百人一首と ♪東へ西へ

百人一首のこの歌と、YouTubeの この曲・このビデオ が
私の世界ではイメージ的につながるんだけど〜 という シリーズ記事です。
あなたはいかがですか? こんなペアはいかが〜 という方はぜひ教えて下さい♪  m(__)m


10 これやこの行くも帰るもわかれては しるもしらぬも逢坂の関  蝉丸


■歌の意味
これがあの、これから旅立つ人も帰る人も、知っている人も知らない人も、
別れてはまた逢うという、逢坂の関なのですよ。


■東へ西へ    井上陽水



■マッチング背景
蝉丸の歌。
私にとって「なんでこの歌が選ばれているの?」と不思議に思う筆頭の歌です。
でもこの歌を10番歌として定家が選んだのは、
定家なりの判断(ある種のお遊び)が加味されているのだろうとも思っています。
定家自身の歌は97番「来ぬひとをまつほの浦の夕なぎに〜」ですので、
97番歌に合わせるなら、題名だけなら井上陽水の「待ちぼうけ」があります。
でも私には、もひとつしっくり行くペアとは感じられません。
それで、陽水のYouTubeを懐かしみながら聴いていたら、
押尾コータローとの共演で「東へ西へ」に出会いました。
押尾コータローのギターは好きですし、井上陽水も好きですので、
「おぉ〜これは、何となく蝉丸の歌だぁ〜」と思いました。


逢坂の関
山城国と近江国の国境となっていた関所。
東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、
交通の要となる重要な関であった。
その重要性は、平安時代(794〜1192) の中期以後には、
三関の一つとなっていた事からも見てとれる。

近世に道が掘り下げられた事などから、
関のあった場所は現在では定かでない。
滋賀県大津市逢坂2丁目の長安寺付近にあった関寺と
逢坂関を関連付ける記述が更級日記や石山寺縁起に見られる事などから
同寺の付近にあったと見られる。
滋賀県大津市大谷町の国道1号線沿いの逢坂山検問所脇にも
「逢坂山関址」という碑が建てられている。

と言うことで、蝉丸の「逢坂の関」は今の大津市のあたりに在ったようです。
「逢坂」ですので、今の大阪府とか大阪市とは余り関係ないようです。


■逢坂の関   by Google マップ
・その1



・その2




posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | YouTube マッチング遊び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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