古事記 太安万侶 元明 712

『古事記』は 日本最古の歴史書。
太安万侶(おおのやすまろ)によって43代元明天皇に献上された。 (712年・和銅5年・奈良時代)
最初に編纂命令を出したのは 40代天武天皇(在位期間=673〜686) と推察されている。

『古事記』は、上中下の3巻で構成されている。
・上巻 (神話
・中巻 (初代から十五代天皇まで
・下巻 (第十六代から三十三代天皇まで
稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた 『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承・神話も含む)を、
太安万侶が書き記し編纂したもの とされている。

・飛鳥時代 天皇の在位期間   (飛鳥時代を570年頃から710年とする)

・奈良時代 天皇の在位期間   (奈良時代は710年から794年)


天武天皇(大海人皇子・38代天智天皇の弟)の在位期間は、673〜686年、差13年。 (飛鳥時代後期)
(注) 「壬申の乱」 は 672年。
兄・天智天皇の崩御後、その息子(大友皇子・39代弘文天皇)を倒し、大海人皇子が皇位をつかんだ。

「壬申の乱」については、次のサイトの内容が簡潔で面白い。
http://www.ffortune.net/social/history/nihon-nara/tenmu-sokui.htm
核心部抜粋&編集&加筆)
天武天皇の治世は、聖徳太子が始めた「法的な政治体制」 確立の最終段階。

天武天皇が行ったことは次のようなこと。
・律令と歴史書の編纂を命じる。
・八色の姓(やくさのかばね)と新しい位階を定める。
・身分に応じた服装の様式を規定。
・それまで曖昧であった各国の境の策定のための調査を行う。
・占星台を設けて天体観測をさせる。
・仏教・神道の双方を、重視・奨励して両派勢力の融合を図る。

聖徳太子の時代以降、日本では、仏教勢力がどんどん力を付けてきました。
そんな中、天武天皇は、
伊勢神宮で勝利祈願ののち、「壬申の乱」に臨み勝ったなどで、神道もかなり重視しています。
実際、「伊勢神宮の色々な祭祀や制度」は、この時代に始まったのではないかともいわれています。
天武天皇が出ていなかったら、日本は完全に仏教国になっていたかも知れません。
天武天皇は道教などの中国文化にも長けていました。
「おおきみ」や「やまと」に代わって、
「天皇」や「日本」といった漢語が使われるようになったのも、
天武天皇の時代ではないかと言われています。

律令は、「大宝律令」で一つの完成を見ました。42代文武天皇期・大宝元年(701)。
歴史書も、「古事記」と「日本書紀」で大きな完成を見ました。
「古事記」、43代元明天皇期・和銅5年(712)
「日本書紀」、44代元正天皇期・養老4年(720)。

天武天皇は約15年間政務を執られたあと686年9月9日に崩御しますが、
その遺志は41代持統天皇藤原不比等らに受け継がれ日本の政治体制は確立していきます。

&百人一首には、不比等の子孫(そこに嫁いだ女性も含む)が34人いる。
・百歌人中の 藤原族34歌人                 ・藤原北家流れ31歌人 詳細
  


原始から奈良時代の歴代天皇 初代 神武天皇〜49代 光仁天皇


飛鳥時代の天皇系図   (飛鳥時代を570年頃〜710年とする。 30代敏達天皇〜42代文武天皇)


奈良時代の天皇系図   (奈良時代は710年〜794年。 43代元明天皇〜49代光仁天皇)




●古事記  その1
古事記は、712年に献上された、
神話の世界から7世紀の33代推古天皇に至る
天皇の系譜にまつわる話。
原本は名古屋市博物館に保管されている。
奈良時代に完成し南北朝時代に書き写された。
古事記の序文に天皇の言葉が書かれている。
「これまでの歴史書の誤りを削り
 真実を選び、それを後世に伝えようと思う」。
ここで「天皇」は、40代天武天皇と推察される。
背景には古代日本の最大の内乱、
「壬申の乱」(672年)が考えられる。
天武天皇はこの乱に勝利し都を飛鳥に定め(飛鳥浄御原宮)、天皇を中心とする新たな政治を目指す。
天武天皇は、681年、律令の制定を命令。(律令 → 飛鳥浄御原令
天皇が定めた法律に豪族達が従う体制を整え、豪族達のまちまちの思惑を抑え人々をまとめようとした。
序文にある天皇の次の言葉。「聞くところに拠ると諸家の帝紀・本辞には偽りを多く加えていると言う」。


●古事記  その2
そもそも、歴史書の内容は伝承物語から始まる。
所が、伝承内容は部族ごとに違うのが当たり前。
そこで、リーダーが登場すると、
それらから取捨選択され一つにまとめられ、
さらに進み、ある意図の下に文字で残される。
歴史学者の言葉:
「歴史は文字化されることで人々の意識が変わる」。
文字化の段階で、作業命令者の意図が加わる。
そうしてリーダーを軸とした共通意識が醸成される。
古事記の場合(天武天皇)の意図:
・「天皇を中心とした律令国家を造りたい」。
・しかし、さまざまな伝承を放置していれば国家のまとまりが得られない。
・そこで、伝承を一本化し国家の在るべき秩序を構築しよう。
古事記のストーリは、「高天原から神々が下り、その子孫である天皇が国を治める」と言うもの。
では、すべての始まりの「高天原」は一体どこなのか?


