百人一首 100歌人の 氏系統分類 2

藤原系の内訳を この記事に別記します。

百人一首 100歌人の 氏系統分類 1 は、概略です。
百人一首 100歌人の 氏系統分類 3 は、内訳です。(藤原系 以外)

6.藤原   34人

・平安時代前期(794年〜930年頃)
18 住の江の岸に寄る波よるさえや 夢の通い路人目よくらむ      藤原敏行朝臣
19 難波潟みじかき芦のふしの間も 逢はでこの世をすぐしてよとや    伊勢
25 名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな    三条右大臣
26 小倉山峰のもみぢ葉こころあらば 今ひとたびのみゆき待たなむ    貞信公
27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ     中納言兼輔
34 たれをかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに        藤原興風
38 わすらるる身をば思わず誓ひてし 人のいのちの惜しくもあるかな   右近

・平安時代中期(930年頃〜1060年頃)
43 あひみてののちの心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり     権中納言敦忠
44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし   中納言朝忠
45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな   謙徳公
50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな      藤原義孝 
51 かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを  藤原実方朝臣
52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣
53 なげきつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母
54 わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな     儀同三司母
55 滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ     大納言公任
57 めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに 雲がくれにし夜半の月かな  紫式部
58 ありま山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする       大弐三位
63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな   左京大夫道雅
64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木    権中納言定頼

・平安時代後期(1060年頃〜1192年)
75 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり      藤原基俊
76 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波     (歌人1)
79 秋風にたなびく雲の絶えまより もれ出づる月の影のさやけさ    左京大夫顕輔
81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる    後徳大寺左大臣
82 思ひわびさても命はあるものを 憂きにたへぬは涙なりけり      道因法師
83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる    皇太后宮大夫俊成
84 ながらへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞいまは恋しき 藤原清輔朝臣
87 むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕ぐれ     寂蓮法師
90 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色はかはらず   殷富門院大輔 
91 きりぎりすなくや霜夜のさむしろに 衣かたしき独りかも寝む     (歌人2)
(歌人1) 法性寺入道前関白太政大臣
(歌人2) 後京極摂政前太政大臣

・鎌倉時代前期(1192年〜1240年頃)
95 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみぞめの袖   前大僧正慈円
96 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり    入道前太政大臣
97 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ    権中納言定家
98 風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける     従二位家隆


「藤原南家」 2人
01  18.藤原敏行朝臣  藤原敏行
04  38.右近      右近少将 藤原季縄(すえなわ)の娘。
「藤原京家」 1人
02  34.藤原興風    藤原興風


以下は 「藤原北家」 の 31歌人。
伊勢のみが、「真夏」の子孫。
伊勢以外の30人は、「冬嗣」の子孫。  (冬嗣と真夏は兄弟)
19.伊勢      伊勢守 藤原継蔭の娘。 別称;伊勢の御、伊勢の御息所
(注) 61.伊勢大輔 は、49.大中臣能康の孫。 大中臣 系の女性。

冬嗣は、藤原鎌足の5代下。 「藤原北家」 4代目。
・藤原鎌足(氏祖) → 不比等 → 房前(北家初代) → 真楯 → 内麻呂 → 冬嗣
ということで、冬嗣の4人のひ孫の血統で分けてみました。
4人のひ孫は、定方(25番)・忠平(26番)・兼輔(27番)・時平(43番の父)。
ここで、
定方(25番)と兼輔(27番)は、従兄弟。  (祖父が良門)
忠平(26番)と時平(43番の父)は、兄弟。 (父が基経。祖父は良房)

A. 定方 系  4人 冬嗣→良門→高藤→定方(25.三条右大臣)
B. 忠平 系  21人 冬嗣→良房→基経→忠平(26.貞信公)
C. 兼輔 系  4人 冬嗣→良門→利基→兼輔(27.中納言兼輔)
D. 時平 系  1人 冬嗣→良房→基経→時平 → 43.権中納言敦忠


A. 定方(25.三条右大臣)の血統  4人  Cの 27.兼輔は、25.定方と従兄弟
01  25.三条右大臣   定方    冬嗣 → 良門 → 高藤 → 定方
02  44.中納言朝忠   朝忠    25.三条右大臣 の 子
03  82.道因法師    藤原敦頼
04  90.慇富門院大輔  父 従五位下 藤原信成。 母 菅原在良の娘。
             後白河法皇の皇女亮子内親王(殷富門院)に仕える。


B. 忠平(26.貞信公)の血統   21人  Dの 43.敦忠は、26.忠平の 甥
01  26.貞信公     忠平    冬嗣 → 良房 → 基経 → 忠平
02  45.謙徳公     伊尹(コレタダ) 26.貞信公の孫
03  50.藤原義孝    義孝    26.貞信公のひ孫 & 45.謙徳公の子
04  51.藤原実方朝臣  実方    26.貞信公のひ孫
05  52.藤原道信朝臣  道信    26.貞信公のひ孫
06  53.右大将道綱母        兼家(26.貞信公の孫)の妻
07  54.儀同三司母   高階貴子  道隆(兼家の子)の妻
08  55.大納言公任   公任    26.貞信公のひ孫

