小倉百人一首期の日本史を概観

日本の歴史区分は下表のとおりです。
百人一首の時代範囲は、
660年頃〜1240年頃。

飛鳥後期(約 50年)、
奈良時代(約 80年)、
平安前期(約130年)、
  中期(約130年)、
  後期(約130年)、
鎌倉前期(約 50年)。


小倉百人一首は
古代から中世初期にわたる
約600年間を凝縮した歌集
とも言えます。
歴史的出来事と対応させると
 645年の 「 乙巳の変 」 (これを契機に”全国的な”成文法統治が始まる) から
1221年の 「 承久の乱 」 (事実上の「朝廷公家政治の終わり」) まで。
以降 時代は、
北条の鎌倉 ⇒ 足利の室町 ⇒ 上杉武田伊達今川などの戦国 ⇒ 織田豊臣の安土桃山 ⇒
徳川の江戸 ⇒ そして明治〜昭和20年の近代 & 昭和20年以降の現代。

小倉百人一首に関わる 「 飛鳥時代から鎌倉時代 」 を概観しながら、
この600年間の各時期の百人一首歌を確認してみました。



飛鳥時代  570年頃〜710年   天皇の目安:30代〜42代

  仏教が芽吹く & 律令による成文法社会が始まる。 (33代推古天皇&厩戸皇子[聖徳太子」)
  律・・・犯罪への刑罰法、  令・・・体制や租税など行政法。
  古墳から寺へ。 四天王寺(593・大阪市)、法隆寺(607・奈良県生駒郡斑鳩町)など。 
  & 「原始 古墳時代的な不文法社会」を脱皮。
  大陸の先進文化&体制の学習・吸収に務める。(遣隋使 600〜・遣唐使 630〜)
  朝鮮半島での戦い(663年) に大敗し国体を強く意識。その後、国防や遷都もした。(38代天智天皇)
  表現の始まり ⇒ 『日本』が遣唐使の時期頃から、『天皇』が40代天武天皇期頃から使われる。
   ⇒ 歌人と時代背景1 飛鳥時代 後期
  
 遣隋使は推古期のみ。遣唐使は舒明期から。
   随(581〜618) 約40年間
   唐(618〜907) 約300年間
   690〜705の間は唐王朝ではなかった。
 2/8 3/8 4/8 ←6分頃から「秋の田の〜」の逸話  5/8 6/8 7/8 8/8



奈良時代  710年〜794年   天皇の目安:43代〜49代
  仏教によって社会の安定を図ろうとする(鎮護国家)。
  45代聖武天皇、奈良の大仏を建立。 唐の高僧・鑑真を、授戒僧として招日。
  「国の生い立ち」、「君主の明示と価値付け」、「国のたしなみ」、などの文書化につとめる。
  「古事記」太安万侶「日本書紀」舎人親王、「天皇家の系譜」淡海三船、「万葉集」大伴家持、
  など各ジャンルの日本最古文書は奈良時代に書き留められた。
  神話社会・伝承社会からの脱皮を図る。
  大陸文化の影響を受けた唐風文化が開花。 (天平文化)
   ⇒ 歌人と時代背景2 奈良時代
  



平安前期  794年〜930年頃   天皇の目安:50代〜60代
  50代桓武天皇、都を平安京に構える。
  仏教がより政治と結びつき一層社会に浸透。  遣唐使 帰国僧 最澄・空海の活躍。
  律令を日本に適した内容に改変。 天平文化の発展として国風文化が萌芽。
  「竹取物語」 「伊勢物語」 「古今和歌集」(905年 ) 「土佐日記」(935年) など書かれる。
  の撰者は、29.凡河内躬恒、30.壬生忠岑、33.紀友則(途中で没)、35.紀貫之。
  「竹取物語」 & 紀貫之による紀行文風 「土佐日記」 は、日本初のひらがな文書。
  600年から続いた大陸文化・体制の学習・吸収(遣隋使・遣唐使)が 24.菅原道真の提言で終わる。
   ⇒ 歌人と時代背景3 平安時代 前期
  
  東儀秀樹(とうぎひでき、1959年生)
 東儀⇒奈良時代からの楽家(がくけ)の家系



平安中期  930年頃〜1060年頃   天皇の目安:61代〜70代
  臣籍降下した家系から、後の「武家の源流」が生まれる。
  50代桓武天皇系で桓武平氏(将門・清盛)、56代清和天皇系で清和源氏(頼朝)、など。
  平将門(桓武天皇のひ孫の孫)が関東で力を振るい関東を独自領域化するが朝廷に平定される。
  京では、藤原家が天皇の摂関家として力を振るう。
  この藤原家の勢いはまた、文化面で純国風文化を絢爛に開花させる。
  藤原道綱母 『蜻蛉日記』、清少納言 『枕草子』、紫式部 『源氏物語』、など。
  10円銅貨の 『 平等院鳳凰堂 』 は創建年1052年、開基は藤原頼道(道長の長男)。
   ⇒ 歌人と時代背景4 平安時代 中期
  
