1番歌は聖徳太子でも良かったんじゃない?

百人一首の歌人は、7世紀後半から13世紀初頭の人々です。

その時代範囲は、古代の 「飛鳥時代・奈良時代・平安時代」、
そして中世の始まりの 「鎌倉時代」。

飛鳥時代で始まるのは
2番歌の持統天皇の歌が「〜天の香具山」なので典型的。
鎌倉時代で終わるのは、
93番歌の歌人が鎌倉右大臣(源実朝)なので典型的。

これを歴史年表的に少しだけ詳しく見てみると
以下のようになります。
となりのヘンなイラスト( → )
と照らし合わせて頂くと、面白いカモカモです。 σ(^_^;)アセアセ


■古代1. 飛鳥時代 6世末〜710 
聖徳太子(574〜622、48才)
・冠位12階・憲法17条を制定
・集権的官僚国家の基礎を成す
・遣隋使を派遣し大陸文化の導入に尽力
四天王寺(593創建、聖徳太子開基) in 大阪市天王寺区
法隆寺(607創建、推古天皇33代&聖徳太子開基)in生駒郡斑鳩町
乙巳の変(622)  中大兄皇子、中臣鎌子(鎌足)、蘇我入鹿
大化の改新(645)  01.天智天皇38代 藤原鎌足(氏祖・0代)


■古代2. 奈良時代 0710〜0794 平城京遷都(710)
東大寺(8世紀前半創建、聖武天皇45代 開基)
奈良の大仏(745開始〜752完成)
鑑真(688生〜753来日〜763奈良で没、75才)
唐招提寺(759創建、鑑真開基)in奈良市


■古代3. 平安時代 0794〜1192 平安京遷都(794)
最澄(767〜822、55才)天台宗、延暦寺in滋賀県比叡山
空海(774〜835、61才)真言宗、東寺in京都市・金剛峯寺in和歌山高野町
藤原道長(0966〜1028、62才)
保元の乱(1156) ← 77.崇徳院 
源平の戦い(1180〜1185)


■中世1. 鎌倉時代 1192〜1333 
承久の乱(1221)  ← 99.後鳥羽院、100.順徳院
藤原定家 没(1162〜1241、69才)
蒙古襲来(1274、1281)
 

これを見て、現代人の凡人の私がふと思ったのです。
「定家は1番に聖徳太子を持ってきても良かったのに」と。
今は、1万円札と言えば福沢諭吉ですが、
少し前までは聖徳太子像でしたし。

でも、定家が1番に天智天皇を持ってきたのには
定家なりの背景がありそうなんです。

それは、天智天皇は天皇になるまえは中大兄皇子。
その中大兄皇子を支えたのは中臣鎌子(or中臣鎌足)。
その支えのお陰もあり中大兄皇子は38代天智天皇になる。
( 乙巳の変(622) & 大化の改新(645) )

その天智天皇から中臣鎌子は、その貢献に対し藤原姓を与えられる。
ここに藤原氏が始まる。

それで、藤原氏の祖をもたらした天皇だから天智天皇を最古歌とした。
私はこう思っています。


これへの更なるこだわり「定家の孫 から 18代 遡(さかのぼ)ってみる


このシリーズの3記事(この記事自体を含む)
1.百首は 日本の歴史のどの範囲?
2.1番歌は聖徳太子でも良かったんじゃない? (この記事デス)
3.定家の孫 から 18代 遡(さかのぼ)ってみる

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posted by 百人一首散策人 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首の 時代・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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