●古事記  その3
古事記のストーリー的な意義は、「天の世界は無条件に支配的。天皇家はそこから始まる家系である。だから天皇に正当な支配権がある」というもの。
神話では、アマテラスは弟スサノウの乱暴に辟易し岩の穴に隠れる。すると天と地二つの世界は突如として闇に包まれ、あらゆる災いが起こる。そこで、周りの大勢の神々が協力しアマテラスを戻し平穏を回復する。 ⇒ 「協力の重要性」を暗示。
古事記ではアマテラスの「ある決断」()で、
舞台が高天原から地上へと移る。 ⇒ 「天孫降臨」
) ⇒ 孫のニギニに地上を支配するよう命じた。
このニギニを迎えたのは地上界神 猿田彦。以来、猿田彦の子孫はニギニの子孫(天皇家)と関係を保つ。
(猿田彦を奉る神社が三重県伊勢市にある。実は、猿田彦は伊勢の豪族達が信じてきた土着の神。)
11代垂仁天皇の代、天皇家ではアマテラスを奉る場所を探していた。
その時、猿田彦の子孫が自分の土地を天皇家に献上した。それが今の伊勢神宮の場所。
古事記が暗に説いているのは次のようなこと。
「神の支配の延長の天皇の支配は、人民を抑えつけた体制でなく、人民自らが望んで得た体制である」
40代天武天皇は、古事記編纂の完了を見る前に亡くなる。
そこで編纂作業は中断。その後30年経って43代元明天皇の代に再度編纂命令が出される。
・43代元明天皇  在位:707〜715、差8年。 都を藤原京から平城京に移した天皇。
  女帝。草壁皇子()の妃であった。 和同開珎を造った。 
  38代天智天皇の娘でもある。(母は蘇我姪娘。ただし41代持統天皇の母は蘇我遠智娘)。
  42代文武天皇・44代元正天皇、の母親。
  () = 40代天武天皇の息子。天武天皇の喪中(689年)に 27才で亡くなる。
        持統天皇が41代天皇となった背景の一つは、「息子 草壁皇子の早世」。


●古事記  その4
昭和54年(1979)、安万侶の遺骨が発掘される。
これにより古事記の信憑性が増す。
711年、元明天皇は太安万侶に
「中断していた古事記の編纂」を命じる。
協力者に選ばれたのが、稗田阿礼。
(天武天皇期に古事記の編纂に当たってた為)
二人の古事記編纂にまつわる一般的伝説:
記憶の超人「稗田阿礼」の語りを
太安万侶が文字記録する。
しかし古事記編纂にはそれ以上の難題があった。
と言うのは当時はまだ、
平仮名もなく、文字の読み方も定まってなかったから。
このため、当時の記憶で重要なのは、ストーリよりも文章の読み方だった。
実は、稗田阿礼の大きな任務は「誦習(しょうしゅう)」の発揮だった。
結果として、稗田阿礼が語る物語を、太安万侶が文章へ書き下す、という共同作業となった。
この時、安万侶は日本語として読みやすくするための工夫を凝らす。
例えば、「幽居」を「許母理」として「こもり」と読ませた。
つまり、なじみ薄い「書き言葉」を なじみ有る「話し言葉」とした。
話し言葉を文章に記すルールを整備し古事記をより多くの人に理解してもらえるよう努めた。
書き物は、そこに一定のルールがなければ単なる文字の羅列で文章ではなく、誰も読めない。
安万侶の一番の功績は、誰もが読める文章(多くの人に伝えられる物語)として表したことである。


●古事記  その5
古事記の大きな功績は、
文字の書き方読み方の確立でもあった。
なので、古事記は書かれている内容の真偽よりも、
文章表記(言語文化)として大きな意義を持つ。
しかし、このような古事記はのちの時代時代に、
様々な解釈が為される。
例えば、14世紀、天皇が分裂し
戦乱が日本を覆った南北朝の時代。
そして、明治時代。
「天照大神は吾が天皇陛下のご先祖様です」。
「国民がまとまった近代国家」を作る手段として
明治政府は、神話を活用した。 さらにこれが、昭和の戦時体制の確立に大きな役割を果たす。

しかし、「神話やおとぎ話」 は 決して無価値なものでも軍国的なものでもない。
人の心の奥深く、政治や権力と関係ないところにおいてまた、大きな価値を持っているものである。
想像力、自負、伝統、誇り、共同体意識、郷土愛、祖国愛、
価値感の共有(先祖が大事に守り支え続けて来たものを 自分も支え尊ぶ)、感謝、・・・。



・歴代天皇簡易一覧
http://www17.ocn.ne.jp/~cafeaule/rekidaitennnou.htm
・天皇直系系図
http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/keizu_tenno0.html
・皇室の系図一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E3%81%AE%E7%B3%BB%E5%9B%B3%E4%B8%80%E8%A6%A7


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の 時代・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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