歌の意味解釈 11〜15番

11 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟   参議篁
12 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ     僧正遍昭
13 筑波嶺のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる    陽成院
14 みちのくのしのぶもぢずりたれ故に 乱れそめにしわれならなくに  川原左大臣
15 君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ     光孝天皇




■11 参議篁(さんぎのたかむら、802〜852)
小野篁。参議岑守(みねもり)の子。博学で、漢詩や和歌にすぐれる。
現世と冥界を行き来したなどの伝説が残る。

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人のつり舟

大海原 遙か、たくさんの島々の方に向かって舟をこぎ出して行った〜
と都のあの人に告げてお呉れ、漁師の釣り船よ。

点々とある小島の間を縫うように進んでいく舟の、孤独な姿がイメージされる。
優れた学者ながら激しい性格だった篁は、遣唐副使に任命されたものの、
大使と争い、天皇の怒りをかって隠岐の島に流罪になった。
この歌は、その隠岐の島に向かう篁が、都に残してきた恋人か家族に贈った歌。



■12 僧正遍昭(そうじょうへんじょう、816〜890)
50代 桓武天皇(かんむてんのう。在位 781〜806)の皇孫。
54代 仁明天皇(にんみょうてんのう。在位 833〜850)に仕え、天皇崩御を機に出家した。
六歌仙、三十六歌仙の一人。

天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ

大空を吹く風よ、雲の中の通路を閉じてお呉れ。
天に戻っていきそうな、この美しい天女たちをとどめて欲しいんだ。
今しばらく、その美しい舞をを見ていたいと思うから。

雲の通い路…
雲の上には鳥や月や天女が通る空中の道があると考え、雲の通い路と呼んでいた。
天女…秋の実りを祝う宮中の宴で舞う少女たちを天女と見立てた。



■13 陽成院(ようぜいいん、868〜949。57代天皇、在位 876〜884)
56代 清和天皇(在位 858〜876)の皇子。
9才にして即位したが、精神を患って退位。晩年は和歌に没頭した。

筑波嶺のみねより落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる

筑波山の峰から流れ落ちる男女川(ミナノガワ)が、
流れゆくと共に水量が増して淵(深み)となるように、
私の恋心も、時と共に思いは深まり、今は淵のように深い恋になってしまった〜。

何故、筑波山?
筑波山(茨城県)…恋に深い関わりのある山。
古代、男女が歌を詠み交わして求婚する「歌垣」という行事が行われていた。
男体と女体の二つの峰から成ることからの古(イニシエ)の行事。



■14 川原左大臣(かわはらのさだいじん、822〜895)
源融(みなもとのとおる)。52代 嵯峨天皇(在位 809〜823)の皇子。
加茂川西岸に広大な邸宅・川原院を造営。光源氏のモデルとも言われている。
京の都の東六条に川原院と呼ばれる邸宅を構えたので、川原左大臣と呼ばれた。
奥州の塩竃(しおがま)に似せた庭園を造り、
難波から毎日海水を運ばせて塩を焼かせた風流人。

みちのくのしのぶもぢずりたれ故に 乱れそめにしわれならなくに

陸奥の信夫地方で産する「しのぶもじずり」の模様のように、
私の心は、忍ぶ恋のため千々に乱れています。
このように乱れはじめたのは誰のせいでしょうか〜。
私のせいではないです…。ほかならぬ貴方のせいですよ〜。

われならなくに ⇒ 吾なら無くに。「私ではない」と言うこと。「私なら泣くよ〜」ではない。
融の愛情を疑うようなことを言ってきた女性へ贈った歌。
陸奥(みちのく)の信夫地方(しのぶちほう)…福島県福島市。
しのぶもじずり…乱れ模様に染めた布。
異国「陸奥」…現在の青森・岩手・宮城・福島の四県と秋田県の一部を合わせた古い国名。
東北地方全体をさすこともある。「みちのく」とは「道の奥」。
また、交通が発達してない当時、都の貴族にとってはまさに「未知の国」(みちのく に)。
不安と同時に異国への憧れのようなものさえ感じさせる土地だったのかも。



■15 光孝天皇(こうこうてんのう、830〜887。58代天皇、在位 884〜887)
54代 仁明天皇(にんみょうてんのう。在位 833〜850)の皇子。
57代 陽成天皇(在位 876〜884。13番歌)廃位の後、55才で即位。
温厚な性格で学問を好んだ。

君がため春の野に出でて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ

貴方に差し上げるために、春の野原に出て若菜を摘んでいます。
その私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかっていま〜す。

当時の貴族は贈り物に和歌を添えた。この歌はその一首。
七草がゆの元祖…
昔の、健康を祈って正月に春の若菜を摘んで食べる習慣、が七草がゆの元祖。
若い皇子だった頃、ある人に若菜を贈ったのだろう。
若菜の淡い緑と、早春の雪の純白。組み合わせが綺麗。


posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首 意味・解釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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