百人一首と ♪悲しみがとまらない

百人一首のこの歌と、YouTubeの この曲・このビデオ が
私の世界ではイメージ的につながるんだけど〜 という シリーズ記事です。
あなたはいかがですか? こんなペアはいかが〜 という方はぜひ教えて下さい♪  m(__)m


86 なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな  西行法師


■歌の意味
嘆き悲しめと月が私に物思いをさせているのだろうか。
…いや、そうではない。
そうではないのだが、そうとでも思いたくなるほど、
月にかこつけるようにして、涙が流れてしまうのです。


■悲しみがとまらない    ANRI



■マッチング背景
私にはANRIよりも杏里で馴染んでいる曲です。
1980年代前半に良く聴きました。
この組み合わせは、ANRIの歌の始まりでもう決まりです。(笑)

I can't stop the lonliness  こらえきれず 悲しみがとまらない
I can't stop the lonliness  どうしてなの 悲しみがとまらない

I can't stop the lonliness  誰か救けて 悲しみがとまらない
I can't stop the lonliness  こらえきれず 悲しみがとまらない


西行法師 について (1118〜1190年、差72年)
僧侶になる前は北面の武士、佐藤 義清(さとう のりきよ)。
西行としては、平安時代末期の僧侶・歌人。
父 左衛門尉 佐藤康清、母 源清経女。

1137年、鳥羽院の北面の武士として奉仕していたことが記録に残る。
1140年、23歳で出家して円位を名のり、後に西行と名のった。
その動機は、友人の急死にあって無常を感じたという説が主流とされる。
しかし、失恋説もある。
室町時代物語『西行の物かたり』には、
御簾の間から垣間見えた女院の姿に恋をして苦悩から死にそうになり、
女院が情けをかけて一度だけ逢ったが、「あこぎ」と言われて出家した、とある。
この女院は、鳥羽院の中宮であった待賢門院璋子であると考えられる。

西行の出家の理由を失恋とするのが、
研究する側も、それを観賞する側も面白い(より興味がそそられる)ようですが、
ほかに、西行の生涯を知る上で重要な書物の『西行物語絵巻』では
親しい友の死を理由に北面を辞したと記されているようです。

出家後は心のおもむくまま随所に草庵をいとなみ、
しばしば諸国をめぐり漂泊の旅に出て多くの和歌を残しました。

【西行の出家時の逸話】
出家の際に衣の裾に取りついて泣く幼子(4歳)を縁から蹴落として家を捨てたという。
ただしこの話は、仏教説話としてオーバーに表現されているという意見がある。
いずれにしても、話題性に富むお方です。西行(佐藤義清)。

【西行の 有名な晩年の歌】
西行は次の歌を生前に詠み、その歌のとおり、陰暦2月16日、
釈尊涅槃(しゃそんねはん)の日に入寂したといわれている。享年73。

願はくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

如月(きさらぎ)…陰暦の2月。 
望月…満月(西行は十五夜のころに亡くなりたかったようです。さすが西行さん。)
旧暦での12ヶ月は、
睦月、如月、弥生、 卯月、皐月、水無月、
文月、葉月、長月、 神無月、霜月、師走 。


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | YouTube マッチング遊び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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