百人一首の中で、なぜこの歌が?と思う歌

小倉百人一首の中には、なぜこういう歌が選ばれているんだろうと
不思議に思う歌が幾つかあります。

私が「なぜこの歌が?」と思う筆頭は、10番 蝉丸の歌です。
これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関

また、私の友人は、「86番 西行の歌が余り好きではない」と言います。
なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな

「西行の歌を載せるなら、この歌よりも次の歌が良い」 らしいです。
願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ


先日、林直道さんの「百人一首は歌織物」という講演を聴いたのですが、
その林直道さんは、
20番 元良親王 の歌もまた面白い歌です」と言っておられました。
「単なる プレイボーイの駆け落ちの歌ですよ〜」と笑っておられました。
わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢わむとぞ思ふ


また私としてはこうも思っています。
藤原家系の人々が多く登場する百人一首の中で
藤原家の筆頭代表格的存在でもある、藤原道長の次の歌はありません。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば


もちろん、こんな事を言い出すときりがないのですが、
だからゆえに、百人一首が面白いのだと思います。
良い歌や、著名な歌人ばかりから選んだのではないと言うこと。
そして、同じ様な語句が複数の歌に登場していること。
それがために、かるたとして面白い素材になったのでしょう。

そのかるた遊びのために一層、
小倉百人一首が日本人のお遊びのひとつとして
永く広く伝えられ、育てられたのだろうと、私は思っています。




『百人一首』 は後世の人が付けた名で
『小倉山荘色紙和歌』 がオリジナル呼称です。

藤原定家が、ある意図のもとに集めた歌を、
おおむね歌人の年代順に おおまかに 歌番号を付番したもです。

下の図は、百歌人の おおまかな 生没年図 です。図をクリックすると標準サイズ表示されます。

各時代に何人いるか、おおまかに時代区分けしてみると次のようになります。
飛鳥時代は、天智天皇、持統天皇、柿本人麻呂、の3人
奈良時代は、山部赤人、猿丸太夫、大伴家持、阿倍仲麻呂、の4人
平安時代は、
前期が、喜撰法師から参議等まで、の32人
中期が、平兼盛から相模まで、の26人。&三条院から大納言公任まで、の4人。計30人
後期が、大僧正行尊・周防内侍、&、祐子内親王家紀伊から二条院讃岐まで、の21人。計23人
鎌倉時代は、鎌倉右大臣から順徳院まで、の8人

その意図を定家は、『百人秀歌』(※)に次のように書き留めてます
※…昭和26年(1951年) 宮内庁書陵部で発見される

「名誉の人 秀逸の人 皆これを漏らす
 用捨は心にあり 自他の傍観あるべからざるか」


現代語訳は、こうなります。
「有名な歌人や良い歌を選んだわけではありません。
 私の気分で選びましたので、余りゴタゴタ言わないで頂戴ネ〜」

これで一気に、百人一首の謎解きブームが始まったと言われます。
ただ、昭和26年という時期は、今のように情報が一気に伝わる状況ではありませんでした。
ですので、
「ごく一部の人々が謎解きに夢中になり、
 そのそれぞれの人々がそれぞれなりに懸命に解読をした」
と言った状況だったようです。

posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 小倉百人一首は 歌織物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても参考になりました。ありがとうございます
Posted by at 2010年03月24日 22:35
コメント、ありがとうございます。
ついでに、独り言を書かせていただきます。
私の現時点での『百人一首に対するとらえ方』です。

定家は歌の大家。その頭脳構造は文系・理系両方の天才性を有している、人物だった。膨大な数の歌が頭の中に整然と入っており「”この歌”に隣接する歌として”あの歌”を置くと面白い」という”ひらめき”が次から次と思い浮かんでくる、人物だった。そんな定家が、親交のあった宇都宮蓮生の依頼をきっかけに、百首を選定した。この時、定家はその選定に際して、一人密かに『遊び心』を発揮させた。それを定家は「用捨は心にあり 自他の傍観あるべからざるか」という言葉で表現したのだろう。その『遊び心』というのが、『10×10』の『二次元・和歌・数珠繋ぎ・あそび』であったのだろう。