   45.謙徳公と 53.道綱母は 義理の兄妹 の関係。
     伊尹(謙徳公)は兼家(道綱母の夫)の兄。
   50.義孝から 55.公任までの5人は(53.道綱母は1世代上のため)、
   忠平(26.貞信公)のひ孫。 藤原道長・道隆・道綱 と世代的に同じ。
     ただし、53.道綱母 54.三司母 は傍系。 
   54.三司母は定子の母でもある。(道隆の妻・道隆は道長の兄)
   定子(977〜1000、23才)は、道隆の長女 & 66.一条天皇の皇后。
   彰子(988〜1074、86才)は、道長の長女 & 66.一条天皇の中宮。
   62.清少納言は定子に仕えた。定子は三人目の出産時に23才で早世。
   56.和泉式部から61.伊勢大輔は、彰子に仕えた。
   彰子は二人の天皇(68.後一条、69.後朱雀)を産む。
   定子・彰子・紫式部・道長に触れている面白いYouTube
    ⇒ 知ってるつもり? 紫式部 その4/5
   彰子(道長の長女)は、女院の第2号、『上東門院』。「大女院」とも呼ばれる。
   女院の第1号は、藤原詮子(道長の姉)、『東三条院』。
   詮子は、64.円融天皇女御 & 66.一条天皇生母。 
   なので、「定子」も「彰子」も、一条天皇の「いとこ」。
   「母の兄(道隆)の長女」と「母の弟(道長)の長女」。
   院号について ⇒ 歌人と時代背景5 平安後期
09  63.左京大夫道雅  道雅    54.儀同三司母の孫
10  64.権中納言定頼  定頼    55.大納言公任の子
11  75.藤原基俊    基俊    藤原道長道隆と兄弟)のひ孫
12  76.法性寺入道…  忠通    藤原道長の5代下
13  79.左京大夫顕輔  顕輔    26.貞信公の7代下
14  81.後徳大寺左大臣 実定    26.貞信公の9代下
15  83.皇太后宮大夫… 俊成    藤原道長の4代下
16  84.藤原清輔朝臣  清輔    79.左京大夫顕輔の子
17  87.寂蓮法師    定長    藤原道長の5代下。83.俊成の子
18  91.後京極摂政…  九条良経  藤原道長の7代下。76.法性寺[忠通] の孫
19  95.前大僧正慈円  慈円    藤原道長の6代下。76.法性寺[忠通] の子
20  96.入道前太政大臣 公経    26.貞信公の10代下
21  97.権中納言定家  定家    藤原道長の5代下。83.俊成の子

C. 兼輔(27.中納言兼輔)の血統  4人  Aの 25.定方は、27.兼輔と従兄弟
01  27.中納言兼輔   兼輔    冬嗣 → 良門 → 利基 → 兼輔
02  57.紫式部     紫式部   27.中納言兼輔の曾孫(ひ孫)
03  58.大弐三位    藤原賢子  57.紫式部の娘
04  98.従二位家隆   家隆    27.兼輔の9代下 & 57.紫式部の祖父の8代下

D. 時平の血統 1人  Bの 26.忠平は、43.敦忠の 叔父(=父の弟)
01  43.権中納言敦忠  敦忠    冬嗣 → 良房 → 基経 → 時平 → 敦忠


 

四子を四天皇へ入内させた道長


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posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 歌人百人の 氏系統分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
54.儀同三司母は、息子の伊周(これちか)の官名が「儀同三司」だからですよね。では、
53.右大将道綱母はなぜ右大将道綱母なのでしょうか?
たしかに道綱は「右近衛大将」だった時期が若干あります。しかし、
53.番歌人を「右大将道綱母」と呼ぶ根拠が分かりませ〜ん。

ということで・・・、ヤフーで
「右大将 って?」で検索を掛けてみたところ、次のようなおもしろいページに出会いました。

「右大将道綱母」はなぜ「右大将」道綱母なのか
http://homepage3.nifty.com/osuzume/nagaoka/shunshou80.htm

同じような「ギモン」を持っている人がいるものだなぁ〜と大笑いしてしまいました。
Posted by 百人一首散策人 at 2009年09月24日 14:57
 こん^^は。上にご紹介いただいたページの管理人、スズメ♂です。
 お誘いのメールをいただき、いそいそと参上しました。

 こちらは百人一首についてとても詳しく調べ、整理しておられて、なかなか面白そうですね。ややこしいけど(^^;

 道綱母の「右大将」については、改めてネットを検索してみましたが、私たちのような疑問を表明されている方はおられないようですね。
 うーん、私にはその方が不思議でなりません。。

 ところで「月」ですが、私も月や天文、旧暦は好きでして、(長らく更新していませんが)旧暦についてのページも作っています。月並みな内容ですが、お暇な折にでもお読みください。

http://homepage3.nifty.com/osuzume/kyureki/index.htm
Posted by スズメ♂ at 2009年09月27日 22:45
いらっしゃいませ。
旧暦、閏月、二十四節気、伊沢元彦、・・・拝見しました♪
掲示板の方に、コメント書かせていただきました。

&このクロスワード。難しかったですが、面白かったです。
http://homepage3.nifty.com/osuzume/list-oldq.html
http://homepage3.nifty.com/osuzume/oldquiz/kagi.html
Posted by 百人一首散策人 at 2009年09月28日 10:00
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