯がゆい隣国達です。
日朝併合した当時の日本の気持ちは、今の私の気持ちと、似たり寄ったりだったのかなぁとも思っています。

どうやら、朝鮮半島の民族性は「事実」に対する探求心よりも
己の自尊心を満足させてくれる「物語」を追い求める民族なんだろう。
それだけなら勝手にどうぞなのですが、難儀なことに、
そのうえに立って「相手を貶す」のだから(中国も同じ・いわゆる中華思想)
貶されるコチラとしては耐えきれるものではない。
 
でもなんとなく、情けなく可愛そうな民族だなぁ、事実に対し正面から対峙できない民族って。
この世は、物語で成立しているのだろうか?
いや、もちろん権謀術数でフィクションを事実のように思わせた方が
短期的には勝利をおさめがちなこの世ではありますが・・・。

なぜか知らねど、
中国の権謀術数(プライド重視・物語好き)には、その緻密さに脅威を感じるけれど、
韓半島国の権謀術数(プライド重視・物語好き)には、憐れさを感じてしまう私です。

まぁ日本人の感覚と中華思想はまったく相容れないからね。
「日本人は民族的な優劣なんて無いよ。努力次第でしょう」って思っている民族だと思うんですよね、私は。
だいたいから、中華思想に浸りたいという感情自体が、日本人からすれば、劣等感の証明ですから。
評価は己がするのではなく、他人がするのです。
己は静かに、気位ではなく、己なりの自信と誇りを持って、事に臨み続ければよいだけです。
気位という邪念は地道な努力を伴ってないので、他を貶したくなるものですが、
地道な努力の上に導き得た自信という一種の悟りは、他を貶そうとはしないものです。

彼らが威張れば威張るほど、日本人は彼らを軽蔑するし、
軽蔑されれば軽蔑されるほど、彼らはますます日本を馬鹿にするし、
日本に対する暴挙にもなんの罪も感じない人が増えるのだろう。
特に、国力がどうしても日本に叶わない半島国人はなおさらだ。


こんな感覚・価値観は彼の国々にはないのだろうか・・・
明治の近代化の遣唐使 「 岩倉使節団 世界一周の旅 」 エンディング

  久米邦武 『米欧回覧実記』

  どの国にしても、
  その発達の根源から見ていくならば、
  急に勃興したものなどない。
  先に知識を得たものが、
  これを後世の人に伝え、
  次第に進むものだ。
  それを名付けて進歩というのである。
動画アップパーソンコメント  明治日本・西洋と出会う
明治新政府の成立からわずか3年。岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文ら、政府 要人が1年10か月にわたり欧米12か国を視察する、世界一周の旅に出た。総勢46名 、平均年齢32歳の若者たちからなる遣外使節、「岩倉使節団」である。 使節団が日本を発った明治4年。日本は国を成り立たせるために必要な制度が未整備で、 どのような国づくりを進めるか、そのビジョンすら定まっていなかった。使節団に課せら れた使命は、日本が近代国家として生き残るための青写真を、欧米の先進諸国から見出す こと。それは日本の将来を背負う若者たちによる、自分さがしならぬ、国さがしの旅だっ た。一行は、初めて目にする西洋文明に驚嘆し、時に思わぬ挫折を味わいながらも、米英 仏の大国から小国まで、その実態をつぶさに観察する。各国の長所と短所を肌で感じた旅 の経験は、単なる欧米の模倣ではない、独自の近代化の道を日本が歩み出す出発点となっ た。 番組では、岩倉使節団の欧米視察の道程を、若者たちが「日本の進むべき道」を見出して いく成長譚の視点から捉え直し、近代日本成立の原動力となった世界一周の旅、その足跡 を描く。

posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/155921481
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。