■関連記事 例
・百人一首の配置図
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/111739840.html
・百人一首 配置図解析ことはじめ
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/111741786.html
・百人一首散策人 プロフィール
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/category/6267283-1.html

■藤原定家
生没年は、1162〜1241年。生没年差79年。

■宇都宮蓮生
生没年は、1178〜1259年、生没年差81年。
元は、鎌倉幕府の御家人。
その時の名前は、宇都宮頼綱(宇都宮家 五代城主)。
この頼綱に元久2年(1205)、謀反の疑いがかかる。
結果、頼綱は27歳で出家し、蓮生と名乗る。
この蓮生と定家は親交を持ち、
蓮生の娘と定家の息子が夫婦となり、両者が姻戚関係を結ぶほどになる。
その様な関係などを背景に、蓮生が定家に「蓮生の別荘(小倉山荘)の襖に飾る和歌」の選定を頼んだ。

■1番 天智天皇 から 百番 順徳天皇 までの時代
・古代
飛鳥時代 6世末〜710年  百 ?(ウン)十年間 
奈良時代  710〜 794年  約80年間(今年は平常遷都1300年)
平安時代  794〜1192年  約400年間
・中世
鎌倉時代 1192〜1333年  約140年間

ただし、百人一首歌人がからむ 時代的始まり期 と 終わり期 は、
飛鳥時代の後期ころから、
鎌倉時代の中前期以前まで。

■奈良の大仏
奈良の大仏は752年に完成。 (奈良時代は、710〜794の約80年間)
45代天皇 聖武天皇の肝いりで作られる。
・関連テレビドラマ(NHK)
『大仏開眼』
2010年4月3日&10日
NHK総合、夜7時半から9時×2回(土曜日)。
http://www.nhk.or.jp/osaka/daibutsukaigen/

■歴代天皇簡易一覧
http://www17.ocn.ne.jp/~cafeaule/rekidaitennnou.htm
Posted by 百人一首散策人 at 2010年03月26日 08:34
「小倉山荘色紙和歌で、『百首選定の素地となる定家の描いた配置』」に関しては私、当初(それに感銘した頃=2008年末)、「この私のサイト(小倉百人一首の散策)で林直道さんの説を解説していこう」という意気込みでした。でもそれは、私にはなかなか面倒くさく、当初の意気込みだけで関連の数記事を書いて、終わってしまいました。上のコメントを書いたのをきっかけに今回また、関連ワードでネット徘徊してみましたところ、次のような面白いサイトに出会いました。


『小倉百人一首』
http://www.h3.dion.ne.jp/~jtm-js/ogura.htm
です。

このサイトのオーナさんが、そのサイトの中の、

『百人一首に秘められた謎』
参考文献:林直道著「百人一首の世界」(青木書店)
で、手短に 下記5ページに 上手に まとめておられます。
http://members.at.infoseek.co.jp/jsjtm/nazo.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/jsjtm/nazo2.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/jsjtm/nazo3.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/jsjtm/nazo4.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/jsjtm/nazo5.htm

上記5ページは、紹介サイト『小倉百人一首』の左サイドメニューで
『秘められた謎』をクリックしてBrowsできる内容です。
この5ページ、そんなに文章量は多くありません。
この機会に、全て通し読みされると面白いと思われます。( ← 私の個人的好みでスミマセン。)

林直道さんの歌織物説に基づく百首配置図
・歌番号のみ
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/image/haitizu.JPG
・配置背景となる事項(関連語句)入り
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/image/hyakuninnhaitizu.jpg
Posted by 百人一首散策人 at 2010年03月26日 11:32
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。