■小倉百人一首の編者 藤原定家の意図・思惑。
小倉百人一首の歌番号は、編者の藤原定家が付けたものではなく、
後の世(江戸時代?)の誰かが付番したと言われています。
それでも、小倉百人一首の選歌にさいして藤原定家は意図的に、
「天皇親娘」で始め「天皇親子」で終わらせていると、十分伺えます。
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・百人一首は歌織物 ( 百人一首の配置図 ) 林 直道 さんの説ですが、面白いです。
小倉百人一首には、この4人の天皇のほかに、途中にも4人の天皇がおり、
計8人の天皇が登場します。
冒頭 ⇒ 天智天皇(1番)、持統天皇(2番)
末尾 ⇒ 後鳥羽院(99番)、順徳院(100番)
途中 ⇒ 陽成院(13番)、光孝天皇(15番)、三条院(68番)、崇徳院(77番)
天皇の他に、親王(20番 元良親王)、内親王(90番 式子内親王)もいます。
百首の内の1割が皇族というのが面白いです。
もちろん、天皇・親王・内親王、でなくてもほとんど皇族のような歌人も沢山います。
そういう意味で、百人一首に接し続けてきて私が感じはじめたのは、
『百人一首には「皇族」という「幹」が一本入っているなぁ〜』ということでした。
そしてこのことから発展し、私にとって百人一首に親しむことは
和歌に親しむことはもちろんですが、
日本を知る、日本の歴史に親しむことにもなりました。
■古代区分 平安時代(前期・中期・後期)の 歴代天皇 (画像クリックで全125代表示されます)

百人一首がからむ4時代の 年範囲と関連天皇 (百人一首は38代天智天皇〜84代順徳天皇)
飛鳥時代(6C末 〜 710) 33代 推古天皇 〜 42代 文武天皇
奈良時代( 710 〜 794) 43代 元明天皇 〜 49代 光仁天皇
平安前期( 794 〜 930) 50代 桓武天皇 〜 60代 醍醐天皇
平安中期( 930 〜 1060) 61代 朱雀天皇 〜 70代 後冷泉天皇
平安後期(1060 〜 1192) 71代 後三条天皇 〜 81代 安徳天皇
鎌倉時代(1192 〜 1333) 82代 後鳥羽天皇 〜 96代 後醍醐天皇
■歌人の生没年分布図 (画像クリックで標準サイズで表示されます)

生没年未詳の歌人については、没年齢を 原則 50才として、
ネット辞典wikipedia なども参照し 極力正確を期して生没年を設定しました。
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