定家の孫 から 18代 遡(さかのぼ)ってみる

百人一首と言えば冷泉家がイメージされるようです。
でも調べてみると、定家は冷泉家の祖ではありません。
冷泉家の祖は定家の孫(為相・ためすけ 相をスケと読むようです 涙。。)です。

ということで、
為相から、藤原鎌足まで血統を逆にたどってみると次のようになります。
本人又は近しい身内として、百首の中に含まれている人を5首ほど添記しました。

下18.冷泉為相  (冷泉家の祖)

下17.藤原為家

下16.藤原定家   97.権中納言定家    「来ぬ人を〜

下15.藤原俊成   83.皇太后宮俊成    「世の中よ〜

下14.藤原俊忠

下13.藤原忠家

下12.藤原長家  (御子左家の祖)

下11.藤原道長   54.儀同三司母は「道長の義理の姉」  「わすれじの〜

下10.藤原兼家   53.右大将道綱母は「兼家の妻」 道長と道綱は異母兄弟  「なげきつつ〜

下09.藤原師輔

下08.藤原忠平   26.貞信公(本人)   「小倉山〜

下07.藤原基経
↑                         下11.道長 の 「4子4天皇に入内」 の手本  下01.不比等
下06.藤原長良

下05.藤原冬嗣

下04.藤原内麻呂

下03.藤原真楯

下02.藤原房前  (藤原北家の祖)

下01.藤原不比等

藤原鎌足(藤原氏の祖) ← 中臣鎌足が天智天皇より藤原姓を賜る。


定家が天智天皇を1番に持ってきたわけ。それは…

定家は一人秘かに、
藤原氏の氏祖をもたらした天智天皇
(天皇になる前は中大兄皇子)に敬意を表した・・・?。


さらに、天智天皇の歌は
およそ天皇の暮らしぶりから思い浮かぶ歌でも無さそうです。

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ


定家は、
自らの家系「藤原」の氏祖をもたらした天智天皇を称え、
そして、
当時の主産業である農耕を称える気持ちを込め、
詠み人知らずの歌を、
天智天皇の歌として最古の歌とした。

私は、そういうふうに想像遊びをしています。
百人一首のまた一つの遊び方。
想像遊びです。

ただし、この想像遊びは「2010年5月」に華々しく砕け散りました。
天智天皇の「秋の田の・・・」は福岡で詠んだ歌かも

そして、下記の
「 1番歌は聖徳太子でも良かったんじゃない? 」 も「2010年5月」に華々しく砕け散りました。
聖徳太子の歌はそんなに多くはなく、万葉集には下記の1首だけ在るのだそうです。
また、厩戸皇子は実在しただろうけれど、聖徳太子の実在は危ういとのこと。
今や初等中等教育では聖徳太子とは言わず厩戸皇子と言うのだそうで・・・。

聖徳太子の歌とされている、「万葉集」の中での唯一の歌。
家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ   万葉集 巻3−415
いえ  いも て      たび こ     たびと


さらにこの歌の雰囲気は、定家が「小倉山荘色紙和歌に」と選ぶにはミスマッチのようでもありますから。


このシリーズの3記事(この記事自体を含む)
1.百首は 日本の歴史のどの範囲?
2.1番歌は聖徳太子でも良かったんじゃない?
3.定家の孫 から 18代 遡(さかのぼ)ってみる (この記事デス)


・百人一首 百歌人中の 藤原族34歌人  南家・京家を含む


・百歌人中の 藤原族34人中  藤原北家流れ31歌人 詳細

 
posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 百人一首と 藤原家・冷泉家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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