日本が 朝鮮を独立させた

動画1 「日露戦争の原因は朝鮮!」 を切っ掛けに
動画2 「日清戦争により日本が朝鮮を独立させた」 を見てみたら、面白かった。

(参考情報)
日清戦争、日露戦争、第一次大戦、関東大震災、がほぼ10年間隔で起こっている。
1894年、1904年、1914年、1923年。
明治0年は1867年、大正0年は1911年、昭和0年は1925年。
日清・日露・第一次&大震災は、
明治27年、明治37年、大正3年、大正12年。

次の3件、日中戦争・大東亜戦争の開戦・終戦は、キッチリ、4年間隔。
虐殺が何かと話題にされる南京事件は日中戦争(支那事変)の初頭のもの。1937年(昭和12年)。
原爆がからむ大東亜戦争(米国流に言うと太平洋戦争)開戦はその4年後。1941年(昭和16年)。
原爆投下は、1945年(昭和20年)。
広島が8月6日。長崎が8月9日。両市で約20万人の人々が一瞬又は短期間の内に亡くなる。
8月14日 ポツダム宣言受諾
8月15日 玉音放送
9月02日 降伏文書調印

動画1 「日露戦争の原因は朝鮮!」


上記YouTubeの講演者は「在日特権を許さない市民の会」の会長 桜井誠さん。
彼らの言動は幾分過激だけれど、「日朝間の歴史をかなり勉強している」のは確かである。
それは、彼らが言動活動を過激にせざるを得ないほどに、在日陣営が過激であり、
在日の圧力を受ける邦人陣営(公務員&一般大衆)が、
呑気(認識不足・勉強不足・危機感欠如)だから、なのだろう。

在日特権を許さない市民の会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%89%B9%E6%A8%A9%E3%82%92%E8%A8%B1%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BC%9A

動画2 「日清戦争により日本が朝鮮を独立させた」

動画2の全講演内容は、
前編 http://zoome.jp/aboutjpn/diary/2/
後編 http://zoome.jp/aboutjpn/diary/4/

この前後編のお話は落語でも聞くつもりで聞いてみてみると面白いですよ。
朝鮮半島の人々は半島という地勢的な特徴で、その民族性が形成されたんですね。
それがよくわかるお話です。

同様に考えると、
中国人は中国大陸という地勢的な特徴で民族性が形成されたし
日本人は海に囲まれた列島という地勢的な特徴で民族性が形成されたわけです。
なので私は思います。
基本的に日本人は、おとなしくお人好しで平和好きで好奇心旺盛な民族だと。それは、古来から。
だって、日本の自然風土や気候そして地理的特徴は
有史以来(日本に文字が定着して以来)ずっと同じなのですから。

ちなみに、講師の村田春樹さんは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E6%98%A5%E6%A8%B9

学校で教える歴史は面白くないけど、こういう歴史の話は面白い。
勿論、馬鹿馬鹿しいと冷笑する人も多くいるのだろうけれど。

というのは、歴史マニア・歴史オタクに限って好みが激しいので
つまり、「自分の知識認識のみが絶対の真実だ」と思い込んでいるので
それ以外の見識を馬鹿にして冷笑するのですね。

こちらはただ、お話として面白いと言っているだけなのに。
そもそも、歴史に唯一無二のダレモが認める統一された見識なんて出しようがないのだから、
少なくとも、自国を大切に思いたいなら自国を大切に思え尊べるお話に耳を貸せばよいのですね。
好きこのんで「日本を否定し貶す話に耳を貸す」必要など無いのです。
そんなことは、日本人が黙ってても、
中国・韓国・北朝鮮が、日本人の私達がうんざりするほど、したい放題にしてくれているのですから。
日本人は民族性・国民性として、
冷静な事実への好奇心を持ちはしますが、敢えて相手を貶すようなことは出来ないものです。

ただし、どちらが良いか悪いかは、何とも言えないです。
少なくとも現在の日本の政治・行政は、そう言う日本の国民性の故に混迷&低迷していますし、
韓国は日本憎しでまとまって国力を伸ばせてますし、
中国は中国でいつかは日本を飲み込んでやると、虎視眈々と頑張ってはりますので。


