百人一首を覚える おほえやま 60.小式部内侍

■小倉百人一首 60番歌                                        百首一覧

大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立   小式部内侍

・かな表示
おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて
・読み
おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて
・歌人名
こしきぶのないし


■意味
大江山を越えて行く 生野の道のりは遠いんですよ。
だからまだ、母の居る天橋立へは行ったことがありません。
ましてや、母の手紙など見られる訳ないじゃないですか。  
ほんとに おっちょこちょいね 貴方って。


■解説
大江山   … 歌の流れからすると、
       この「大江山」は「大枝山」と考えた方がスッキリします。
       「大枝山」 → 山城と丹波を隔てる山。
       今の京都市西京区の山(標高480m)。
       京都府で、
       「大江山」は一般的には 天橋立の南に立っている山(標高833m)。
いく野   … 生野。丹波・福知山の地名。「行く」との掛詞。
ふみも見ず … 「足を踏み入れたことがない」と
       「手紙(文)を見てない」を掛けている。
天橋立   … 丹後・宮津市にある名勝。日本三景のひとつ。


この歌を道順で辿って・・・
京都市 → 大枝山越え → 生野の道(現在の国道9号線?) → 福知山 → 宮津 → 天橋立
と考えると土地の流れ的にもとてもスムーズです。
この生野は、京都市から見て福知山の手前の土地。(国道9号線で福知山の手前に生野神社もある)
兵庫県 但馬地方の 生野銀山の生野 には からめてない と思われます。

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この歌は、 藤原定頼(64番) が、
内侍の母 和泉式部が丹後の国に行っていたため
「おかぁさん(=56番 和泉式部) に 歌の代作を頼んでも、
 返事が返ってこないでしょうから、お困りでしょう」
と内侍をからかった折りに、内侍がすかさず定頼に返した歌。
当時、内侍の歌は評判が良く、
「あれは母親に歌を作ってもらってるんだよ」とからかうものが居たという。
きっと、小式部内侍も母親の和泉式部同様、才色兼備の女性で、
当時のこの方達の社界の中では人気者だったのでしょうね。
ただ、小式部内侍は20代半ばで 母の和泉式部より先に早世。


小式部内侍(こしきぶのないし、999〜1025 、生没年差 26 )
 平安時代中期の人。_ 
 中期を 930〜1060年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

56.和泉式部の娘。
藤原教通(のりみち)らの寵愛を受ける。
母の和泉式部同様、66代 一条天皇(在位:986〜1011、年差25年)の中宮、彰子に仕える。

1025年、藤原公成との子を出産の際に死去。
この死に際して、母の和泉式部が詠んだ歌が次の歌。

とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ子はまさりけり

母と子を遺して死んでいったあの娘は どちらをよりかわいそうに思っているだろうか。
きっと、母の私より 遺した子供のことを より哀れに思っているだろう。
親が子を思う気持ちほど 強いものはないのだから。

娘の気持ちを、母としての自分の気持ちとオーバーラップさせて詠んでいるのでしょう。
「先立つ娘も辛いでしょうが遺された母もまた辛い」ことがよく伝わります。
母親として、「代われるものなら代わってやりたい」と歌っているかのようです。

56番 和泉式部 〜 62番 清少納言まで、
66代 一条天皇 の「皇后 藤原定子」&「中宮 藤原彰子」に使えた女官が続きます。

56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな  和泉式部
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58 ありま山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
59 やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな  赤染衛門
60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立        小式部内侍
61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな       伊勢大輔
62 夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ      清少納言

この7人だけを見てみても人物関係が面白いです。
和泉式部と小式部内侍は親娘。 (大江家系)
紫式部と大弐三位も親娘。    (藤原北家系)
赤染衛門は、40.平兼盛が「わたしの娘だ!」と主張した その娘さん。(大江家に嫁ぐ)
伊勢大輔は、49.大中臣能宣朝臣の孫。
清少納言は、42.清原元輔の娘。&36.清原深養父のひ孫。

彰子は、藤原道長の長女。(道長は、藤原兼家の五男)  56.和泉式部〜61.伊勢大輔まで
定子は、藤原道隆の長女。(道隆は、藤原兼家の長男)  62.清少納言のみ

百人一首にからむ、藤原北家系 ・ 大江系 ・ 清原系 の系図・系譜
    



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 百人一首を1日1首覚える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
トラックバックされていたので遅くなりましたがサイトを覘いて見ました。素晴らしくよくできたブログだと思いました。百人一首については興味を持っています。時々見て勉強させて頂きます。
Posted by やぎ at 2010年01月08日 09:18
やぎさん、ご訪問ありがとうございます。
お返事遅れてしまいました。
Posted by 百人一首散策人 at 2010年03月26日 10:44
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