




56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな 和泉式部
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな 紫式部
58 ありま山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする 大弐三位
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門
60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 小式部内侍
61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔
62 夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 清少納言
歌番号を意識して百人一首に接していると、百人一首のこのあたりは、最も華々しく、まさに平安時代中期の国風文化・女流文学の全開を香せます。それは「摂関家としての藤原家」の全盛の時期でもあったのでしょう。
皇后は、定子。 ← 藤原道隆の長女 ( [道隆×54.儀同三司母] の娘。 道隆は道長の兄)
中宮は、彰子。 ← 藤原道長の長女
定子に仕えたのは、62.清少納言のみ。
彰子に仕えたのは、56.和泉式部、57.紫式部、58.大弐三位、
59.赤染衛門、60.小式部内侍、61.伊勢大輔。
定子は、66代一条天皇の皇后でしたが、三人目の出産で早世してしまいます(1000年・23才)。(※)
一方、彰子(定子の11年後生)は、定子の三人目の出産の年に、定子という皇后が懐妊中でまだ健在でいるにもかかわらず、道長に強引に一条天皇に入内させられます。定子はこの出産で亡くなるのですが、彰子はこののち、一条天皇との間に二人の天皇を産みます。
百人一首と接していると、
定子に較べ、彰子に多くの女官が付いているように見えるのは、
定子の短命もさることながら、道長の影響が強いのでしょう。
「定家は道長の血を引いているけれど、道隆の血は引いていない」というのも若干関係しているかも・・・、
と考えるのも想像遊びとしては面白いです。
参考1) 道隆[道長の兄]、定子、清少納言、枕草子、が分かる ⇒ 『枕草子』は定子への鎮魂歌か?
参考2) 母性愛の彰子×野心家の道長、 随筆の枕草子×小説の源氏物語
道隆: 953〜 995、差42
道長: 966〜1027、差61
定子: 977〜1000、差23 (※)
彰子: 988〜1074、差86 女院の第二号(第一号は詮子=道隆の妹・道長の姉・一条帝の実母)
納言: 966〜1027、差61 ← 不詳データ(殆ど道長と同じ)
式部: 973〜1019、差46 ← 不詳データ
・道長の暴走、式部&彰子の思い。 (権力者の傲慢と女性の意思)
左YouTube、5分20秒からが面白いです。
一条天皇 崩御の報せに接して
道長が素早く、彰子の子(道長の孫)を
皇太子(三条天皇の次)と決めてしまう。
これに対し彰子は、「皇太子は
定子の息子であるべきだ」と道長に訴える。
彰子のこのような考えはどのようにして
彰子の中に根付いたのか・・・。
・百人一首 百歌人中の 藤原族34歌人 南家・京家を含む

・百歌人中の 藤原族34人中 藤原北家流れ31歌人 詳細

・四子を四天皇へ入内させた道長

・平安時代中期の天皇系図

・天皇家直系系図
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