大陸・半島・列島の地政学的民族性(わたくし的こじつけ見解・お笑い見解)
大陸
傲慢で、周りを属国視し、隙あらば暴力的侵略に出てくる。
君主の血統は、一定せず、戦いによってつねに大転換する。
少々の犠牲なんて、体制の維持のためになら、犠牲とも思わない。
知略・謀略(情報戦争)は彼らの得意技中の得意技。うん千年の歴史を持つ。 
孫子の『兵法』 
・敵を知り己を知る。百戦危うからず。
・一番の勝利は、戦わずして勝つことである。 (今の日本はほぼ完璧に中国のこの術中にはまってる)
そして、中国は日本よりはるかに残虐性に関して無頓着。
以上のようなことから「南京大虐殺館」なるアイデア(膨大化プロパガンダ)が浮かんだのだろう。
英国は、こういう中国と1840年アヘン戦争を起こしたのだから、英国もかなりしたたか。
それほどに当時の中国は、今以上の「中華思想」で自分が一番だとの意識に安住してたのでしょう。
半島
独立心が薄く、属国であるほうが平和であるとの意識があるので、
大国の属国であることに余り抵抗感がなかった。
なので、国家の方針が時代時代で日和見的となる。
争いのネタを周囲にまき散らしていることに、当のご本人は一向に気付かない、
もしくは、つねに第三者のせいにする。(責任転嫁体質・罪のなすりつけ体質)
自分たちの中国に対する属国意識の裏返しで、日本を自分たちの属国と思いたがる。
しかし、歴史的事実を冷静に見つめると、それができない。日本のほうがはるかに独自的。
そこで彼らは、日本に対する「ねたみ・うらみ・つらみ・・・」を強烈な怨念にまで昇華させ、
あらゆる手段を尽くす絶大なる半島パワー(反日パワー)を造り上げた。
さらに、日本がおとなしいのを良いことに、彼らは増長し、暴走し続けている。
列島
海で閉ざされているので基本的に他国からの侵略進出には安全。常に平和ボケ。
海が自然と国境を意識させるので、独自的な気風が育つ。お人好し。
相手を差別せず常に全力で「おもてなし」する。
基本的に、周りに気ばかり遣い自己主張が極端に少ない。
ただし、社会体制の急速な変革を得たいときには、素早くその手本を海外に求める。
馬鹿にされても黙っているようで、実は内心むらむらとした怨念を蓄積させる傾向を有している。
それが破裂した時には、本来的に自然な団結力を持っているので、小さいながらも大きなパワーを出す。
(隣国達は深層心理にこれへの不安があり、その恐れの裏返しとして反日教育に熱心なのかも)



■任那日本府(みまなにほんふ)の謎  1〜9
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任那日本府。当時の呼称は倭府(やまとのつかさ)?
日本書紀の欽明紀()に記されている「倭国の統治機関」。
古代朝鮮半島南部の「伽耶(かや)またはその一部である任那」にあったとされる。
実在については諸説があり、正確には分かっていない。しかし、
倭人のなにがしかの集団が同地域に存在していた、との見方が一般的理解となっている。
 29代欽明天皇   
・6世紀・古墳時代の天皇。 在位期間は539年〜571年の32年間ほど。
・33代推古天皇(歴代初の女性天皇)の父親。 欽明天皇&推古天皇近辺の天皇系図


■そして日本が生まれた 白村江の敗戦から律令国家へ  1〜8
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白村江の戦いは、663年。
これに大敗し天智天皇(百人一首1番歌人)は、相手の侵攻に備え都を大津に移した


■岩倉使節団 世界一周の旅  0〜5
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岩倉使節団の米欧各国訪問期間は、
往路(太平洋航路)&帰路(インド洋航路)の期間含めて、1年10ヶ月。
明治4年(1871年)11月12日から明治6年(1873年)9月13日。
 

■脱亜への道 江華島事件から日清戦争  1〜9
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江華島事件は、1875年。 日清戦争は、1894年。
福沢諭吉は、当初は同じ極東人として半島も共に成長して欲しいと願った。
しかしそれを待てば、西洋列強の怒濤に日本も飲み込まれてしまうと感じた。
結局、「彼らの選択は彼ら自身に委ねるしかない」と判断した。
これが、福沢諭吉の『脱亜入欧』という言葉の背景。
ただ、相手に迎合する必要はないけれど、相手の考えを理解するためには
「相手の立場で見ればどう見えるか」という姿勢も必要。
それはまた、自分の理解や認識を深めさせもする。




posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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