万葉集について


上記YouTube後半で歌われる、万葉歌 人気投票結果 ベスト10。
02-0105 我が背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし     大伯皇女
05-0803 銀も金も玉も なにせむに 優れる宝 子に及かめやも          山上憶良
01-0008 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな    額田王
01-0048 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ      柿本人麻呂
04-0661 恋ひ恋ひて 逢へる時だに 愛しき 言尽くしてよ 長くと思はば     大伴坂上郎女
03-0318 田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける  山部赤人
01-0028 春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山        持統天皇
20-4516 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや頻け吉事        大伴家持
      家持、759年元旦。 因幡の国(鳥取県東部)に国守として赴任していた
08-1484 石走る 垂水の上の さわらびの 萌える出づる春に なりにけるかも   志貴皇子
01-0020 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る       額田王
      額田王、668年5月5日。 近江の国 蒲生野 天智天皇 催す薬猟(※) にて


※ 薬猟(くすりがり)
陰暦五月五日に、山野に出て薬草や鹿の若角をとる行事。薬草摘み。薬採り。[季語=夏]

&聖徳太子の歌とされている、「万葉集」の中での唯一の歌。
家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ     聖徳太子 万葉集 巻3−415
いえ  いも て      たび こ     たびと



以下、ネット散歩でみつけた面白かったサイト3つ。

1.万葉集を読む
http://manyo.hix05.com/index.html
http://manyo.hix05.com/sitemap.html

『万葉集を読む』 の 【万葉の世紀】一部抜粋。
 大伴家持(※1)は、彼以前に存在した様々な歌の資料(※2)をもとに自分自身のための作歌帳(歌集)を作っていた。名門の貴公子として、家持には宮廷周辺に存在したと思われるそれらの資料に触れる機会があったのだろう。家持は死後、同族の絡んだ事件(※3)に連座して名誉を奪われ、家財没収の憂き目に会う。そのときに家持の作歌帳も没収され朝廷の所有に帰した。これが万葉集として世に伝わることとなったのである。
 家持の選んだ歌は、数首ほどの歌を別にすれば、最も古いもので7世紀後半、大化の改新以降のものである。また彼自身は、天平宝字3年(759)、正月を寿(ことぶ)いて歌った歌(=上YouTubeの巻20-4516歌)を最後に歌わなくなってしまった。この間にあって、万葉集がカバーする時代は約100年間である。この百年を「万葉の世紀」とも言う。
※1 生没年 718頃〜785、差67頃。 まったくの奈良時代(710〜794)の人。
   45代聖武天皇期と、平城京から都が移ろうとしている期(50代桓武天皇期 の前期)の人。
※2 宮廷にささげられたものの記録や、柿本人麻呂歌集のような個人の歌集
※3 50代桓武天皇期 在位781〜805 の2事件?
<事件1> 782年 氷上川継の乱 
氷上川継orその取り巻きが、
44代光仁天皇即位によって 天智系に移ってしまった皇位を 川継側(天武系)に戻そうとした為の揉め事。
氷上川継は、40代天武天皇の ひ孫。ただし、川継は藤原仲麻呂の乱[764年]で皇嗣からは外されていた。
<事件2> 785年 藤原種継暗殺事件
784年、桓武天皇が政治刷新のため、平城京から長岡京に都を移した。翌785年、その新都造営の中心人物である藤原種継が暗殺された。事件直前に死去した大伴家持は首謀者として官籍から除名された。 この桓武朝期、色んな忌事が続き、結局新都が794年に平安京となる(鳴くよウグイス平安京)。
ところで)
「伴造意識」って何?
「伴造」の読みは、「とものみやつこ」。wikipediaにはこう書いている。
それから推察するに、「伴造意識=帝への忠誠心」と言ったところでしょうか。
【万葉の世紀】全部は ⇒ http://manyo.hix05.com/intro.html

