百人一首を覚える ちぎりきな 42.清原元輔

■小倉百人一首 42番歌                                        百首一覧

契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは   清原元輔

・かな表示
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは
・読み
ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは
・歌人名
きよはらのもとすけ


■意味
約束したよね。
二人して、涙で濡らした袖をしぼりながら。
「 "末の松山" を波が越さない」のと同じように、
「いつまでも お互いを思う気持ちは変わらない」って。

■解説
かたみに … たがいに。
末の松山 … 宮城県多賀城市にある地名。


どんな大きな波でも、"末の松山" を越すことがないことから、次のたとえに使われる。
・そこを「波」が越さない = 二人の間に心変わりがない。
・そこを「波」が越す   = 二人の間に心変わりや浮気が生じる。

この42番歌は、代筆の一首。
すぐれた歌を多く書きのこした元輔には代筆の依頼が多かった。
心変わりした恋人に うまく悔しい気持ちを伝えられない、そんな男性が元輔に
「なんとかいい歌を作ってくれないか」と頼んだのかも知れません。

宮城県多賀城市八幡 末の松山




清原元輔(きよはらのもとすけ、908〜990、生没年差 82 )
 平安時代中期の人。_ 
 中期を 930〜1060年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

平安時代中期の代表的歌人。
清原深養父(36番)の孫。
清少納言(62番)の父。  清原深養父(36) → 清原顕忠 → 清原元輔(42) → 清少納言(62)

元輔が歌人として高名だったことの挿話:
清少納言が女房勤めした折
「父の名を辱めたくないので歌は詠まない」
といって許された。  ( from 『枕草子』 清少納言 著 )

清原元輔の生没年は、(908〜990、差 82)。
清少納言の生没年は、(966?〜1025?、差 59?)。
なので清少納言は、元輔が58才ころの娘さんであると伺えます。
元輔と清少納言の親子関係(年齢差)については、どの資料にもだいたい
「清少納言は元輔が高齢の時に生まれた子」と書かれてはいます。

清原氏系図 その1


清原氏系図 その2


その1 と その2 では、
清原氏の氏祖「清原有雄」が 天武天皇の 5代下 3代下 と異なっていますが、
清原氏が、天武天皇血統だと言う事は伺えます。

元輔は 三十六歌仙のひとり。 (百人一首の歌番号順で21番目)

六歌仙 & 三十六歌仙 の整理  (図 クリックで、オリジナル資料 表示します)  

このブログ中の記事は ⇒ 百歌人 のなかの 六歌仙、三十六歌仙



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首を1日1首覚える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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