百人一首 100歌人の 氏系統分類 1

百人一首 百歌人の 氏系統分類 (筆頭歌人の歌番号順)

01. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
02. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
03. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
04. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
05. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
06. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
07. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
08. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
09. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
10. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
11. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)
14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


「在原系」 と 「大江系」 の関係 (16.行平 17.業平は、23.千里の おじ説) について
阿保親王(= 51代 平城天皇 の息子)を それぞれが 「父、祖父」 としてつながるという説です。
「百人一首を覚える つきみれば 23.大江千里」 に記載しました。


「6.藤原」 グループの 34人について
[南家]= 1 (単独、18番 藤原敏行朝臣)
 不明 = 4 (筆頭、19番 伊勢)     [伊勢守 藤原継蔭の娘]
[北家]=28 (筆頭、25番 三条右大臣)  [藤原定方]
[京家]= 1 (単独、34番 藤原興風)

[南家][北家][京家] は、「藤原鎌足の孫 4人」が祖となる[藤原四家]のうちの3家。
[藤原四家] については、この記事の末尾に補足記述を載せました。

  
「参議」 職の3人について。
11. わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと ・・・ 参議篁  (小野篁、おののたかむら)
39. 浅茅生の小野の篠原しのぶれど ・・・   参議等  (源等、みなもと ひとし)
94. み吉野の山の秋風さ夜ふけて ・・・    参議雅経 (飛鳥井雅経、あすかい まさつね)

「参議」は「中納言」などと同様 職位名ですので、この3人は 次のように分けました。
11.参議篁は 09.小野小町 の祖父と言う事で「小野」系、
39.参議等は 「源」系、
94.参議雅経は 「その他」グループ、 としました。
但し、小野小町と参議篁(小野篁)のつながりの信憑性は薄いと思われます。(以下をご参考に)
  

11.小野篁(参議篁、802〜853、生没年差 51 )
遣隋使を務めた「小野妹子」の子孫。
父は小野岑守。 孫に小野道風。( ← 三蹟の一人)

09.小野小町(825?〜900?、生没年差 75? )
系図集『尊卑分脈』によれば
出羽郡司 小野良真の娘とされている。 (小野良真は 小野篁の息子 とされる人物)
ということで、小町が篁の孫とするなら、
小町は篁が23才の頃にできた孫娘ということになります。
これは、いくら古代のお話といえど、現実的ではありません。
なので一般的には、「小野小町の詳しい系譜は不明」とされています。

参考) 小野妹子 (飛鳥時代[500年代末〜710年]の政治家)
日本の通説では、
『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書(※)
を携えた使者は小野妹子とされる。
名は「妹子」とあるが 男性。 当時、「子」は男女問わずに用いられていた。

(※) 国書 (←聖徳太子が書いたとされる) ⇒ 遣隋使が随の帝に差し出した外交文書。
・この国書の冒頭
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
・この冒頭の今風な内容
日いずる所の天子が、日 没するところの天子に「書」を使わします。以下よろしくたのみます。
・当時の東アジアの国際情勢
随[≒今の中国]は「天子」(国王)を名乗れるのは、隋の国王のみであると思っていた。
それくらいに、随は大国であり、当時の日本にとって 強大な国であっただろうのに・・・。


各氏系統の内訳は、次の2記事に書きました。
藤原氏以外 ⇒ 「百人一首 100歌人の 氏系統分類 2」
藤原氏34人 ⇒ 「百人一首 100歌人の 氏系統分類 3」
 


・[藤原四家] について
■藤原四家 → [南家][北家][式家][京家]
鎌足の孫 の四人が祖となる家流。
奈良時代前半の天平年間に政権を握った「藤原不比等の4人の息子」。
 [ 藤原四家(鎌足の孫)  ← 藤原不比等(鎌足の子)  ← 鎌足 ]
藤原南家: 藤原武智麻呂(むちまろ、680〜737)
藤原北家: 藤原房前  (ふささき、681〜737)
藤原式家: 藤原宇合  (うまかい、694〜737)
藤原京家: 藤原麻呂  (まろ、  695〜737)

四兄弟は737年の天然痘の流行により相次いで病死。
それぞれの家に栄枯盛衰はあったものの、
その後の政治や学問、文化に大きな足跡を残す。

■藤原北家(ふじわらほっけ)
藤原四家の一つ。
藤原房前(右大臣藤原不比等の次男)を祖とする家系。
藤原房前の邸宅が兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことが名の由来。
藤原四家の中では遅く花開いた一族だが、
結果として藤原四家の中でも最も根を拡げることになった一族。

■藤原北家 → 御子左家 → 冷泉家 について
百人一首の編者 藤原定家は、「藤原北家」の下流「御子左家」の人。
「御子左家」の下流に「冷泉家」ができる。
冷泉家の祖は、藤原定家の孫 冷泉為相(れいぜいためすけ)。

00 藤原鎌足         藤原氏の祖
02 藤原房前 藤原北家の祖  鎌足の2代下
11 藤原道長         鎌足の11代下  平安時代中期の代表的政治家
12 藤原長家 御子左家の祖  鎌足の12代下  道長の子
15 藤原俊成         鎌足の15代下  長家のひ孫
16 藤原定家         鎌足の16代下  俊成の子
18 冷泉為相 冷泉家の祖   鎌足の18代下  定家の孫

 
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 歌人百人の 氏系統分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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