歌人と時代背景1 飛鳥後期

飛鳥時代後期(660年頃〜710年)の歌は、
1.天智天皇、 2.持統天皇、 3.柿本人麻呂、 の3首です。

      

01 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ      天智天皇
02 春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山         持統天皇
03 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む   柿本人麻呂


飛鳥時代を概観してみます。飛鳥時代は年代では、570年頃〜710年。
この期間の天皇はおおむね、30代敏達天皇〜42代文武天皇です。 

●飛鳥時代の天皇 在位期間と系図
  


●時代概要(飛鳥時代。570頃〜710)   
仏教が芽吹く & 文字化された律令社会が始まる。 (33代推古天皇&厩戸皇子[聖徳太子」)
律・・・犯罪への刑罰法、  令・・・租税など行政法。
古墳から寺へ。   四天王寺(593・大阪市)、法隆寺(607・奈良斑鳩町) 
& 「原始 古墳時代的な不文律社会」を脱皮。
大陸の先進文化&体制の学習・吸収に務める。(遣隋使 600〜・遣唐使 630〜)
飛鳥時代後期には、成文法の及ぶ範囲が、「飛鳥時代前期の宮廷近辺地域」から、全国域へと広がる。
朝鮮半島での戦い「白村江の戦い」に大敗し国防を意識。
これにより、備えをしたり都を移したりもした。(38代天智天皇)
「日本」という国名が遣唐使の時期頃から、「天皇」と言う呼称が40代天武天皇期頃から使われる。


●天皇とその周辺
飛鳥時代前半には、歴代天皇初の女性天皇33代推古天皇、
そして推古天皇の摂政を務めた厩戸皇子(聖徳太子・推古帝の甥)がいる。
この時期、「冠位十二階」(603)・「十七条憲法」(604)が制定され律令国家の基礎をつくる。
また、四天王寺(593・大阪市)、法隆寺(607・奈良斑鳩町)など日本仏教の先駆的寺院が建てられる。

百人一首の歌人範囲は、飛鳥時代後期から。
飛鳥時代後半には、この時期の二大兄弟帝、38代天智天皇と40代天武天皇がいる。
この二人の親は、父が34代舒明天皇、母が37代斉明天皇(夫である34代舒明天皇 の姪)。
ここで、37代斉明天皇は、35代皇極天皇でもあり、歴代初の重祚(ちょうそ)天皇。
この重祚などは、中大兄皇子(=天智帝即位前の皇太子名)の策による。
41代持統天皇は天智天皇の娘だけれど、この持統天皇についてはむしろ、
大海人皇子(後の40代天武天皇)の妻(=13歳の鸕野讃良皇女(ウノノサララヒメミコ)時に嫁いだ)、
&夫・天武天皇の跡を継いだ女帝、とイメージするのが実像に近い。
41代を息子の草壁皇子とできなかったのは、天武帝没後の長い喪中に皇子が27才で病没したため。
百人一首の1番&2番歌人は、38代天智天皇&41代持統天皇。
  

●万葉集について
1 万葉集とは
2 原形は大伴家持の歌集
3 万葉の世紀・万葉の時代
4 万葉歌人  1期〜4期

1 万葉集とは
日本に現存する最古の和歌集。奈良時代に編纂された。
万葉集にはおおむね、600年代(7C)後半から700年代(8C)後半の歌が集められている。

2 原形は大伴家持の歌集
大伴家持(6番歌人中納言家持)は、彼以前に存在した様々な歌の資料をもとに個人的に歌集を作っていた。家持は名門の貴公子として、宮廷周辺に存在したそれらの資料に触れる機会があった。家持は死後、同族の絡んだ事件に連座して名誉を奪われ、家財没収の憂き目に会う。この際に、家持の歌集も没収され朝廷の所有となった。これが万葉集の原形となる。なので、万葉集には家持の歌が最も多い。

3 万葉の世紀・万葉の時代
家持の選んだ歌は、数首ほどの歌を別にすれば、最も古いもので7世紀後半、大化の改新以降のもの。家持自身は、天平宝字3年(759)、正月をめでた歌を最後に歌わなくなる。この間、万葉集に含まれる時期は約100年間。この期間を「万葉の世紀」「万葉の時代」とも言う。
万葉集 巻20-4516  新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事

4 万葉歌人
第1期 ⇒ 舒明天皇即位(629年)から壬申の乱(672年)まで
  額田王(ぬかたのおおきみ)、舒明天皇、天智天皇、有間皇子(ありまのみこ)、
  鏡王女(かがみのおおきみ)、など。
第2期 ⇒ 平城遷都(710年)まで
  柿本人麻呂、高市黒人(たけちのくろひと)、長意貴麻呂(ながのおきまろ)、
  天武天皇、持統天皇、大津皇子、大伯皇女(おおくのひめみこ)、志貴皇子(しきのみこ)、など。
第3期 ⇒ 733年(天平5)まで
  山部赤人大伴旅人山上憶良、高橋虫麻呂(むしまろ)、坂上郎女(さかのうえのいらつめ)、など。
第4期 ⇒ 759年(天平宝字3)まで
  大伴家持、笠郎女(かさのいらつめ)、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)、
  橘諸兄(たちばなのもろえ)、など。

柿本人麻呂は、百人一首3番歌人。
山部赤人 は、百人一首4番歌人。
大伴家持 は、百人一首6番歌人。

大伴旅人は太宰府長官時代に山上憶良の上司。& 大伴家持の父。



小倉百人一首の時代範囲は、西暦660年ごろ〜1240年ごろ。


・古代 飛鳥後期(約 50年)、
・古代 奈良時代(約 80年)、
・古代 平安前期(約130年)、
    平安中期(約130年)、
    平安後期(約130年)、
・中世 鎌倉前期(約 50年)。


小倉百人一首は、
古代から中世初期にわたる
約600年間を凝縮した歌集
とも言えます。

1. 百歌人の生没年分布             2. 天皇一覧(飛鳥〜鎌倉)  3. 紀元〜現在 焼付けイラスト
        
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の 時代・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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