2/5 3/5 彰子の入内・定子の他界・道長と源氏物語 4/5 道長の暴走・式部&彰子の思い 5/5



平安後期  1060年頃〜1192年   天皇の目安:71代〜81代
  平安中期の末期から東北地方で戦乱が続く。
  前九年の役(1054〜1062・覇者=清原) & 後三年の役(1083〜1087・覇者=奥州藤原)。
  この戦乱後、奥州藤原氏は4代100年に渡って繁栄を極め、奥州藤原氏が拠点とした平泉は
  平安京に次ぐ都市となり、戦乱の続く京を尻目に発展した。(平泉文化)
  京では、72代白河・74代鳥羽・77代後白河 各天皇が退位後、上皇となり院政が続く。これが、
  朝廷を軸にした争い(保元の乱平治の乱)も産む。ここで平清盛が朝廷と結びつき全盛を迎える。
  しかしほどなくして平氏は大きな反発を買い、治承寿永の乱(≒源平合戦)で敗れる。
   ⇒ 歌人と時代背景5 平安時代 後期
   
  親子で学ぶYouTube 平安時代の 16人
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鎌倉時代  1192年〜1333年   天皇の目安:82代〜96代
  「治承寿永の乱」、そして「奥州合戦」などを経て、鎌倉幕府が成立する。
  頼朝没後、義父・北条時政が初代執権となり、頼家・実朝は謀殺・暗殺される。
  源氏将軍の断絶を契機に、後鳥羽上皇(82代)が権威挽回のため討幕に走るが、敗北。
  幕府は武家の法令「御成敗式目」を制定。 それまでの公家目線の「律令」を改変。
  後期に、二度にわたり元が攻め入る。( 元寇 ・ 文永の役(1274)、弘安の役(1281) )
  元寇で乱れ弱った幕府を見て、96代後醍醐天皇が倒幕を企てる。結果として、足利尊氏が
  室町初代将軍となり、朝廷は60年余り南北に別れる。以降、朝廷は政治の実権力から遠ざかる。
   ⇒ 歌人と時代背景6 鎌倉時代 前期
  



●飛鳥時代以降の天皇の居住地(日本の首都?)

歴史上、日本の首都は、天皇の住まいである皇居の所在によって定められた。
古墳時代以降は、皇居のための宮殿(御所)建設と周辺の市街地整備を一体として行い、
首都にふさわしい都市を計画的に建設するようになった。

宮殿や貴族の邸宅であっても、
奈良時代までは基本的に掘立柱建築だったため、建物の耐用年数が短かった。
同じ掘立柱建築である伊勢神宮の遷宮は20年に1回である。

古代の頻繁な遷都や宮殿の移転・新築は、
政治的な思惑の他にも建築物の耐用年数の影響が考えられる。
中国風の都市計画を持ち込んだ藤原京・平城京・平安京などでは、
計画的な庶民の居住を促しても、家が掘立柱建築だったために、
地下水位の高い低湿地や河川の氾濫原は居住に適さないとして放棄され、
いずれも当初の計画とは異なる都市へと変化した。
飛鳥宮(飛鳥時代)以前に、首都に相当する都城は存在しない。


●平城京を考える
http://yamatokoji.blog116.fc2.com/blog-entry-171.html
上サイトの興味深いところ一部抜粋(以下)。
ところで、平城京遷都1300年と聞けば、平安京遷都(794年)までは、ここが安定した都といったイメージを持ちがちだが、さにあらず。むしろ、遷都あるいは副都(※1)の存在によって、上図のような、浪費的で神経質な文字通り<迷走の時代>を迎えることとなり、平城京は不安定な都であった、あるいは平安京との比較では将来の発展の芽を摘まれた都でもあったといえよう。・・・

※1:遷都というか副都の設置というかは見解の分かれるところだろう。以下は引用
 「飛鳥 - 奈良時代には、首都機能を経済 ・交通の面で補完する第二首都とも言うべき副都(陪都)が設けられていた時期があった(複都制)。例としては、最初にこの制度を採用した天武天皇の難波宮を始め、淳仁天皇の「北京」保良宮(滋賀県大津市、761年 - 764年)、称徳天皇の「西京」由義宮(大阪府八尾市、769年 - 770年)が知られている。保良宮と由義宮は短命に終わったが、難波宮は長岡京遷都まで副都の地位を保ち続けた」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%A6%96%E9%83%BD
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の 時代・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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