万葉歌人 山上憶良 について  生没年 660頃〜733頃、差73

百人一首の 飛鳥時代 & 奈良時代 の歌人のことを調べていたら、「万葉集」に辿り着いた。
万葉集に辿り着くと、柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良、大伴家持(中納言家持)、といった人が
万葉歌人と言われていることを知った。そこで、これらの人の事を少し詳しく見てみると、結構面白い。

百人一首歌人 生没年概略図

飛鳥時代  570頃〜 710年  1〜 3番  (= 38代天智天皇、 ←の娘41代持統天皇、柿本人麻呂)
奈良時代  710年〜 794年  4〜 7番  (= 山部赤人、猿丸太夫、中納言家持、阿倍仲麻呂)
平安前期  794年〜 930頃  8〜39番  (39番は、参議等=源等)
平安中期  930頃〜1060頃 40〜65番(=相模) + 68三条院、69能因法師、70良暹法師
平安後期 1060頃〜1192年 66大僧正行尊、67周防内侍 + 71〜92番  (92番は、二条院讃岐)
鎌倉時代 1192年〜1333年 93〜100番  (99、100番は、82代後鳥羽天皇 &その子 84代順徳天皇)



百人一首の5番が、山上憶良の歌なら、
百人一首の3〜6番まで、まったく冒頭の万葉歌人の順番になるのだけど・・・。
  
・百人一首 3番〜6番
03 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む   柿本人麻呂
04 田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ    山部赤人
05 奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きくときぞ秋はかなしき       猿丸太夫
06 かささぎのわたせる橋におく霜の しろきを見れば夜ぞふけにける   中納言家持(=大伴家持)

・万葉集 から 山上憶良の歌 (憶良の歌の傾向を示す6例)
巻5-0802 瓜食(は)めば 子供思ほゆ 栗食めば まして偲(しぬ)はゆ
      いづくより来たりしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて 安寐(やすい)し寝(な)さぬ
原文:    宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由
      伊豆久欲利枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
巻5-0803 銀も金も玉も なにせむに 優れる宝 子に及(し)かめやも
巻5-0878 言ひつつも後こそ知らめ暫(との)しくも 寂しけめやも君いまさずして
巻5-0882 吾が主の御霊賜ひて春さらば 奈良の都に召上げ賜はね
巻8-1518 天の川相向き立ちて吾(あ)が恋ひし 君来ますなり紐解き設(ま)けな
巻8-1519 久かたの天の川瀬に船浮けて 今夜か君が我許(あがり)来まさむ
0802,0803 は 「子を思う歌」 。 ← この2首を歌った素敵なYouTubeがあります(下記、@、A)。
       @YouTube1 歌、AYouTube2 ヒチリコ演奏のみ
0878,0882 は 億良が 旅人(大伴旅人)にあてた歌。 ← 旅人が太宰府長官の職を終え都へ戻る際の歌
       旅人は、憶良のアトに太宰府に赴任した役人(憶良の上司)、&家持の父。
       旅人は、724〜729 の約5年、大宰帥(だざいのそち。大宰府長官)を務める。
       旅人は、妻&息子家持も太宰府に連れてきていた。(妻は着任中に没)
       旅人親子が太宰府を離れるとき(729末)、家持は、11、12才。
       旅人は731年(約66才)、憶良は733年(約73才)、に没している。
       山上憶良:日本晩夏と大伴旅人との交友
       万葉集における太宰府 (旅人と憶良と家持)
1518,1519 は 「七夕の歌」 。
       憶良の歌は、病や貧困・子供・七夕 の歌が多く、旅人との交流歌も多い。

(以上での私の雑感)
・家持の百人一首6番歌 「かささぎの〜」は、憶良の「七夕好き」に影響された歌かも知れない。
・憶良を知るのに勉強になったサイト
  → 憶良辞世の句  をのこやも空しかるべき萬代に 語り継ぐべき名は立てずして


上記万葉四歌人 など の生没年(没年順)
● 柿本人麻呂(かきのもとひとまろ、660頃〜720頃、差60) 3番歌人 三十六歌仙  歌聖
● 大伴旅人 (おおとものたびと、 665年〜731年、差66)
● 山上憶良 (やまのうえのおくら、660頃〜733頃、差73)      遣唐使 にも
● 山部赤人 (やまべのあかひと、 不詳 〜736頃   ) 4番歌人 三十六歌仙  歌聖
● 大伴古麻呂(おおとものこまろ、 不詳 〜757    )      遣唐使 に2度
● 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ、  698 〜770、 差72) 7番歌人 遣唐使 唐で高官に 帰日実らず
● 大伴家持 (おおとものやかもち、718 〜785、 差67) 6番歌人 三十六歌仙     中納言家持


小倉百人一首と日本史の照らし合わせ


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の中の万葉歌人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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