『万葉集を読む』 の 【王朝の周辺】 一部抜粋。
 万葉集巻一、巻二は各天皇の御世ごとに編年体の形式をとって、それぞれの時代を代表する歌を納めている。巻一には21代雄略天皇、巻二には16代仁徳天皇の歌とされるものが冒頭を飾っているが、実質的にカバーしているのは、38代天智天皇から45代聖武天皇までの時代、約百年間である。
参考)
 16代 仁徳天皇 在位 313〜399  古墳時代
 21代 雄略天皇 在位 456〜479   同上
 38代 天智天皇 在位 661〜671  飛鳥時代
 45代 聖武天皇 在位 724〜749  奈良時代
【王朝の周辺】全部は ⇒ http://manyo.hix05.com/ocho/ocho.index.html


2.ココロニマドヲ 万葉集  (JR東海の美しいサイト)
動画表示も用意されていてその内容も素晴らしい
http://www.manyoshu.jp/top.html
一例) 「万葉集」最終歌(巻20 4516番歌  大伴家持 歌 )
http://www.manyoshu.jp/contents/001-20-4516/


3.楽しい万葉集
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/index.html
巻1から巻20の概説
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/volume.html
巻ごとに歌の紹介&解説
巻01 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/one/home.html
巻02 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/two/home.html
巻03 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/three/home.html
巻04 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/four/home.html
巻05 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/five/home.html
巻06 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/six/home.html
巻07 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/seven/home.html
巻08 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/eight/home.html
巻09 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/nine/home.html
巻10 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/ten/home.html
巻11 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/eleven/home.html
巻12 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/twelve/home.html
巻13 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/thirteen/home.html
巻14 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/fourteen/home.html
巻15 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/fifteen/home.html
巻16 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/sixteen/home.html
巻17 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/seventeen/home.html
巻18 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/eighteen/home.html
巻19 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/nineteen/home.html
巻20 http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/twenty/home.html



『万葉集』
7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた。
日本に現存する最古の和歌集。
天皇、貴族から下級官人、防人など、様々な身分の人間が詠んだ歌を
20巻にわたって、4516首 集めたもの。
成立は759年(天平宝字3年、奈良時代半ば、8世紀後半)以後と見られる。

日本文学における第一級の資料。
方言による歌もいくつか収録されており、
詠み人の出身地も記録されていることから、
言語学の資料としても非常に重要な資料である。


『万葉集』の編者について
『万葉集』の成立に関しては詳しくは判っていない。
編者の説としては、勅撰説、橘諸兄説、大伴家持説など、種々の説がある。
現在では家持説が最有力。
妥当な説として次のように言われている。
『万葉集』は一人の編者によってまとめられたのではなく、
巻によって編者が異なるが、
家持の手によって二十巻に最終的にまとめられた。


書名の由来
『万葉集』の名前の意味については、幾つかの説が提唱されている。
・説1
「万の言の葉」を集めたとする説。
「多くの言の葉=歌を集めたもの」と解するもの。
これは古来仙覚や賀茂真淵らに支持されてきた。
仙覚の『万葉集註釈』では、『古今和歌集』の「仮名序」に、
やまとうたは人の心をたねとしてよろづのことのはとぞなれりける
とあるのを引いている。
ただし、『古今集』の成立は『万葉集』よりも時代が下るので、
この語釈が『万葉集』成立後にできあがったものという可能性も否定できず、
そのまま『万葉集』の由来としてあてはめることに疑義を呈する人もいる。
・説2
「末永く伝えられるべき歌集」(契沖や鹿持雅澄)とする説。
・説3
葉をそのまま木の葉と解して「木の葉をもって歌にたとえた」とする説。
・説4
研究者の間で主流になっている説。
『古事記』の序文に「後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲ふ」とあるように、
「葉」を「世」の意味にとり、
「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」と取る考え方である。


小倉百人一首の百首の時期と 日本史の 照らし合わせ


小倉百人一首 百歌人の生没年分布図



posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の中の万葉歌人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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