歌織物説を紹介してる2サイト

林直道 氏の「百人一首は歌織物」説
を上手に紹介している2サイトを紹介いたします。

「歌織物説」 とは、
百人一首の百首が「10×10」の四面に配置されていて、
結果としてその四面が「ある場所」を示しているという説です。
各位置に配置された歌は、
「それぞれに接する歌どうしが
 互いに何らかの言葉や情景でつながりを持った歌」 として配置され、
結果としてその四面が
 「水無瀬」 という場所の 「絵地図」 を 言葉で描いている(=歌織物)、
という、林直道氏がとなえておられる説です。

水無瀬は
後鳥羽上皇(後鳥羽院)の離宮のあった場所。
水無瀬のあたりは景勝地ではあったが、河川の洪水に遭う土地でもあった。
京都府長岡京市の南西。
桂川・宇治川・木津川が合流する淀の南西。
名神高速からも垣間見える「サントリー山崎蒸留所」、の南西あたり。

大きな地図で見る

そうでしたそうでした、
林直道 氏の「百人一首は歌織物」説 を上手に紹介している2サイトは、
次の2サイトです。

1. 百人一首の謎をさぐる  百人一首は歌織物  秘められた水無瀬絵図
http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin01.html

 ↑のページで、
 @ 絵図のところにマウスカーソルを置くと、絵図の一部領域が灰色表示されます。
 A そこで、マウスカーソルをその灰色部分にとどめたまま、左クリックしてみて下さい。
 京都おかきせんべい専門店 小倉山荘 ⇒ http://www.ogurasansou.co.jp/
 からのページです。

 次の絵が表示されます。
 オリジナルのリンク先には「赤丸」は表示されてませんが
 下の絵の「赤丸」の部分の記述に従って遊んでみると面白いです。
 

2. 『百人一首に秘められた謎』 参考文献:林直道著「百人一首の世界」(青木書店)
http://members.at.infoseek.co.jp/jsjtm/nazo.htm

 小倉百人一首 ⇒ http://www.h3.dion.ne.jp/~jtm-js/ogura.htm
 の左サイドメニュー、『秘められた謎』のページです。

 ちなみに
 歌番号配置図のみの図は、
 
 配置背景となる「関連語句」入りの配置図は、
 


織田正吉氏の 『 絢爛たる暗号 』 や、
太田明氏の 『 百人一首の魔方陣 』 はじめ、
面白く貴重な「百人一首の謎解き書物」はたくさんあります。
とりわけ、織田正吉氏の『絢爛たる暗号』は
「百人一首の謎解き」の原点とも言える書物です。

当初は私、織田正吉氏や太田明氏の説が好きでした。
ただ、好きではあるモノの、どちらの説にも
「最後のつめ」が わたし的にはしっくりいかず
「あぁ、百人一首ってそういう背景もあるのかもね」
で長らく終わらせていました。


そんなある時、林直道氏の歌織物説に出会いました。
出会った当初は、
林氏の「言葉や情景」の単なるこじつけ遊びの結果でしょうと、疑り気分でした。
しかし、歌織物説の理解に努めるにつれ、
和歌には古来から
「色んな歌をつなぎ合わせ鑑賞するあそび(たしなみ)」が有ることなども知り、
そういう私の疑り気分が徐々に薄まっていきました。
で結局、「そのようなあそびがあるならば」と、私は、次のように思い至ったのです。


そういうあそび(たしなみ)の延長・発展として、古今の歌を知り尽くしている定家が、
定家の息子(=為家) の舅(しゅうと)でもある宇都宮蓮生、の依頼をきっかけとして、
『「10×10」の四面に、隣り合うそれぞれの歌どうし、
 その言葉や情景などに、何らかのつなぎ合わせ(類似性)を持たせて配置し、
 結果としてその四面に ひとり密かに「ある場所」を示そう(描こう)、と考えた』
とするのは、実に美しく雅(みやび)である。
そしてそれは、
当時の歌の天才であり、
文系的にも理系的にも秀でた才能と能力を有していたであろう藤原定家の
「発想・思いつき」として、実に「自然だ」。


林直道氏は織田正吉氏の労を評価されておられますし、
林直道氏が歌織物説に辿り着いたことのきっかけの一つとして
「織田正吉氏の労(書き物)」もあげられる、とのことでした。
これは、私自身が林直道氏にお会いして、直接、林直道氏からうかがった言葉デス。



99番の後鳥羽院は、承久の乱で鎌倉幕府に破れ、隠岐(島根県)に流された人物。
順徳院は、後鳥羽院の息子。
順徳院も父である後鳥羽院と共に鎌倉幕府と戦った。
結果、順徳院は佐渡(新潟県)に流された。

また後鳥羽院は、定家との間に悲喜こもごもなことがある人物ではあるが、
定家を引き立ててくれた人物であり、定家にとっては恩人とも言える重要な人物。

水無瀬は京都の西南、長岡京の南にある地。
都にほど近い景勝の地で
後鳥羽上皇が離宮(=水無瀬離宮)を建てた地。


「承久の乱」に関しては、次のNHK高校講座が参考になります。
2009年 NHK高校講座 日本史
第11回 承久の乱と執権政治  2009年6月30日放送分


「承久の乱」の要約
1221年 承久三年五月
後鳥羽上皇が全国の武士に北条義時追討の令(「院宣」・院の命令)を出したことに始まる。
朝廷サイド(後鳥羽上皇陣営)と武家サイド(鎌倉幕府・北条政子陣営)との権力闘争。
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首は 歌織物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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