百人一首を覚える このたびは 24.菅家

■小倉百人一首 24番歌                                        百首一覧

このたびはぬさもとりあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに   菅家

・かな表示
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに
・読み
このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに
・歌人名
かんけ


■意味
神様〜。今度は急な旅立ちで、「捧げ物」も捧げることができません。
その代わりと言ってはなんですが…、手向山の「もみじの錦」を捧げます。
どうぞ、神様の お気持ちのままに お受け取り下さいませ。


■解説
たび    … 「度(たび)」と「旅(たび)」を掛けている。
ぬさ(幣) … 木綿や錦の切れ端で作った、神への捧げもの。
       昔、旅に出る際には、
       これを道々の道祖神に捧げて、旅の無事を祈った。
       「紙幣」の「弊」は「ぬさ」という意味があるんですね。
とりあへず … 「とり」の原形は「とる」。「とる」の意味は「捧げる」。
       なので次のような解釈もある。
       「とりあへず」=「捧げることができません」。
手向山   … 神に供え物をする山。
       固有名詞ではない。
まにまに  … ままに、お気に召すまま、ご自由に。


「神に捧げる幣として、
 持参した錦の切れ端よりも 手向山の紅葉の錦の方がふさわしい」という歌。
「手向山の紅葉」を、「錦織の華麗な美しさ」として浮かび上がらせる趣向。


菅家(かんけ、845〜903、生没年差 58)
 平安時代前期の人。_ 
 前期を 794〜930年 の 130余年間として。 (平安時代は 794〜1192年 の 約400年間)_

菅原道真(すがはらのみちざね)。
当代きっての漢詩人。文章博士。
右大臣となるが太宰府に左遷され、太宰府で没。
漢詩集『菅家文章』『菅家後集』がある。

59代 宇多天皇に気に入られ隆盛をきわめるものの、
藤原家系にうとましがられ太宰府(九州福岡県)に左遷される。(※)
道真が太宰府で没後、京では色んな凶事が発生し、道真のたたりとおそれられる。
このおそれにより、道真や道真の身内にかけられた汚名が回復される。


60代 醍醐天皇の治世でも道真は昇進を続けるが、道真の主張する中央集権的な財政に、
朝廷への権力の集中を嫌う藤原氏などの有力貴族の反発が表面化するようになった。

学問の神様として「天神さん」で親しまれ、
「菅原天満宮」「太宰府天満宮」にまつられている。
ただし、こういう話もある。
道真は当時の普通の貴族であり、妾もいれば、遊女遊びもしていた。
在原業平とは親交が深く、遊女らで賑わった京都大山崎を、たびたび訪れている。



■小倉百人一首が より一層 おもしろくなる ミニ知識

1.小倉百人一首の時代背景・歴史背景、 藤原家系&冷泉家について

2.小倉百人一首 百歌人の 氏・家 系統 分類、 血統つながり
 (概略:多い順並び)
01. 藤原   34人 (筆頭、18番 藤原敏行朝臣)
02. 源    13人 (筆頭、14番 川原左大臣)
03. 皇族   10人 (筆頭、01番 天智天皇)
04. 大江    6人 (筆頭、23番 大江千里)
05. 清原    3人 (筆頭、36番 清原深養父)

06. 小野    2人 (筆頭、09番 小野小町)
07. 良岑    2人 (筆頭、12番 僧正遍昭)
08. 在原    2人 (筆頭、16番 中納言行平)
09. 文屋    2人 (筆頭、22番 文屋康秀)
10. 壬生    2人 (筆頭、30番 壬生忠岑)
11. 紀     2人 (筆頭、33番 紀友則)
12. 平     2人 (筆頭、40番 平兼盛)
13. 大中臣   2人 (筆頭、49番 大中臣能宣)

14. その他  18人 (筆頭、03番 柿本人麻呂)


[その他]グループの歌人は、
「百人一首歌人の中には 同族系統の人 は居ない」 と思われる歌人です。
 


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首を1日1首覚える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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