歌の意味解釈 96〜100番

96  花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり   入道前太政大臣
97  来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ  権中納言定家
98  風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける  従二位家隆
99  人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は  後鳥羽院
100 ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり  順徳院




■96 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん、1171〜1244)
藤原公経(フジワラノキンツネ) 。定家の義理の弟。
承久の乱(末尾関連記述@)で 鎌倉方に内通し、その後 栄進著しかった。

花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり

花を誘って 散らす嵐 の吹く庭は、雪のように花が降りゆきます。
しかし、ほんとうに古りゆくものは、実は雪ではなく このわが身なのですねぇ〜。

ならで…「なら」は 断定の助動詞「なり」の未然形。「で」は打消の接続助詞。
ふりゆくものは…花が雪のように「降りゆく」と、わが身が「古りゆく(年老いていく)」との掛詞。
わが身なりけり…「けり」で、今初めて気がついたという感動・驚きを表す。
ここでは、自分の老いに初めて気づかせられた気持ちを表している。
『古今集』以来 多く見られる傾向…落花を雪にor雪を落花に見立てる表現。



■97 権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ、1162〜1241)
藤原定家。83.藤原俊成の子。
なんと言っても…これ ⇒ 小倉百人一首の編纂者。
『新古今集』『新勅撰集』の撰者。歌論も多い。日記として『明月記』がある。
俊成の幽玄(末尾関連記述A)を、艶(えん)・有心体(末尾関連記述B)へと進化させた。

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ

いくら待っても来ない人を待ち続けています。
そんな私は、松帆の浦の夕なぎの頃に 焼く藻塩のように
貴方をずっと恋い焦がれているのですよ。

まつほの浦…人を待つ「まつ」と「松帆の浦」(淡路島北部海岸)の「まつ」の掛詞。
まつほの〜藻塩の…「こがれつつ」の序詞。
夕なぎ(夕凪)…季語は夏。
夕方 海辺で海風と山風が変わる現象・時間帯。風 波が一時的にやむ。
藻塩…藻は海に生える海草。その海草に海水を注いで日に干し、
焼き、水に溶かし、煮詰めて、精製した塩。



■98 従二位家隆(じゅうにい いえたか、1158〜1237)
藤原家隆。権中納言藤原光隆の子。『新古今集』の撰者の一人。

風そよぐならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける

風が楢の葉をそよがせる この社の夕暮れは、秋のように涼しい。
でも、境内を流れる「ならの小川」で行われている「みそぎ」を見ると、
まだ夏なのだなぁ〜。

ならの小川…京都市上賀茂神社の木立を流れる小さな川 ⇒ 御手洗川(ミタラシガワ)
みそぎ…川や海の水で身を清め罪や穢(ケガレ)を祓い(ハライ)除くこと。
ここでは「六月祓(夏越しの祓)」(ミナズキハラエ・ナツコシノハラエ)の「みそぎ」をさす。
六月祓は陰暦の6月30日に行われる神事。その年の上半期の罪や穢を祓い清める。
夏のしるし…夏である証拠。
なりける……「なり」は 断定の助動詞「なり」の運用形(読みは同じ)。
「ける」は気づきの助動詞「けり」の連体形。「みそぎぞ」の「ぞ」(→みそぎ’こそ’)の結び。



■99 後鳥羽院(ごとばいん、1180〜1239、59才)
第82代天皇(在位、1183〜1198)。3才の時から18才の時までの15年間!?
高倉天皇の第四皇子。 歴代天皇一覧
承久の乱で隠岐島(島根県)に配流される。在島19年で崩御。
『新古今和歌集』の撰者を命じた人。

人もをし人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに物思ふ身は

ある時は人を愛おしいと思い、またある時は人を恨めしく思う。
つまらない世だと思うからこそ、あれこれと もの思いをする私には。

後鳥羽院は3才の時から18才の時までの15年間(1183〜1198)を天皇として在位。
この歌は、承久の乱(1221年)の 9年前(1212年)の作。
⇒ 後鳥羽院が32才の時(退位後14年目)の作。
鎌倉時代の始まりは1192年。後鳥羽天皇12才&在位9年目の時。
在位中に幕府に実権が移ったのでしょう。1192年の6年後18才の時 在位を退いている。
有能な野心家ゆえに「幕府が実権を持ってること等へのはがゆさなど」からの歌でしょうか?
鎌倉時代の始まりは1192年。
この29年後の 承久の乱(1221年)は、後鳥羽院 41才の時の挑み。
この挑みにより後鳥羽院は、後の19年ほどを隠岐で過ごす。
ただ、隠岐でも活動的だったという。没年齢59。



■100 順徳院(じゅんとくいん、1197〜1242、45才)
第84代天皇(在位、1210〜1221)。13才の時から24才の時までの11年間。
後鳥羽天皇の第三皇子。(後鳥羽天皇が17才の時の子) 歴代天皇一覧
後鳥羽院に従い承久の乱を起こす。敗れて佐渡に流される。
順徳院のwikipedia「略歴」情報によると…。
順徳院は父の後鳥羽院以上に倒幕に意欲的だったそう。
倒幕戦のため、24才の時、皇位を85代仲恭天皇に譲位した。
父 後鳥羽院は風流人で戦いとは関係なく風流を好んで退位したそうだけれど
子 順徳院は戦いのために退位したよう。なので、在位の末年が承久の乱の年(1221年)。

ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり

宮中の古びてしまった建物の軒の端に しのぶ草がおい茂っている。
その草を見るにつけ、朝廷の栄えた昔がしのばれる。
あぁ、なんと懐かしく思われることだろうか。

ももしき…
私は今でも少し「ももしき」と聞くと「フンドシ」をイメージしてしまう。
でも「ももしき」を漢字で書くと「百敷」or「百石城」。
同じく私は長く、山口百恵がなぜ「ももえ」なのか分からなかったけれど、
「百」を「たくさん」と言う意味で「もも」と読むそう。
なので「ももしき」は、沢山の石を敷いた城or沢山の役人の座を敷く所という意味。
つまり、宮中・皇居のこと。
「ももしきや」の「や」は感嘆を表す。
朝廷側が力を持ち宮中が政治の中心であった頃を懐かしむ気持ちを強調している。



【関連記述】
@ 承久の乱(1221年)
鎌倉時代の承久3年(1221年)に、
後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた兵乱。
武家政権である鎌倉幕府の成立後、京都の公家政権との二頭政治が続いていたが、
この乱の結果、幕府が優勢となり、
朝廷の権力は制限され、幕府が皇位継承などに影響力を持つようになる。
A 幽玄
1 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。「―の美」「―な世界」
2 中世の文学・芸能における美的理念の一。
歌論などで、優艶を基調として、奥深い静寂な余情、象徴的な情調のあること。
能楽論で、優雅で柔和な美しさ。美女・美少年などの優美さや、また、寂(さ)びた優美さをいう。
B 有心体
藤原定家がその歌論書「毎月抄」で唱えた和歌十体の一。
美的理念である有心を表す詠みぶりで、最上の歌体とされる。
連歌・俳諧にも通じて用いる。有心様(よう)。うしんてい。
C 無心体
和歌・連歌で、機知を主とした、こっけい・卑俗な風体。むしんてい。
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | 小倉百人一首 意味・解釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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