
『日本』という国号は、遣唐使の時期頃から使われ始めたようです。
『天皇』という呼称は、40代天武天皇期頃から使われ始めたようです。
朝鮮半島での戦い(白村江の戦い)に敗れたのは663年。
この戦いの日本側トップは中大兄皇子(敗戦帰国後、即位⇒38代天智天皇)。
この二つ、『日本』・『天皇』 の例は共に飛鳥時代(600年代)です。
このような時代の流れの中で、「日本最古の文書」群がほぼ歴史的必然として奈良時代に編纂されたのでしょう。日本という国にとってこの時期がそういう時期だったのだと思われます。「国」をひとりの人間とイメージしたとき、人が必然的に迎える時期、授乳期・離乳期・学童期・思春期・成人期があるように、「国」にもあるものでしょう。国の場合はそう言った時期を「歴史的必然性」と言えるのだと思います。。。
「日本最古の文書」と言われてる文書群と、編纂担当者であるなどその文書を代表する人物。
・「古事記」 太安万侶(おおのやすまろ)
・「日本書紀」 舎人親王(とねりしんのう)
・「天皇家の系譜」 淡海三船(おうみのみふね)
・「万葉集」 大伴家持(百人一首6番歌歌人)
代表する人物はすべて奈良時代の人です。
ここで、歴代天皇情報の内容についてお話します。
まず、現天皇の呼称は 今上天皇(きんじょうてんのう)です。
平成天皇と呼ぶのは「お亡くなりになってから」です。
今上天皇は第125代天皇です。 初代天皇は神武天皇です。
神武天皇は、在位期間が、紀元前660〜585年、 生没年が、紀元前711〜585年。
やはり、神武天皇に関してはわたし、驚くと同時に笑ってしまいます。
まず、驚かないほうがおかしいです。
在位期間75年間 ← これはまだ我慢しましょう。
没年齢126才 ← ちょっとこれは・・・、わたしには・・・、がっ、がっ、我慢できませぇ〜ん。
ただしこれは、古代において「半年を1年に数えていたため」との説もあります。
いずれにしましても、
「125代ってどんな天皇さんがいるの?」って思った方はコチラ ⇒ 歴代天皇簡易一覧
なぜ笑ってしまうかと言うと、この方、アマテラスオオミカミ、スサノオノミコト、ヤマタノオロチ(「キングギドラ」のご先祖)、・・・さんらとリンクしてきます。つまり、「イザナギとイザナミが棒で海をかき回し その棒を海から上げたとき、棒の先から垂れたしずくで淡路島が出来た」 と言う「日本神話」とリンクしてきますので。

神武天皇にまつわるお話をもう少し・・・。
大正時代の歴史学者津田左右吉が次のように訴えたようです。
「神武天皇は歴史上の何かの事実を反映したものではない。”皇室が日本を支配するいわれ” それを説明するためのフィクションである。つまり日本神話の一部だ」。
昭和になって先の大戦前、津田左右吉の著書は不敬として発禁処分されます。しかし戦後、皇室のタブーが解かれると、多くの歴史学者によっておおむね妥当な推論であるとして津田左右吉の説が支持されるようになりました。
現代の歴史学界では、神武天皇の存在は前提とされてません。神武天皇は、10代崇神天皇、15代応神天皇、26代継体天皇、古事記日本書紀編纂時期の 40代天武天皇、などを念頭に、弥生時代末期から古墳時代にかけての出来事を基にして創作された天皇、とされてるようです。
しかしもう、歴代天皇の諸々の資料で「初代神武天皇」として広がってるので、黙認(知っている人だけ知ってればよい)という事ではないかと思います。太古の昔から十分100代前後続いていることは間違いないのでしょうから。なんと言っても戦後初の好景気を、神武天皇が初代天皇であるからと「神武景気」と名付けた事実もありますし・・・。
歴代天皇データを作る際、真剣な方が原本としているのは宮内庁の資料でしょう。私はwikipedia情報です(勿論、wikipedia内容は熱心な方が宮内庁資料を基に書いたモノなんだろう、と私は思ってますが・・・)。 ただ、以上のような背景・事情もあるのでしょうか、一般に見受ける文章には天皇の名前に代数をつける表現は少ないです。ですが私は、おおまかな時期や前後関係が分かりますので、しばしば代数と共に天皇名を表しています。その時には神武天皇を初代とした広く流布している代数を用いてます。

気になる方はコチラ(wikipedia)をご覧になってみて下さい ⇒ 初期天皇の実在性
ともあれ、奈良時代に、国の体裁を誇示する必要性から自国の国王の歴史&価値を明示しておきたく成ったのでしょう。当時の先進国である大陸の大国とのつきあい上の必要性もあったのかも知れません。どなかたかの指示でしょうが、淡海三船(おうみのみふね=38代天智天皇の 孫の孫)らが、自国の国王の歴史であるとして資料を作ったのが始まりのようです。そういう背景を念頭に置いておく必要はあると思いますが・・・ ⇒ 歴代天皇簡易一覧
20代ほどマデの神話チックな要素はむしろ、淡海三船らを始め、これらのことに関わったすべての人達の、涙ぐましいながらも何か笑いを禁じ得ない、「必死さと情熱」だと、私は・・・、好意的に解釈してま〜す。
(付録)
天皇家を馬鹿にしてはいけない!直系系図はこうだ!
という資料はコチラ ⇒ 天皇家直系系図
伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)
もキッチリ書かれている! このサイトは他の氏や族の系図も詳しい。「トップへ戻る」など貴重。
月読命(ツクヨミノミコト)は、ギリシア神話の「月の女神」アルテミスとダブりますね。
人の考えることは、洋の東西を問わず同じと言う事でしょうか・・・。
どなたかの、こじんまりと素敵なページです。 ⇒ 『月の神様』
(注) アルテミス、セレネ、ディアナ、ダイアナ、ルナ。
呼び方が複数あるのは時期や地域による違い。
ギリシア神話に登場する狩猟・純潔の女神。のちに月の女神ともなった。
タグ:神武天皇 今上天皇 アマテラスオオミカミ スサノオノミコト きんじょうてんのう 伊邪那岐命 イザナギノミコト 伊邪那美命 イザナミノミコト 須佐之男命 天照大御神 月読命 ツクヨミ 日本書紀 古事記 万葉集 淡海三船 大伴家持 太安万侶 舎人親王
【小倉百人一首の 時代・歴史の最新記事】
- 末の松山 清原元輔の歌の場所
- 昭和天皇・マッカーサ 会見秘話
- 天智天皇、白村江戦、近江商人
- 八代集、 二十一代集、 について
- 古事記 太安万侶 元明 712
- 紀貫之が阿倍仲麻呂の歌を詠む
- 院政をしいた 白河、鳥羽、後白河、後鳥羽..
- 百人一首歌人 生没年 分布図
- 百首は日本の歴史のどの範囲?
- 歌人と時代背景6 鎌倉前期
- 歌人と時代背景5 平安後期
- 歌人と時代背景4 平安中期
- 歌人と時代背景3 平安前期
- 歌人と時代背景2 奈良時代
- 歌人と時代背景1 飛鳥後期
- 天智天皇の 「 秋の田の・・・ 」 は福..
- 小倉百人一首期の日本史を概観
- 百人一首の編者 定家の意図・思惑、百人一..
- 1番歌は聖徳太子でも良かったんじゃない?..
- 百人一首 百首の時代背景歴史 目次