歌の意味解釈 51〜55番

51 かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを  藤原実方朝臣
52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣
53 なげきつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母
54 わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな    儀同三司母
55 滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ    大納言公任




■51 藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん、?〜998)
清少納言(62番)と親しかった。時の宮廷の花形の一人。
舞や和歌に優れた風流人。陸奥守に左遷され、任地で没。

かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを

こんなに恋い慕っているとさえ、貴方に言うことができません。 (第1、2句)
伊吹山のさしも草のお灸ではないですが、この燃えるような私の心など、 (第2〜4句)
貴方はよもやご存じないでしょうねぇ〜。 (第4、5句)

かくとだに…こんなふうに
えやはいぶきの…「え」は、否定反語の表現。ここでは「えや」と呼称して不可能の意味を表す。
アト、「言ふ」と「伊吹」の「いふ」を掛けた掛詞。
前には、〜なんだけど言うに言えない。後には、伊吹山の〜。となる。
さしも草…よもぎの異名。お灸のもぐさの材料。
さしも知らじな…「さ」は指示の副詞。「し」「も」は共に強意を表す。「な」は詠嘆。
⇒ この(私の)思いを 'よもや' ご存じないでしょう、なぁ〜。
伊吹山…美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)の国境にある山。さしも草で名高い。



■52 藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん、972〜994)
藤原為光(タメミツ)の子。
和歌の才能に恵まれ、容姿に優れた貴公子、だったが、23才で早世。

明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな

夜が明けると、やがて日が暮れて、またお逢いできると分かっているけど…、
やはり恨めしいのは、貴方と別れて帰らなければならない、明け方ですよ〜。

夜が明けかける頃から朝までの呼び方の移り変わり:
暁(アカツキ)   ⇒  夜明け前のまだ暗い頃  (30番)
東雲(シノノメ)  ⇒  暁からすこし明け方に近づきながらも、まだ明けやらぬ頃  (なし)
曙(アケボノ)  ⇒  東雲からようやく空が明るんできた頃  (なし)
朝ぼらけ    ⇒  曙よりさらに明るくなった頃  (31,52,64番)
朝        ⇒  朝  (80番)



■53 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは、937?〜995)
『蜻蛉日記』の作者。藤原道綱の母。藤原倫寧(トモヤス)の娘。
藤原兼家の第二夫人となり、藤原道綱を生む。

なげきつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る

貴方が来ないのを嘆きながら、ひとりで寝る夜。
その夜が明けるまでの時間がどれほど長く感じられるか、貴方はご存じないのでしょうね。

明くるまは…夜が明けるまでの時間。
この歌は、俊恵法師が女性の気持ちを読んだ歌(85番)とよく似ている。
85番は、寝室の障子(?)の隙間に八つ当たりしてた。
53番は、相手の男に恨めしさをぶつけている。
共に、夜、ひとり、好きな男を待ちながら、その男が来ない寂しさ&夜明けの遅さを嘆いている。



■54 儀同三司母(ぎどうさんしのはは、?〜996)
高階成忠(タカシナナリタダ)の娘。名は貴子(タカコ)。藤原道隆の妻。
藤原伊周(コレチカ=儀同三司)、藤原隆家、&定子(テイシ=一条天皇の中宮)の母。

わすれじの行末まではかたければ 今日をかぎりの命ともがな

いつまでも忘れないからねと おっしゃる貴方のお気持ちが、
この先もずっと続くかどうかは私には分かりません。
ならばいっそのこと、
そう言って下さる幸せな今日という日を最後とする、私の命であって欲しいものです。

忘れじの…忘れないと言う  かたければ…難しいので
ともがな…「と」は引用の格助詞。「もがな」は願望の終助詞。



■55 大納言公任(だいなごんきんとう、966〜1041)
藤原公任。漢詩文・和歌・管弦の三才を兼ねた。
『和漢朗詠集』などの編者。

滝の音はたえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞えけれ

ここ大覚寺にあった滝の、水の音が聞こえなくなって随分長い年月がたってしまった。
しかし、その評判だけは、世の中に流れ伝わり、今も世に聞こえ知れわたっていますよ。

嵯峨天皇の離宮があった京都大覚寺は昔、滝の流れる池があった。
後にそこへ人々が集まって「古き滝」の題で詠んだ一首がこの歌。
「世に知れ渡る」ことを、「名」が滝の水のように「流れる」と表現し、さり気ない洒落っ気がある。
風流な集まりでは、一度聞いただけで みんなにさらりと洒落が分かる この様な歌が、愛された。


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首 意味・解釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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